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2021年2月13日土曜日

「梅野.*妻」を過去のはてなダイアリーの記事から検索

  1. 20070305:ファイル名:梅野妻20030118_131946.WAV      FILESIZE=36M
  2. 20070305:│ 梅野妻20030118_131946.WAV
  3. 20061224:│ 梅野妻20030118_131946.WAV
  4. 20060917: そのあと、梅野博之の自宅にも電話を掛けましたが、今回は人が出ました。留守できていると言い、声からも梅野博之の妻とは違っているように感じました。
  5. 20060819: ここでは梅野らと一緒に大倉が来たことになっているがこれは大間違いだと思います。そのほかにも不正確な表現がかなり見られます。和田の車で30分とありますが、事実は15分から20分ぐらいでした。和田は高速に乗ると常時180キロのメーターを振り切るスピードで走ってきました。市内もガラガラですぐに着いたのです。これは大きな違いではありませんが、私たちが会社に着いてから文さんらが来たのは一時間からそれ以上遅れた時間でした。その間に大倉が来たように思うのですが、とにかく一緒ではなかったはずです。大倉は普段でも中山さんなどと行動を共にすることはありませんでした。どちらかと言えば避けていたのかもしれないぐらいです。現在ではあまりはっきりしたことは言えないのですが、文さんが来た時、大倉はおらず、文さんが帰った後も梅野らがいたのは一時間ぐらいだったかもしれません。あまり長い時間ではなかったと思います。大倉が会社の前で自分の四トン車を洗車していたことは確かなのですが、それも一度姿を見せて、戻ってから始めたように思います。その間に文さんらが来たと思うのです。和田も彼女らが来る前に一度妻を連れて会社に顔を出して行きました。ちょうどこの前後に大倉がいたような覚えがあるのです。それと重要なことは梅野と中山と一緒にいた人物ですが、三人いたことはまず間違いないはずで、その一人というのが、私のほぼ正確な記憶によると、その一二ヶ月前に入社した中年の男でした。よく高そうな黒色の皮のジヤンバーを着ていた人ですが、一番の特定になるのは、前夜の宴会の時、文ちゃんに贈る歌のような前置きを述べてから「娘よ」とかいう歌を唄っていた人です。その人は会社でもちょくちょく文さんに話しかけたりしていたようでありました。名前は聞いたこともなかったのかどうかも分かりませんが、全く覚えておりません。一月の下旬の能瀬からの電話で、池田が私に「会社で眺めるだけにしときなさい。他の人らもそう言って満足しとるんやし」などと言ったとき、私が真っ先に思い浮かべたのもこの人物です。
  6. 20060819:⑦そしてその日の午後、二階事務所で浜口さんと河野さんと竹沢が日産ディゼールのセールスマンと新車の発注のことで談合していたところ、私が「コーヒー飲んでもいいが?」と誰にともなく申し向けたのに対し、彼女が大きな声で「うん」と答え、その直後に私のいた台所に駆けつけ食器を洗い始めたところ、私がそこを出ると、ちょうど談合が自分の希望するように終えた浜口さんが私の体を押して彼女のいる台所の中に連れて行き、彼女に「お嬢...」何かを申し向けたのです。そこで私は緊張のあまりとっさに話題をあげようと「昨日追突された」旨を浜口さんに申し向けたのです。また、その日、そのあと浜口さんは関東方面に出発することを話しており、私は関西に向かうところであったように思うのであります。訂正 談合という言葉は不適切であると思われる。ここでの表現叙述は私自身が読んでも分かりずらく、内容がはっきりしない感がある。私が二階に入ったのは仕事先かどうかは分からないが外から戻ってすぐだったと思う。この日以来三月の上旬まで台所のコーヒーメーカーは姿を消したのであるが、それ以前にコーヒーを飲んだ記憶がはっきりしない。これが分かれば時期の特定に役立つのであるが少なくとも一番近接しているのは梅野と大倉がいた朝のことである。なお、現物の記載にしたがって番号を振るようにしているが内容自体とはあまり関係がない振り方である。一応ここでも番号を打っているがパソコンの機械自体⑳までしか丸数字がないのでそれを超える部分は違ったものを使っている。また、ここで私は浜口さんが関東、自分が関西に向かうところであったと思うのです、などといささか曖昧な表現をしているが、これはまず確実なことです。私は今気付いたのですが、この時浜口さんに昨夜の事故のことを話したのは確実なことで、これは他の書面でも再三記述していることですがその時彼は金になるとか金を取るべきであるようなことを言ったのです。刑務所にいた頃の記述ではこの日の特定が出来なかつたので重視していなかったのですが、先の趣意書にも記載したように事故の資料によってもその日が15日の夜と特定されているので、やはりこのコーヒーの件があったのは16日ということになります。そこで問題の日報を見たところ、16日の木曜日に私は水島倉庫に二回ミール移動をしたことになっているのです。さらにその翌日はこれも問題の大きい七尾から山梨に行き池袋から展示会の引き上げの仕事をした運行に出発したことになっているのです。私がなぜこの16日をコーヒーの件のあった日だと考えなかったかといいますと、その一番の原因はこの時期に文さんとの連続会見があったからです。会見の時の彼女はすごく恥ずかしそうにしていました。言い換えれば私と彼女の関係がもっとも穏やかだったのです。その穏やかさと、私が台所で彼女から逃げるような行動をとってしまったことはとても同時期の状況とは考えられなかつたのです。まだまだ検討の必要がありますが、その会見の時期自体にも特定が困難な問題が伏在しているのは趣意書に指摘してあるとおりです。特に初めて彼女に会社の横で声を掛けたときはいい感じの雰囲気だったのです。しかしながらあまりにそのことがうれしく印象的だったため私はその前後のことをほとんど覚えていないのです。その場のことだけ、彼女に声を掛けた瞬間の情景だけ鮮明に残っているのです。外はすっかり暗くなっていましたが遅い時間であったとか待ち時間が長かったという印象はないので遅くても五時半頃だったと考えられます。また、コーヒーの件の埋め合わせに彼女に声を掛けたという覚えもなく、唐突に声を掛ける気になってのでもなく、その場の状況で邪魔者がいなかった事などで偶然の機会を捉えたにすぎないのですが、私と彼女の関係自体は概ね良好で熟した感があったと思います。あるいはその時の彼女恥ずかしそうでありながらうれしそうな態度がそれまでの暗雲を一気に吹き消したのかもしれません。その彼女の反応は私の予想外の事でした。私の観念ではこの印象が前妻が訊ねてきた翌日に事務所で見た彼女の悲しそうな姿まで続いていたのです。それゆえ、この間に彼女本人が夕方の電話で今晩自宅に電話を掛けてくださいといいながら自宅に電話を掛けたところ出なかったことなど入り込む余地はないのです。また、その16日に関西に行ったこともまず間違いないと思うのですが、ここでも翌日の夕方に刀根PAからの電話で彼女に最高の女やと思うなどと言ったこともこの時期のこととしてはやはり考えられないのです。その前日の夕方には梅野のシャブ中発言がありこれが電話の内容の一番の動機になっていたことも再三述べているとおりなのです。数多くの問題がありますが考えれば考えるほど頭が痛くなる現状です。ここで一番の解決になりうるのは、会見が三度であったというのは私の思い違いで実際は二度しかなかったということかもしれません。先の一度の時は、彼女が美容院に行くと言って帰ったことでこの時は私が二本の缶コーヒーを彼女に手渡しています。特にコーヒーメーカーの件のことを意識していた訳ではなくその可能性もないと思います。そして最後の時が、前妻から連絡があった翌日の夕方でこの時はほとんど喧嘩のような状態になっているのであり、この事実は水口なども目撃しており客観的にも裏打ちされたことなのです。最初に声を掛けたとき、缶コーヒーを用意していた覚えは全くなく、その缶コーヒーはその少し前に中央市場の中で買った物なのです。その中央市場に行ったのも会社に電話を掛け彼女に話すのが目的だったような気もするぐらいなのです。しかし実際に電話で彼女と話してから声を掛けたという覚えもないので断定することは出来ません。今や私の望みのようにさえなりますがこれが二度であればその他の事実も整合性をもって論証できるのです。最後の時以外は彼女の申し出により実に短い時間で、具体的話などほとんどなかったのです。はっきりしていることはいずれの時も駐車中の私のトラックに乗ってもらいその中で話したと言うことです。なお、これは初めての記述になるかもしれませんが、缶コーヒーをあげたとき、私はトラックの助手席の方からドアを開け、そこから車の中に入って帰りがけの彼女に外で渡したのです。さて、裏駐車場での会見は二度であったのかそれとも三度であったのかこれは謎を解く大きな鍵となる問題です。しかし安易には断定できないのでさらに検討してゆきたいと思います。

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