- 2021-01-10 17:46:13 "金沢市場輸送の大型保冷車でも一度,現在の鹿嶋市には行っているのですが,大きな工業団地のようなところで,ボックスのような木工製品の荷物を積んだように思います。高速道路の利用のことで配車係の本恒夫社長とずいぶん言い合いをしたことを憶えています。まだ社長になる前からしれません。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1348189391861161991
- 2020-09-10 14:18:54 "私の知る範囲で,堂野さんが鮮魚の仕事をしたことはなかったのですが,配車係の本恒夫社長が無理な配車をして,たびたび自分で運行に出ていると聞いており,堂野さんにも頼んだことがあったのかもしれません。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1303925898542940163
- 2020-08-15 14:49:10 "いちおう事務所で配車係としたのは,本恒夫社長が配車の仕事を独占し,2人にほとんどなにもさせなかったり,運転手の荷物の積み込みの手伝いなど雑用をさせていたことです。2人は会うたびに本恒夫社長に対する強い不満を口にしていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1294511429043646465
- 2020-08-09 17:08:11 "珠洲市の若山といっていたSさんは,金沢市場輸送の傭車として小木運送の大型保冷車でよく仕事をしていました。本恒夫社長との関係が強かったようです。しょっちゅう来ていったので,話もしましたが,本恒夫社長の不満を口にすることもなく,いつのニコニコしていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1292372087135338498
- 2020-08-08 17:55:40 "自分の記憶の衰えもあって,竹沢俊寿会長と本恒夫は被告訴人,被告発人から外したのですが,事件の真相解明には不可欠の人物と当時は考えていました。あのストライキも被告発人東渡好信との出来レースだった可能性があります。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1292021651127713792
- 2020-08-08 17:50:20 "この本恒夫についても過去の提出書面には知る限りのことを記述していますが,竹沢俊寿会長とも特別な関係があり,福井刑務所では暴力団員だったという話も聞いています。富山市内で飲み屋を経営,静岡ではサラ金をやっていたと言います。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1292020308967190528
- 2020-08-08 17:46:03 "実は一度,顔を見ているかもしれない可能性があるのですが,見たかもしれない本恒夫の娘の顔を含め記憶には残っていません。入り江の回転寿司で輪島の運転手が,「なんちゅう食べるおなごかい」と言ったので,隣の席をみると,本恒夫の家族が食事をしていたのです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1292019228682227713
- 2020-08-08 17:43:20 "前に同じ有線の仕事をしていると聞いた人がいて,それが配車係から金沢市場輸送の社長になった本恒夫の妻でした。会ったことはないし,顔も記憶にないのですが,本恒夫より年上か,年上に見えるという話を聞いたことがありました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1292018547078512643
- 2020-08-08 14:45:46 "実際,金沢市場輸送のときは配車係だった本恒夫の自宅に,仕事のことで夜中に電話をしたことがありました。夜中に電話で次の朝の仕事の指示を受けるようなこともあったのですが,携帯電話などない時代のことです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1291973860716240897
- 2020-06-03 20:25:59 "市場急配センターという新会社が誕生したということより,金沢市場輸送の竹沢俊寿社長が両社の会長になったこと,金沢市場輸送の配車係だった本恒夫が金沢市場輸送の社長となり,被告発人松平日出男が市場急配センターの社長となったことが大きな話題となっていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1268141880610443264
- 2020-06-02 14:58:53 "最初に本恒夫社長に不信感や疑念を持つようになったのは,昭和63年だったと思う12月24日のクリスマスのことでした。これが先日少し触れた羽咋郡旧富来町の西海漁港のことです。珠洲市の蛸島港からイワシを運んだ仕事でした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1267697174189498369
- 2020-06-02 14:56:23 "被告発人東渡好信が主導したストライキのことがあり,そのゴタゴタが終息仕掛けた頃と思うのですが,今度は本恒夫社長の給料の話が出てきて,月の給料が100万円という話が出てきたのです。話が出てくるタイミングもおかしく感じたのですが,いろいろと嫌気がさしていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1267696544657993730
- 2020-06-02 14:35:26 "神戸から空車というのは私の記憶と一致するもので,朝に金沢市場輸送の事務所に顔を出したところで,本恒夫社長に今から九州に行けといわれ,その言われ方と,前からくすぶっていた不満と不信で,その場でやめると言ったことはよく憶えています。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1267691271063080960
- 2020-06-01 17:18:27 "被告発人安田敏は先に帰ったのか一緒にいなかったと思うのですが,裏駐車場にいるところに本恒夫社長が来て,私に命令するようにトラックを移動させるように言い,ちょうど私は気分が悪かったこともあり,かなり反発をする感じで断りをしました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1267369907445854208
- 2020-06-01 16:43:05 "運行の指示を受けるのに本恒夫社長と向き合うことも多かったのですが,そのときにも被告訴人池田宏美が視界に入ってきました。しかし,それを意識するのようになったのは,金沢市場輸送をやめたのに近い時期だったので,それ以前はどうだったのかと不思議に思います。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1267361010022670336
- 2020-06-01 16:40:27 "被告発人池田宏美の左手には本恒夫社長の机があって,こちらを向いていました。金沢市場輸送が市場急配センターと分かれた時に社長になったと聞いていたのですが,やっている仕事は以前と変わりのない配車係で,それも人に仕事を任せるようなタイプではなかったようです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1267360345128988677
- 2020-06-01 11:04:25 "被告発人安田敏の面接が行われたのもその運転手の休憩室で外からの出入り口に近い場所でした。4,5人ぐらいはいたように思うのですが,思い出すのは金沢市場輸送の社長になっていた本恒夫だけです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1267275781954125824
- 2020-03-28 18:24:59 "一方で,それが金沢市場輸送の会社の本質を隠す擬態であったとすれば,すべては演出や演技だったのかもしれないと考えるようになりました。被告発人松平日出男と本恒夫の対立関係については,当時から疑いの目があったのですが,藤村さんのことを疑うことはなかったと思います。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1243831442506805248
- 2020-03-28 14:16:05 "昭和61年の12月だと思いますが,配車係をしていた藤村さんが長期の入院をすることになり,竹沢俊寿社長に頼みこまれて,しぶしぶ代わりに配車係をするようになったというのが本恒夫でした。その頃に年齢が50歳と聞いていたかもしれません。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1243768802044592129
- 2020-03-28 13:46:33 "昭和59年の時点で,金沢市場輸送の最古参の運転手が後に金沢市場輸送の社長になる本恒夫で,それでも入社8年と聞いていました。当時の金沢市場輸送は,基本給が1年毎に1万円アップするという,当時の運送会社では余り聞かないシステムになっていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1243761370916507650
- 2020-02-06 17:32:57 "12月より早く、11月中だったような気もするのですが、本恒夫社長と蛸島のTSさんと私の3人で、北安江の焼肉店に行ったことがありました。まだ余り寒い時期ではなかったして記憶にあるのですが、別の時と記憶に混同があるのかもしれません。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1225336563334172672
- 2020-02-06 16:52:42 "しかし、その反感というのも他に目的があった計算ずくの演技や工作活動であった可能性があります。被告発人東渡好信が主導した平成3年春のストライキでは、反旗を翻された立場ではありましたが、被告発人東渡好信を金沢市場輸送に招き入れたのも本恒夫社長という話です。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1225326437785194497
- 2020-02-06 16:50:13 "いちおう配車係、としたのは、本恒夫社長が配車係の仕事を独占していたからで、私もよく不満を聞かされていました。本恒夫社長はお山の大将のようなところがあって、反感を買うことも多かったようです。最後は私も衝突をして、それで金沢市場輸送をやめることにはなりました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1225325811361648640
- 2020-02-06 15:48:32 "金沢市場輸送というよりは、配車係で金沢市場輸送の社長になった本恒夫社長との個人的な関係で仕事をしているような感じでした。不平不満を顔や口に出すタイプでもなく、まじめに仕事をこなすという印象でした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1225310286384484352
- 2019-09-28 20:27:11 "今考えると、あの日通とトナミ運輸の定期便を金沢市場輸送の本恒夫社長が手放さなかったため、被告発人東渡好信の出番となって、七尾市の丸一運輸の仕事が増えたとも考えられますが、丸一運輸の仕事について話を聞くことはありませんでした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1177907602925092864
- 2019-09-28 20:18:20 "金沢市場輸送から市場急配センターに移ったあと、いくらか不思議に感じたのは、金沢市場輸送の本恒夫社長が、それまで山三青果の定期便とセットになっていた行き荷の、日通の埼玉(岩槻市)千葉の定期便と、トナミ運輸の栃木への定期便を手放さなかったという話です。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1177905377091809280
- 2019-09-28 18:49:27 "本恒夫社長の妻に関しては、有線放送の関係の仕事をしていると聞いたことがあったのですが、これも話を聞いたときは、深くも考えずに聞き流していました。長距離運転手の仕事でも金沢市場輸送の仕事は、泊まりなど待機時間が長くて、運転手仲間で他愛ない長話をすることもよくありました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1177883005420859392
- 2019-09-28 18:22:34 "本恒夫社長の息子と天狗中田ハムの話は、誰から聞いたのか憶えていないですが、話を聞きながら会社の場所として金沢市の八日市から押野の辺りを想像していました。これは被告発人松平日出男の家の場所がある場所としても誰かに聞いたことがあった辺りです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1177876239450701825
- 2019-09-28 18:06:16 "今久しぶりに思い出したのですが、本恒夫社長に息子に関しては、天狗中田ハムの社員と聞いたように思います。この天狗中田ハムですが、昔からテレビCMでもちょいちょいと見かけています。現在はわかりませんが、石川県以外に会社を見かけたことはありませんでした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1177872140160266241
- 2019-09-28 17:58:49 "本恒夫社長は、平然と何食わぬ顔で食事をしていましたが、あとで考えると隣のテーブルでの声が耳に入らなかったのか不思議でした。家族の4人連れだったと思うのですが、本恒夫社長以外の顔というのはまったく記憶に残っていません。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1177870265985822721
- 2019-09-28 17:55:59 "今考えると、それほど驚くことだったのかとも思うのですが、輪島の言葉で「なんちゅう、よく食うおなごかえ」などと言い出したのです。そこで見たのが積み上げられた回転寿司の皿で、その奥に見慣れた本恒夫社長の姿ありました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1177869551603634176
- 2019-09-28 17:48:44 "聞いたところによると金沢市場輸送の本恒夫社長の娘の考案したデザインということでした。この本恒夫社長の家族というのは謎の部分が大きく、話を聞くことはありましたが、会社で姿を見るようなことは一度もありませんでした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1177867725902737408
- 2019-08-30 08:54:36 "tags: 平成3年6月と思われる金沢市場輸送から市場急配センターへの移行 被告発人松平日出男 被告発人安田敏 被告発人安田繁克 被告発人多田敏明 被告訴人池田宏美 本恒夫社長 金沢市場輸送 市場急配センター" https://twitter.com/kk_hirono/status/1167224058733199360
- 2019-08-29 18:29:52 "「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉を金沢市場輸送の本恒夫社長に向けて発したのは、普段より温厚そうにも見えていた丸刈りのスポーツ選手のような若者でした。当時は名前も知っていたかもしれません。今もなんとなく顔立ちが高橋課長とともに記憶にあります。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1167006442223620096
- 2019-08-29 18:24:28 "東北陸運塩釜本社では、実際に「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とまで言われたことを記録には記述していると思いますが、本恒夫社長の仕事相手の怒らせ方というのも尋常ではなかった様子で、それも他の目的のための計算ずくの意図的なものがあったようにも思えます。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1167005082497339393
- 2019-08-29 18:22:08 "Googleで確認すると日榮運送でも検索結果が出ましたが、漢字は「日栄運送」が正しいようです。金沢市場輸送では長崎県長与町のミカンの仕事もしていましたが、その後、大きなケンカ別れをしたと聞きます。それも本恒夫社長が相手を怒らせたようでした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1167004495538114566
- 2019-08-29 16:40:04 "なにより金沢市場輸送への入社が決まってすぐに、市場急配センターでの仕事が決まったことが素早い動きでした。当時、金沢市場輸送の本恒夫社長と市場急配センターの被告発人松平日出男は対抗心が強く折り合いが悪いとも言われ、本恒夫社長に関しては対外的にも摩擦を起こしていると聞いていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1166978810748628992
- 2019-08-29 16:31:23 "それというのも昭和60年になりますが、被告発人安田敏は金沢市場輸送に入社をして、仕事をしていた時期があったからです。当時は本恒夫社長も大型車の長距離の仕事をしていたので、顔を合わす機会が少なかったとは考えられましたが、どうなのかという思いはありました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1166976624371220482
- 2019-08-29 16:29:28 "今思い出せるのは、本恒夫社長だけですが、他にも2,3人の幹部級が同席していたように思います。本恒夫社長はたんたんと面接をしていましたが、あまりに自然体だったので、不思議に思いました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1166976142802182145
- 2019-08-19 12:41:14 "宇出津のTSさんとは金沢市場輸送に入社してすぐに打ち解けました。日野の大型保冷車の新車に乗務していました。1年ぐらいは経っているように聞いたとも思いますが、同じ頃に納車されたというもう一台の日野の新車に乗務していたのが、本恒夫でした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1163294829406593025
- 2019-07-29 12:25:56 "あまり詳しく具体的な話は聞かなかったとも思うのですが、当時の竹沢俊寿社長(その後、金沢市場輸送と市場急配センターの会長。金沢市場輸送の社長に本恒夫、市場急配センターの社長に被告発人松平日出男がなったことで)に不義理をして逃亡、それっきりとなりました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1155680833975439360
- 2018-12-07 16:19:42 "傭車というのは、傭兵という言葉もありますが、簡単にいえば傭われのトラックになるかと思います。これは金沢市場輸送で本恒夫などがよく使っていた言葉で、中西運輸商ではそれほど聞いてはいなかったような気もします。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1070940901281751040
- 2018-12-07 13:56:11 "前にも書いてきたことだと思いますが、本恒夫が私のアパートに夜に訪ねてきて、車の中で話をしたのですが、新車を入れて台数を増やすので、戻ってきたほしいという誘いがありました。私を新車に乗務させたのは竹沢俊寿の鶴の一声だったという話もありました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1070904781458141184
- 2018-12-07 13:35:19 "いかにも学校の先生という感じの女の人で、体格は大きかったと思います。真面目そうでいかにも学校の先生というイメージでしたが、その後、運転手のTさんと不倫関係になり、それを本恒夫に咎められて、退社したというような話を聞きましたが、噂レベルのようにも思える話でした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1070899531644993537
- 2018-12-06 12:17:13 "それでも被告発人東渡好信の場合は、曲がりなりにも会社の運転手としての仕事はしていたようです。そういう意味でもより特異に見えたのは、藤田博巳さんとYTの二人と、本恒夫社長の関係性でした。しかし、それも理解できる事情がまったくなかったわけではありません。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1070517488729747456
- 2018-12-06 12:00:39 "とりわけ本恒夫社長というのは、被告発人東渡好信を金沢市場輸送に招き入れた人物でもありますし、入社したあとの被告発人東渡好信の振る舞いというのが、策士のようなもので、本件告発事件の重要人物であり、現場監督的指揮者と目されます。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1070513319226658816
- 2018-12-06 11:51:02 "そのように断られた仕事いうのは、他の運転手にもお鉢がまわっていました。一度引き受けた以上は、やるほかないという事情があったのでしょう。本恒夫社長は、夜も22時か23時ころまでは毎日会社にいたようですし、朝も8時から9時の間には会社に来ていたようです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1070510900359000064
- 2018-12-06 11:45:09 "当時もそうだったと思いますが、本恒夫社長は、無理に仕事をとってトラックを回しきれず、自ら長距離の運行に出ることも度々あったようです。その回しきれない場合というのは、あてにした運転手に運行を断られることが多かったと考えられます。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1070509418687586304
- 2018-12-06 11:39:32 "藤田博巳さんとYTは、金沢市場輸送で配車係ということになっていましたが、配車の仕事というのは本恒夫社長がお山の大将のように独占していて、彼らも不満を口にしていましたし、事務所で見る姿というのもたまらないぐらい暇を持て余しているような様子でした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1070508007685902337
- 2018-12-01 16:06:53 "本恒夫については、昭和61年から63年の間辺りに、48歳とか聞いたような気がします。年齢を疑うことはなかったですが、当時の年齢の相場からは、かなり若く見ていました。昭和59年当時は、50歳の長距離トラック運転手は珍しい、引退すると聞いていた時代でした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1068763349129736192
- 2018-12-01 15:52:38 "その頃、金沢市場輸送で最古参の運転手と言われていたのが、本恒夫でしたが、それでも入社から8年と聞いていました。以前は、被告発人、被告訴人に含めていた本恒夫ですが、私の記憶も薄れ、容疑も親告罪ではないので、刑事手続からは外していますが、重要な接点を持つ人物に変わりはありません。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1068759760441417728
- 2018-12-01 15:26:22 "17時か、あるいは17時半が会社の定時となっていましたが、その時間になると、本恒夫が事務所の方から、そそくさと出ていて、待ちかねたように麻雀の準備のようなことを始めていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1068753149823868928
- 2018-12-01 01:22:53 "本恒夫が金沢市場輸送で運転手から配車係をするようになったのは、藤村さんの入院がきっかけでした。なにか手術をするという話を聞いていたように思いますが、体のどこが悪いということまでは話になっていなかったとも思います。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1068540880871555072
- 2018-12-01 01:21:07 "これは被告発人大網健二とも共通していたことですが、運が良かったのか、転職を機に、世にいうバブル景気の波に乗って上昇したというところも大きかったように思います。付け加えると本恒夫も同じになります。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1068540436069810178
- 2018-12-01 00:00:01 "間明からGoogleマップを少し移動させました。住所は金沢市東力町ハと表示されています。私が住んでいたのは東力二丁目でした。周辺を見ると少なくとも東力4丁目まではあるようです。東力3丁目というのは本恒夫の家があると聞いていた場所の辺りです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1068520028797001728
- 2018-11-30 19:20:32 "そういうことも積み重ねで余り自覚のないトラウマのようになっていたのかと思います。下道だと運行の時間も長くなりましたが、不愉快な思いも長引きました。一番、本恒夫ともめたのは、茨城県鹿島市から空車で帰った運行でした。古河市で国道4号線を横切ったのが夜の11時ころだったとも思います。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1068449694374748161
- 2018-11-30 19:12:22 "荷物を運んだ距離なので、積み込み先や卸先が多い仕事でも歩合は同じでした。当時は深く考えなかったですが、不満や不信感、軋轢を運転手の竹沢俊寿社長、会長の計算高い狙いであったようにも思えます。なお、併記は被告発人松平日出男と本恒夫が社長になった時点での会長職です。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1068447638972821504
- 2018-11-29 11:20:00 "被告発人安田敏がどれほどの間、金沢市場輸送で仕事をしていたのかはっきりわからないのですが、その後、金沢市場輸送の社長となった本恒夫とは面識があった可能性があります。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1067966376982134784
- 2018-11-29 00:47:29 "前に書いたと思いますが、その山三青果の仕事というのは、もともとは同じ金沢市の日栄運送がしていた仕事で、それを金沢市場輸送の本恒夫社長が奪い取ったという話も聞いていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1067807199844388864
- 2018-07-23 11:24:36 "記録にあるはずですが、昭和61年の12月頃、被告訴人、被告発人としていた本恒夫と自殺した蛸島のTSさんの3人で行った時と同じ焼肉店でした。その少し前にも高田という市内配達のまとめ役の主催で、運転手が集まり焼肉を食べに行ったことがあった店です。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1021219499272388608
- 2018-06-01 17:25:26 "以前は被告訴人本恒夫ともしていた本恒夫ですが、私の記憶が薄らいでいることもあり、現在は被告発人からも外した扱いにしています。事件の鍵を握る関係者で、とくに重要なのが被告発人安田敏との関係です。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1002466135575416833
- 2018-06-01 17:23:02 "なにか縁があったのか、私が初めに金沢市場輸送に入社したときも、宇出津のTSさんが金沢市場輸送で大型保冷車に乗務していましたが、私が入社してすぐに辞めていきました。乗務していたのは日野の新車の保冷車で、2台の新車がありましたが、もう一台の新車に乗務していたのが本恒夫でした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/1002465533093036032
- 2017-10-08 16:56:49 "本恒夫は、以前、被告訴人本恒夫と表記していました。被告訴人東渡好信との接点を含め事件の鍵を握る人物であり、捜査対象として必要不可欠の人物ですが、私の記憶も薄れており、殺人未遂が親告罪でもないので、とりあえず被告訴人というのを、今は外して書いています。" https://twitter.com/kk_hirono/status/916935399255109633
- 2017-10-08 16:54:06 "本恒夫は、昭和59年の時点で、金沢市場輸送で最も長い大型の長距離運転手だと聞いていました。それでも7年か、8年という話でした。鮮魚の仕事で、重量オーバーも多かったので、免許の点数のことでも長続きが難しい仕事だったのだと思います。" https://twitter.com/kk_hirono/status/916934715478700033
- 2017-10-08 16:50:20 "福井刑務所では、本恒夫が富山でヤクザをしていたような話も聞いていましたが、真偽の程は不明です。はっきりしていることは、地元としか思えない富山弁を話していたことです。富山の繁華街で飲み屋をしていたことは、金沢市場輸送の運転手になった金山さんからも聞いていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/916933766697836546
- 2017-10-08 16:37:50 "金沢弁も年配者ほど、独特の強いアクセントがありましたが、それに近いものを本恒夫との会話から感じることは、一度もありませんでした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/916930621468925952
- 2017-10-08 16:35:08 "本恒夫は、若いときから長く富山市内で水商売を経営していたと話していました。普段の言葉遣いも明らかな富山弁でした。金沢市の出身で少年時代も金沢にいたと話していましたが、それにしては富山弁が抜けないものかと、ときどき不思議に思っていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/916929941995872256
- 2017-10-08 16:27:31 "金沢市場輸送に対してと言うよりは、配車係の本恒夫個人に対する遺恨であったとも思います。内容は忘れていますが、それらしい話をいくつか耳にしていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/916928023495979008
- 2017-10-08 14:50:11 "はっきりしたことはわかりませんが、被告訴人梅野博之と同じく、市内配達の社員で、本恒夫に頼まれて、ちょくちょくと長距離の仕事をしているように見えました。二口町に金沢市場輸送の事務所が移ってからは、そこで姿を見たという記憶はありません。" https://twitter.com/kk_hirono/status/916903531906400257
- 2017-10-06 12:33:34 "中西運輸商にいたのは、一度目が1年3ヶ月、二度目が2ヶ月だったと記憶しています。昭和62年4月には、再び金沢市場輸送に戻っていましたが、配車係だった本恒夫に、大型保冷車の新車をいれるので戻って欲しいと誘われてのことでした。私の自宅アパートの前で、話をしたことを憶えています。" https://twitter.com/kk_hirono/status/916144375196925953
- 2017-05-07 01:19:26 "その本恒夫が運転手をやめ、配車係をするようになったのも昭和61年の12月頃のことで、それまで配車係をしていた藤村さんの長期の入院がきっかけで被告訴人竹沢俊寿に頼み込まれたという話でした。そして、同じ頃に入社したのが、被告訴人池田宏美と被告訴人梅野博之の二人です。" https://twitter.com/kk_hirono/status/860891765410103296
- 2017-05-07 01:16:37 "大半は金沢市場輸送のトラックで、その現場責任者になっていたのも金沢市場輸送の高田という人物でした。高田は会社のお金を持ち逃げしたような話もありましたが、富山の右翼団体が押しかけてきたことは、その場に居合わせたのでよく憶えています。本恒夫はずいぶん余裕の態度を見せていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/860891058263121921
- 2017-04-26 16:45:21 "その被告訴人東渡好信の金沢市場輸送への入社については、以前、金沢市場輸送の社長兼配車係となっていた本恒夫が運転手をしていた当時、石巻から鹿児島などに養殖魚のエサを運ぶ仕事をしていた頃、ちょくちょくフェリーで一緒になっていた運転手仲間だったという話でした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/857138513179013120
- 2016-12-01 17:13:39 "被告訴人本恒夫も今回、被告訴人に名を連ねることを見送りましたが、他との区別のため被告訴人本恒夫としておきます。被告訴人本恒夫のことも過去の書面には必要十分な記述をしており、被告訴人東渡好信との関係など、事件の重要人物です。" https://twitter.com/kk_hirono/status/804237008524558336
- 2016-12-01 17:11:34 "金沢市場輸送の事務員の退社時間も17時だったように思いますが、その時間に会社にいると、金沢市場輸送の社長になり配車係をしていた被告訴人本恒夫が、待ってましたとばかりに麻雀の用意を始めていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/804236483083128832
- 2016-08-21 14:14:26 "うつ病になった人の話に共通する部分は他にもあって、右翼の街宣車が県外から100台ほど集結して攻撃に来るという話がありました。攻撃の対象は、金沢市場輸送の配車係兼社長になっていた本恒夫です。大阪の運送業者とトラブルがこじれて、そういう事態に発展したという話でした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/767228343896842240
- 2016-08-19 11:40:18 "竹沢俊寿も本恒夫もこれまで、被告訴人竹沢俊寿、被告訴人本恒夫としてきたものですが、記憶も薄れ十分な嫌疑の裏付けもできなくなっているので、手続き自体をスムースに進めるため、今回は外そうかと考えています。また、竹沢俊寿はずっと前に死んでいる可能性があります。" https://twitter.com/kk_hirono/status/766464779426729984
- 2016-08-19 11:36:13 "平成1年の秋となるかと思いますが、そこで長距離の配車係をしていた本恒夫が金沢市場輸送の社長になり、それまで金沢市場輸送の社長だった竹沢俊寿が金沢市場輸送と市場急配センターの会長になりました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/766463752929587200
- 2016-06-28 21:09:11 "そのあと、3人で私のおごりで北安江の焼肉店に行きました。昭和61年の秋に夕方のまだ明るい時間に市内配達の飲み会があった焼肉屋で、同じ年の12月ころには、被告訴人本恒夫と蛸島の長松さんの3人でも行った焼肉店です。" https://twitter.com/kk_hirono/status/747763776888279040
- 2016-06-26 22:26:15 "日曜日のそんな時間帯に、被告訴人本恒夫が市場急配センターの駐車場に来たことも偶然とは思えないものがあります。少しあとになると思いますが、同じ10月中には、被告訴人安田敏の工事現場への突入の件もありました。「参考資料扱いにした過去の告訴状の下書き」でも古いものには書いたかと。" https://twitter.com/kk_hirono/status/747058393437736960
- 2016-06-26 22:19:30 "同じ平成3年10月6日の時点でも、何台か金沢市場輸送の大型トラックが市場急配センターの駐車場には駐車されていて、被告訴人本恒夫がそこに来て、トラックを移動させろと言ったのを、その場で断ったことを憶えています。" https://twitter.com/kk_hirono/status/747056696111955968
- 2016-06-26 21:29:55 "市場急配センターという社名を聞いたのも平成1年の秋だったと思いますが、それまで金沢市場輸送の社長だった被告訴人竹沢俊寿が会長になり、配車係だった被告訴人本恒夫が金沢市場輸送の社長、被告訴人松平日出男が市場急配センターの社長になったと聞きました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/747044218481184768
- 2016-06-26 21:13:57 "金沢市場輸送をやめると被告訴人竹沢俊寿に会長室で話したのは午前中だったと思います。しばらく仕事に出てこないでも給料を支払うからやめないでくれとも言われました。実質的にやめることにしたのは、被告訴人本恒夫の挑発に乗ったからですが、それが良い機会だと判断しました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/747040197976547328
- 2016-06-26 08:45:30 "相談もなく自動車学校に行くことも決めていましたし、入社の条件から被告訴人東渡好信が事を起こしたタイミングなど、金沢市場輸送の社長だった被告訴人本恒夫らと予め示し合わせた段取りとしか思えませんでした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/746851843737718784
- 2016-06-25 04:50:44 "昭和61年の12月頃に配車係になっていた被告訴人本恒夫に強く求められ、大型車の新車が入るということで、昭和62年4月に金沢市場輸送に戻り、大型保冷車のイスズの新車7599号に乗務しました。ちょっとこのナンバーの記憶にも自信が持てなくなっています。" https://twitter.com/kk_hirono/status/746430376495579137
- 2015-08-03 12:55:07 "被告訴人本恒夫の手柄話や、自慢話にも辟易し、あきれ果てたようなことを話していたかと思います。お歳暮とかも自分の実力で、戦利品のように自慢して喜んでいたような話だったかと思います。" https://twitter.com/kk_hirono/status/628051442796859392
- 2015-08-03 12:34:06 "被告訴人本恒夫が運転手に指示を出すときは、休憩室の方に入ってきて話をすることも多かったと思いますが、休憩室の中央には割と大きな黒板があって、全部の運転手の運行状況と、荷物の行き先と荷主のことが、すぐにわかるようになっていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/628046153917927424
- 2015-08-03 12:26:57 "この二人に、被告訴人竹沢俊寿の夫人と被告訴人池田宏美というのが、金沢市場輸送の事務所にいつもいるメンバーでした。夫人と池田宏美は被告訴人本恒夫の前の奥の方の机で向かい合い、夫人の方が運転手の休憩室との窓に接していました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/628044355572359169
- 2015-08-01 15:28:57 "○西さんは、その一回目のイワシのシーズンの頃、50歳になったと話していたように思います。被告訴人本恒夫より少し年上だったかもしれません。平成1年に50歳であれば、現在は77歳ぐらいになりそうです。これまでなんとなく思っていたよりは若い年齢です。" https://twitter.com/kk_hirono/status/627365380055404544
- 2015-07-31 12:15:12 "金沢市場輸送の事務所が二口町に移転してからもしばらくは仕事の関係が続き、守田水産輸送のトラックが金沢市場輸送に給油に来ていたほどでしたが、被告訴人本恒夫との仲がこじれたらしく、ぱたりと仕事のやりとりがなくなりました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/626954234123038721
- 2015-07-30 01:55:43 "9月ころと言うのは私が市内配達の仕事を初めて間もない頃のことで、12月お思われる時期のことは、被告訴人本恒夫と蛸島のTSさんの3人で行った時のことです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/626435950046896128
- 2015-07-29 16:44:56 "前にも書きましたが、被告訴人本恒夫が運転手をやめて配車係の仕事をするようになったのは、藤村さんの長期入院がきっかけで昭和61年の12月ころのことです。ちょうどバブル景気の時代の波に乗れることが出来たのだと思いますが、被告訴人本恒夫はそれを実力と実際以上に過信したようです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/626297341692149760
- 2015-07-29 16:29:21 "ついでに書いておくと関係自体は続いていた東北陸運の塩釜本社のいつも丸刈りの人も、被告訴人本恒夫に対して強い憤りを憶えたらしく、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と言ったそうです。私自身もその言葉を聞いたような気がするのですが、とにかく運転手の間では話題になっていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/626293419917180928
- 2015-07-29 16:26:44 "その日栄運送との関係が決裂し、仕事の関係も全くなくなったのですが、被告訴人本恒夫が原因を作ったらしく、もともと温厚な老紳士のような日栄運送の配車係の人でしたが、骨髄に徹するような恨みを持つことになったというような話も聞きましたし、心なしかその後見た時、険しい形相にも見えました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/626292758907490304
- 2015-07-29 16:21:13 "元はといえば古河の山三青果の仕事も日栄運送がやっていたもので、それを金沢市場輸送の被告訴人本恒夫が横取りをしたような話も聞きました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/626291370748055552
- 2015-07-29 14:10:52 "「2013年6月から2014年12月に作成した告訴状の下書き」にも書いたと思いますが、本当は右翼団体の方が押しかけたということになるのかとも思いますが、対応した被告訴人本恒夫の態度が慣れた感じで堂々としていて、若者のほうが挨拶に来たようにも見えました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/626258565750063104
- 2015-07-29 14:00:43 "二口町の事務所に移転してからのことで季節は秋だったような場面が記憶になっています。金沢市場輸送の方はそのまま被告訴人本恒夫が社長になったわけですが、市場急配センターという社名が出来てのもその時ではなかったかと考えられます。" https://twitter.com/kk_hirono/status/626256012790476800
- 2015-07-29 07:55:19 "事務所は同じでしたが、別会社になったという話は聞きました。それまで金沢市場輸送の社長だった被告訴人竹沢俊寿が会長となり、被告訴人本恒夫と被告訴人松平日出男がそれぞれ社長になったという話でした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/626164058497028096
- 2015-07-28 03:04:31 "輪島のMYが予定されていた九州行きの運行に出てこなかったために、夕方暗くなった時間に社長兼配車係の被告訴人本恒夫に、代わりに九州に走るように指示を受けたのですが、きっぱり断ったので、ずいぶんと不快な顔をしていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/625728486448082944
- 2015-07-26 16:41:47 "当時、金沢市場輸送には藤村さんという配車係もいました。その藤村さんが長期の入院をすることになり、社長だった被告訴人竹沢俊寿に頼み込まれて配車の仕事をするようになったのが最古参の運転手だった被告訴人本恒夫で、昭和61年の12月頃のことです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/625209382658183169
- 2015-07-25 13:29:57 "結婚していたようですが、金沢市場輸送のある運転手といわゆる不倫の関係になり、そのトラブルで会社をやめたと聞きました。相手の名前も憶えていますが、ここで書くわけにはいきません。なにやら被告訴人本恒夫が厳しい対応をしたような話も小耳にはさみました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/624798718403854336
- 2014-10-06 17:56:58 "中西運輸商の真似をしたのか参考にしたのかもわかりませんが、金沢市場輸送の本恒夫も規模は小さいものの似たようなことをやって、傭車に仕事を回すようになっていきました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/519048661162930177
- 2014-10-06 15:05:00 "被告訴人本恒夫と新出さんとの個人的な関係と言ったほうが良いかもしれません。どこでどのように知り合い、傭車をするようになったのか具体的なことを聞いてはいないようにも思いますが、新出さんとは個人的に話をする機会も割と多かったので、憶えていないだけで聞いていたこともあるかもしれません。" https://twitter.com/kk_hirono/status/519005380446126080
- 2014-09-25 10:25:35 "あるいは被告訴人松平日出男の姿もそこにあったのかと思いますが、被告訴人本恒夫と犬猿の仲とも言われていた被告訴人松平日出男の姿が、その場にあったということは、割と珍しかったようにも思えます。" https://twitter.com/kk_hirono/status/514948798045384704
- 2014-09-25 10:23:56 "金沢市場輸送の社長になっていた被告訴人本恒夫が主に面接をしていましたが、周りに3,4人の人の姿があったようなこともぼんやりと憶えています。誰だったのか思い出せなくなっていますが、いずれも会社では発言力もあるような立場の顔ぶれだったと思います。" https://twitter.com/kk_hirono/status/514948381383204865
- 2014-06-26 17:53:17 "河野秀美さんは金沢市場輸送でも権利意識の強い運転手だったようで、それで配車係の被告訴人本恒夫とも衝突することがあるとか聞いていました。仕事ぶりはともかく、会社の側では扱いづらい運転手でもあったようです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/482084170374447104
- 2014-06-25 00:06:46 "金沢市場輸送の社員として金沢市場輸送での仕事というのは一日もなかったように思います。金沢市場輸送は長距離が主体の運送会社ではありましたが、前にいたYTとFHの二人の配車係も、配車係の仕事というのは被告訴人本恒夫にほとんんど与えられなかった様子でありながら時々の仕事はしていました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/481453386257027073
- 2014-06-24 16:11:09 "はまったトラックを引き出すのに活躍したのは金沢市場輸送の配車係兼社長だった被告訴人本恒夫でした。昔、暴走族がよく着ていた特攻服のような作業服姿であったことも印象に残っていますが、引き上げが成功する前後には、一時的な土砂降り雨が降ってきたのも印象的でした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/481333691323412481
- 2014-06-22 10:51:19 "被告訴人本恒夫との衝突で金沢市場輸送をやめることになり、被告訴人安田繁克の50万円の借金の保証人になっていたことで、被告訴人松平日出男に 話をしに行ったのが、2度めの市場急配センターの事務所に入った時だったと思います。" https://twitter.com/kk_hirono/status/480528426327998464
- 2014-05-19 10:12:08 "前にも書いていると思いますが、初めに会社で姿を見るようになったのは、被告訴人本恒夫が配車係をするようになった頃で、昭和61年の12月ころと思われます。被告訴人池田宏美とも同じ頃ですが、思えば竹林も同じ頃だったと思います。" https://twitter.com/kk_hirono/status/468197378827091968
- 2014-05-16 15:57:34 "市場急配センターでは金沢市場輸送より高層道路の利用も緩やかに認められてはいましたが、全く長距離の経験のない松平日出男社長が指示を出すこともあったので、そのあたりもかなり緩やかだったと思います。本恒夫とはしばしば衝突することもありましたが、自腹で高速を使うことはほぼなかったです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/467197146999947264
- 2014-05-13 11:41:59 "富山県氷見市に掘安という小さな運送会社があって、鮮魚を運ぶ会社でしたが、被告訴人本恒夫の傭車として金沢市場輸送の仕事をすることが多く、たまに仕事をもらって氷見港から魚を運ぶこともありました。東京が多かったですが、九州に行ったこともありました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/466045662820196352
- 2014-05-12 16:12:06 "被告訴人本恒夫が配車係をするようになったのは昭和61年の12月頃のことだったと思います。私は市内配達の仕事をしながら、東蚊爪の運転免許センターに大型免許の試験に通い、9回目だったかにようやく合格したのが11月27日だったのです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/465751253255852032
- 2014-05-12 16:07:56 "被告訴人本恒夫は藤村さんが入院するため、代わりに配車係をやってくれと竹沢寿俊社長(当時。後に金沢市場輸送と市場急配センターの会長)と懇願されて、仕方なく引き受けた。給料も下がって大損だが、他にいないので仕方なく引き受けたと、何度も話していたのです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/465750204000378880
- 2014-05-12 16:02:20 "あえて家族関係に亀裂や波風を立てるような配車にしか思えなかったのです。そういうこともあったので、同じく年末に輪島のMYの代わりに九州に走れと本恒夫に言われた時も、私はきっぱり強く断ったのです。給料の差し押さえを被告訴人竹沢寿俊が小躍りするように喜んでいた時のことです。" https://twitter.com/kk_hirono/status/465748794978492416
- 2014-05-12 15:56:14 "よく考えてみると次男も割と大きくなっていたと思うので平成1年のクリスマスイブだったかもしれません。いずれにせよ、その時私は具体的に本恒夫への不信感を持つようになりました。" https://twitter.com/kk_hirono/status/465747261247340544
- 2014-05-12 15:54:46 "ついでに書いておくと、昭和63年のクリスマスイブつまり12月24日だったと思いますが、被告訴人本恒夫の強い指示で、蛸島港にイワシのダンベを積みに行かされたことがありました。それが羽咋郡富来町の西海港での翌朝降ろしの仕事でした。" https://twitter.com/kk_hirono/status/465746888503726080
- 2014-05-12 15:42:59 "上記画像は、事務所内の大まかな間取りです。事務の机は向かい合わでで全部で6つではなかったかと思います。入って手前の左側の机には配車係の藤村さんが座っていて、入院後は被告訴人本恒夫が座っていたと思います。" https://twitter.com/kk_hirono/status/465743926901497856
ああ33
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2021年2月12日金曜日
「本恒夫」を刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中(@kk_hirono)で検索
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- 20070326: 個人的な見解では、本恒夫という男は、計算ずくでそのような軽率な挑発をやり、自分の本来の姿を覆い隠していたふしが窺えます。
- 20070326: 仕事の方が金沢市場輸送の方でもらうのがほとんどで、日栄運送に仕事を回すというのは余りなかったようです。詳しくは知りませんが、そんな義理を欠くかたちで、本恒夫は仕事を横取りしたそうです。それだけやり手であったのは事実のようですが、やり方が卑劣というか恥知らずの非常識で、各方面で何かと恨みや反感を買っていることもちらほらと耳にしていました。中には「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」と言われた運転手もいたそうです。
- 20070326: もともとその古河の仕事というのは、同じ金沢の日栄運送がやっていた仕事で、金沢市場輸送の本恒夫がそれを強引に横取りしたらしく、ずいぶんと反感も買っていたようです。
- 20070305: 金沢市場輸送、市場急配センターの経営者であり、金沢市場輸送の社長であったものの会長になると同時に、本恒夫を金沢市場輸送の社長にし、松平日出男を市場急配センターの社長にしました。
- 20070305:本恒夫について
- 20070305: 当日の松平日出男や本恒夫の態度ですが、安藤文さんに対する不信感を増幅させ、相乗効果を狙った暗示性の高い、演出だったと考えられます。詐欺の技術としても高度な部類に入り、一般には認知されることもない、といえるのかもしれません。
- 20070305: その時、私がおかしいと感じたのは、松平日出男が指摘するぶつけたというトラックの部分もはっきり確認できなかったことです。フロント部分と言いますか、前面だったと思いますが、もともと傷んでいるようなポンコツに近いトラックだったので、松平日出男が目ざとく物損を見つけたというのも、また、それに一方ならぬこだわりを見せたというの不可解なことであったのです。ちょうど、そんなときに、本恒夫が駐車場にやってきて、私に命令をしたのですが、似たような感じで本恒夫の態度にも不自然さが感じられました。
- 20070305: 同じ頃、本恒夫が市場急配センターのトラック駐車場に来て、私にやや挑発的な態度で、トラックを移動させるよう命令したことがあったのですが、これは私が安藤文さんに初めて交際を断られた翌々日なので、10月7日の月曜日になると思います。
- 20070305: 事故というほどのものではありませんでしたが、平成3年の11月頃には、夕方に10トン車を会社近くの工事現場に突入させ、松平日出男が金沢市場輸送から応援を呼んで、別の10トン車で引っ張り出すという出来事がありました。金沢市場輸送で麻雀をしていた多数が集まり、引き上げには予想以上に手間取って時間がかかり、途中激しい夕立もあってずぶ濡れになる姿もあったと記憶しています。特に印象的だったのは、本恒夫が無言で真剣になって作業をする姿でした。
- 20070305:(2)本恒夫
- 20070305:竹沢俊寿、本恒夫、松平日出男、安田敏、梅野博之、池田宏美、安田繁克、多田敏明、東渡好信等最低9名以上の者
- 20061002: とりわけ、竹沢俊寿、松平日出男、本恒夫、東渡好信の四名においては、首謀者として主導的な役割を担ったのであるから、同種事案の再発防止のためにも、二度と社会に戻ることがない終身独居の刑罰処遇を含め、無期懲役の選択が不可欠であると付言する。理知的で冷徹な犯行、人間性に向けた重大な挑戦、その所業には地獄ですら生ぬるいという処置を知らしめなければならない。
- 20061002: また、自腹を切った慈善で割の合わない少ない給料で配車の仕事をするようになったと話していた本恒夫が、じつは月給一〇〇万円の条件でボーナスも破格の待遇を受けていたという噂が金沢市場輸送社内に流れたのも、安田敏が入社した直後のことだった。
- 20061002: この過程において、本恒夫は廣野を意図的に挑発し、金沢市場輸送をやめる方向に導き、安田敏の借金の保証人のことで話し合いに訪れた市場急配センター事務所で、松平日出男が一日1万五千円の市内配達のアルバイトを持ちかけ、廣野が承諾して仕事を始めるや、すぐに、市場急配センターで大型車を導入し青果物の長距離トラック業務を行うので、大型車に乗務して欲しいと持ちかけた。
- 20061002: 東渡は入社した当初から、芝居がかった非常識で突飛な行動を起こすことが多く、平成三年の春頃には、主導してストライキ問題を引き起こし、竹沢俊寿本恒夫との対峙を装っていたが、実際には意思を通じ手を取り合った共同演出であった公算が高い。
- 20061002: 被告訴人東渡好信は、平成二年の秋頃、金沢市場輸送に入社した。本恒夫の紹介という噂であった。
- 20061002: 大網健二には大網周一という一つ年上の兄がいて、大網周一は浜口卓也と自他共に兄弟分というほどの親密な関係であった。また、この大網兄弟は昭和五九年当時、廣野の紹介で金沢市場輸送で長距離トラックの仕事をしたこともあり、竹沢俊寿、本恒夫とも顔見知りであった。なお、中町も昭和五九年の秋頃からしばらくの期間、金沢市場輸送で長距離トラックの仕事をしていた経歴がある。
- 20061002: 金沢市場輸送は表向きの運送会社とは別に、何らかの組織的犯罪活動を行っていた集団であると推定される。昭和63年の8月か9月頃松平日出男が市内配達部門の責任者として入社し、その後半年から一年ほどで、市場急配センターという別会社を設立、金沢市場輸送の社長であった竹沢俊寿が会長に就任し、金沢市場輸送の配車係であった本恒夫が金沢市場輸送の社長、松平日出男が市場急配センターの社長にそれぞれ就任した。
- 20061002: 被告訴人竹沢俊寿俊寿は、金沢市場輸送株式会社、市場急配センター株式会社(金沢市駅西本町4丁目2番12号所在)両社の会長であり、両社の実質的経営者であったもの、被告訴人本恒夫は金沢市場輸送の社長、被告訴人松平日出男は市場急配センターの社長、被告訴人東渡好信、池田宏美、梅野博之は市場急配センターの事務員であったもの、被告訴人、安田繁克、多田敏明、浜口卓也、安田敏は市場急配センターの社員運転手であったものであり、被告訴人、大網健二、大網周一、加田義満は告訴人廣野秀樹の友人関係にあったものである。
- 20061002:(2)本恒夫
- 20061002:竹沢俊寿、本恒夫、松平日出男、安田敏、梅野博之、池田宏美、安田繁克、多田敏明、東渡好信等最低9名以上の者
- 20060909: 吉村哲と藤田の二人は、中西運輸商に対して挑戦的で、中西運輸商から佐川急便の仕事を奪うことを目的にし、そのために金沢市場輸送に来たようですが、本恒夫がお山の大将のように独善的で、佐川の仕事には消極的だったようです。それでも金沢市場輸送のトラックで、佐川の仕事を中西運輸商の庸車ですることもありました。
- 20060909: だいたい30トンほど満載にし、主にフェリーを使ってやる仕事で、東渡も以前やっていたと話、東渡が金沢市場輸送に来るきっかけになったのも、以前、フェリーのなかなどで本恒夫と東渡が知り合い、たまたま再会してことで、本恒夫の方から誘ったような話でした。
- 20060909: 金沢市場輸送には昭和59年頃、大西真というこれも古参の運転手がいました。50歳と年齢を聞いていましたが、何時頃であったのかははっきりしません。本恒夫よりはすこし年上のようでした。
- 20060909: 守田水産輸送は、もともと金沢市場輸送と同じ中央市場前の2階建てテナントビルのなかにあった会社で、本恒夫が配車係をするようになってから仕事のやりとりもするようになったのですが、1年半ほどで付き合いも断絶したようです。
- 20060909: その時安田繁克は、本恒夫が大阪の方の運送業者とトラブルになったらしく、右翼が街宣車を100台ほど連ねて攻撃に来る、などと話していたのです。あり得そうなことであったので、その時は本当の話だと感じていました。
- 20060909: この時の問題自体は、たいしたことがなかったのですが、ゴールデンウィークに前後して東渡好信がクーデターのように起こしたストライキの問題が尾を引いていて、私が本恒夫という人間に見切りをつけ、やめることにしたのです。
- 20060909: 最後の運行のことはよく覚えています。神戸でミールを降ろし、空車で帰ったのですが、金沢刑務所でも顔を合わせたYAと一緒の運行でした。夜中一緒に、敦賀のガソリンスタンドで給油したことも憶えています。朝になって事務所に顔を出したところ、本恒夫に挑発的とも受け取れるような態度で、九州行きを指示され、これを断って、会社に出なくなったのです。これが6月18日の朝ということになりそうです。
- 20060909: 本恒夫は私が初めて金沢市場輸送で働いた昭和59年当時、入社7,8年目という最古参の運転手でした。これは特別な意味もあることで、金沢市場輸送の給料システムでは、1年ごとに基本給が1万円ずつ増えて行くようになっていたので、一番の高給取りでもあったと推定されます。
- 20060909: 可能性は小さいと思いますが、サスペンスドラマのように考えると、この話を聞いてしまったことが、あとの事件に繋がったのかもしれません。本恒夫は酒に弱く、ビール一杯でも顔が真っ赤になるようなたちで、うっかり口を滑らせてしまったのかもしれません。この一事だけでは、穿ちすぎのようですが、表向きの運送業とは別の裏の犯罪組織のような活動を続けて行く上で、私が不都合な存在になったことは合理的にも考えられることかと思います。
- 20060909: 被告訴人の一人、本恒夫のことですが、彼は金沢生まれですが、二十歳前ぐらいに富山市の方に行き、繁華街で飲み屋を経営していたそうです。数店舗経営している実業家のような話しぶりでした。自分が時代に先立って、カラオケを導入したとも自慢していました。
- 20060903: 同じ頃、金沢市場輸送にも電話を掛け、数年ぶりに本恒夫と話をしましたが、初め本恒夫は、私の名前を出しても知らないようにとぼけ、しばらくしてから思い出したように話を始めました。トラックの仕事をしたいので、現在の運送業界の事情について教えて欲しいといったところ、「君がいた頃の三分の二の給料で、」などと、よくない状態なのでとてもお勧めではないという説明をしていました。
- 20060805: 本恒夫も同じ東力だったが、私自身町内や地域との交流は皆無の状態だったので、その辺りのことはよく分からない。ただ、安田繁克の場合、子供の頃からそこに住んでいた可能性もあるので、知人もいて近所付き合いもあった可能性はある。
- 20060726: 本恒夫は当時で50歳少し前ぐらいだったと思われます。新社屋に移ってから藤村も復帰したのですが、配車の仕事は本恒夫の独占になっており、ミールの積み込みのフォークリフトの運転など冷や飯を食わされ、片隅に追いやられていたようです。本当に目立たない存在になっており、私がやめた平成3年の6月頃にいたのかどうかの、記憶も残っていません。いなくなっていたとすれば、まったく目立つこともなく消えていったことになります。
- 20060726: 藤村が一人で配車係をしていたようですが、その昭和61年の12月頃になって、長期の入院治療をすることになったらしく、竹沢俊寿に頼まれてしぶしぶ配車をするようになったというのが、最古参の運転手であった本恒夫でした。
- 20051224:竹沢俊寿、本恒夫、松平日出男、安田敏、梅野博之、池田宏美、安田繁克、多田敏明、東渡好信等最低9名以上の者
「蛸島」を過去のはてなダイアリーの記事から検索
- 20060903:<蛸島事件>
- 20060820: 他にも「菊谷設備」という西インターに近いところにプレハブの事務所を構えた小さな会社があり、そこも協力関係にある同業者で、親方と授業員一人という二人だけの会社でしたが、その授業員の私より年下の若者は、珠洲市蛸島町の出身だと話していました。
- 20060726: 彼女は珠洲市の出身で、蛸島町の隣の正院町だと聞いたかもしれません。私自身彼女の姿を見たことはありませんでした。その彼女と別れることになったらしく、途端に生活も派手になり、散財をするようになったようです。別れた理由についても、聞きもしないのに私に話していたことがありました。母娘の面倒を見ていたのに、誠意を裏切られたようなことをこぼしていました。
- 20060726: ちなみに、59年当時の配車係は、蛸島出身の北浜太一という男と、藤村という男でした。61年には、北浜太一はいなくなり、蛸島に戻って浜田漁業の配車係をするようになっていたようです。
- 20060726: ミールの仕事というもの、前年の昭和60年頃から始まったようです。蛸島に本社がある浜田漁業金沢工場の仕事でした。昭和59年頃にはまだやっていなかったはずです。
- 20060726: 長松さんは、「ちょうまつ」と読み、下の名前は「せいじ」でした。つまり「ちょうまつせいじ」です。彼は珠洲市蛸島町に家があると聞いていました。名前だけは、高校生の頃から知っていました。
2021年2月11日木曜日
「市場急配センター」を過去のはてなダイアリーの記事から検索
- 20060805: 平成10年11月20日頃市場急配センター事務所で会見した松平日出男、労務の責任者という堂野の二人は、竹沢俊寿は司法書士の免許を持っている法律のプロで、私に是非相談に行くよう、しつこく哀願じみた口調で繰り返していた。
./t:- 20060827: 思い当たる節といえば、11月の20日頃に市場急配センターの事務所で松平日出男と堂野の二人と会見をして話をしたことでした。当時の模様についても詳しく書いたものがあり、これまでの告発状にも記述しているかと思います。
./t:- 20061016: 安藤健次郎さんの口からは、「刑事裁判は終わった。次は民事や」という言葉も出ました。かなり取り乱したような様子でした。奇しくもこれは、前年にあたる平成10年11月20日頃、市場急配センターの事務所において、松平日出男と堂野の二人が言っていた言葉とまったく同じでした。
./t:- 20070305: 犯罪への関与について明確に指し示す具体的な根拠はありませんが、東渡を金沢市場輸送に招き入れ、その直後から東渡が傍若無人な振る舞いで混乱を引き起こし、他の社員をそそのかしてストライキを行い、対立的な立場であったときの態度、私に会社に愛想をつかせて、市場急配センターに導いた振る舞い、そのきっかけを作った安田敏の入社など、事情に知悉し了解していなければなしえなかった関与をしている人物です。大の麻雀好きで、連日夕方から金沢市場輸送の休憩室で麻雀をしており、東渡や堂野もその常連メンバーであり、松平日出男やその友人であるカベヤこと松岡という人物もよく出入りをしていました。
./t:- 20080624: 安藤健次郎さんの口からは、「刑事裁判は終わった。次は民事や」という言葉も出ました。かなり取り乱したような様子でした。奇しくもこれは、前年にあたる平成10年11月20日頃、市場急配センターの事務所において、松平日出男と堂野の二人が言っていた言葉とまったく同じでした。
./t:- 20090707:犯罪計画の中心人物と目される市場急配センターの松平日出男社長は、私が被害者と結婚したいと言ったとき、「ほう、それが一番都合のいい話やな」と言っていました。現在の市場急配センターの社長は、堂野俊一になっているようです。市場急配センターのホームページにそのような記載があるのですが、代表取締役になっています。
- 20130704: これが国家権力の一面のように思われます。金沢刑務所でのことは、これまでも色々書いていると思いますし、これからも書いて行きます。色々考えられるのですが、闇の裏社会に市場急配センターらの事件を周知させ情報を集まりやすくし、同時に私や安藤文さんの身の安全を図ったことも考えられます。
- 20090707:*1246960274*[告発事件]市場急配センターホームページのアクセス状況(2009年7月7日)
- 20090707:犯罪計画の中心人物と目される市場急配センターの松平日出男社長は、私が被害者と結婚したいと言ったとき、「ほう、それが一番都合のいい話やな」と言っていました。現在の市場急配センターの社長は、堂野俊一になっているようです。市場急配センターのホームページにそのような記載があるのですが、代表取締役になっています。
- 20090301:*1235913951*市場急配センターホームページのアクセス状況(2009/03/01)
- 20080712:
2.1.3 TODO 2008年1月2日現在における市場急配センターの状況
- 20080712:
- 2.1.3 2008年1月2日現在における市場急配センターの状況
- 20080712:2.1.3 TODO 2008年1月2日現在における市場急配センターの状況
- 20080712: + 2.1.3 2008年1月2日現在における市場急配センターの状況
- 20080624: ちなみに、安藤健次郎さんの立場からすれば、私に対する責任追及とは別に、法人としての市場急配センターやその関係者に、「安全配慮義務違反」の債務不履行で、損害賠償請求をすることが出来たはずです。民法上の損害賠償請求には、不法行為とこの債務不履行がありますが、債務不履行は立証責任が訴えを受けた被告の側になるなど、不法行為より有利な条件も存在するようです。
- 20080624: 安藤健次郎さんの口からは、「刑事裁判は終わった。次は民事や」という言葉も出ました。かなり取り乱したような様子でした。奇しくもこれは、前年にあたる平成10年11月20日頃、市場急配センターの事務所において、松平日出男と堂野の二人が言っていた言葉とまったく同じでした。
- 20080326:> しかるに、市場急配センターの連中に対する、怒りや不信、義憤というものは、
- 20071008: プライバシーなど、諸々の問題があることは、当初より深く認識しており、そのための説明もこれまで何度か繰り返してきたはずです。そして、繰り返しになりますが、私は正規に裁判所や検察に手続きをとり、10年以上の経過を経て、インターネットを利用した情報公開に踏み切っており、披告訴人の中心である市場急配センター株式会社には、公開に先立ち、言い分があり、誤解や不当と考えるのであれば、意見や弁明をうながすだけでなく、訴訟提起も望むところで、正面から受けて立つという趣旨の、「求意見書」という書面も郵送しています。
- 20070618:<市場急配センターホームページアクセス状況2007年6月18日>
- 20070326: 私と安藤文さんは同じ会社といっても、市場急配センターの場合、毎日同じ事務所の中で、顔を会わすような間ではありませんでした。運転手であった私は会社にいても一階の休憩室にいることの方が多く、二階の事務所にいる安藤文さんと顔を合わせるのは、基本的に用事があるときだけでした。従いまして、私から見えていた状況の範囲というのもごく限られたものになるはずです。
- 20070326: 金沢市場輸送や市場急配センターでは、年齢層がはっきりと分かれていました。二十歳前から二十代の層と、40代からそれ以上の年齢層です。
- 20070326: 噂の専務の姿を私が市場急配センターの事務所でみたのは、3月の10日頃の夕方でした。はっきりしているのは既に大相撲が始まっていて、松平日出男が私に「相撲でもみいや」と声を掛けたことです。その直前、松平日出男は安藤文さんを私からガードし、庇うようにして、会社前の車まで彼女を送り届けていたのです。台所付近で、私が彼女を問い詰め、問い質すようなことを言ったのが原因だったと思いますが、今現在の記憶だけでは状況が断片的ではっきり思い出せません。
- 20070326: 私自身金沢市場輸送にいた頃、小林運送の社長に、事務所に連れ込まれたこともあり、助手を始めた少年時代には、「お前は、今日から家畜や」と言われたことがありました。どこぞのうどん屋に殴り込みをかけたとか、そんな荒っぽい話しもずいぶん聞く、そんな社風の運送会社でしたが、市場急配センターが小林運送の仕事を始めたと聞く、少し前ぐらいに、浜口卓也が小林運送の運転手をどこかに連れ込み、こづいて脅したか、ケンカを売ったような話しも聞いていました。東渡らの話しで、彼らも小林運送をへこますような勇ましいことを言っていました。
- 20070326: 平成3年の12月の20日頃にはすでに市場急配センターで小林運送の愛知県からの青果物の仕事をやっていたようですが、私がその仕事をしたのは2月に入ってからで、それも2回ぐらいでした。
- 20070326: 市場急配センターの台頭によって衰退した小林運送でしたが、立て直しを図るべく、外部からやり手の専務を招き入れたと聞いていました。市場急配センターと対立するのではなく、共存する方向で、取引というのか仕事のやりとりをするようになったようです。
- 20070326: 私が初めに金沢市場輸送をやめた昭和59年10月以降に、発足したらしく、昭和61年に私が市内配達をしていた頃は、このような状況でした。中心になっていたのが金沢市場輸送でしたが、そのうち独占するようになり、市場急配センターになって、中央市場の横に事務所を構えるようになったのです。
- 20070326: 市場急配センターの前身というか母体というのは、仲買の呼びかけか要望で、小林運送、日栄運送、金沢市場輸送、石川日通、それともう一つがはっきり思い出せないのですが、諸という字のつく、松任市あたりの運送会社が、2トン車を集め、仲買の青果の配達をしていたのです。金沢市場輸送以外は、各一台ずつ、運転手も各一名ずつでした。
- 20070326: 小林運送は、愛知県内から青果物を運ぶ定期便を中心にしていて、私自身、初めてトラックの仕事をしたのは、その小林運送の長距離の助手で、昭和58年の春頃、いたのは一月半ほどでした。老舗のような趣もある運送会社でしたが、結局は市場急配センターとの競争に敗れ、その後倒産したようです。
- 20070326: 初めて彼女のショートカットの姿を見たのもその翌日だったと思います。ひそかに私はその髪型が彼女には一番似合っていると感じていたのですが、安田敏は「女の子が髪を切るのはよっぽどの事情がある」などと私の不安を煽るようなことを言っていました。ちなみに、金沢市場輸送で彼女を見かけるようになった頃は、いつもポニーテールの髪型で、書類のような束を両腕をクロスに組み胸に大切そうに抱える姿が印象的でした。市場急配センターで姿を見るようになってからは普通のロングヘアーのことが多く、ポニーテールというのはさほど見かけなくなっていたような気がします。
- 20070326: 10時から11時の間には市場急配センターの事務所に戻っていました。
- 20070326: 荷降ろし先の会社から市場急配センターに電話を掛けたこともうっすらと憶えています。受取伝票のことでちょっとした問題が出たからだと思います。この時も安藤文さんが電話に出たように思いますが、そこまでは現在はっきりと思い出せません。
- 20070305: ところで、市場急配センターのホームページですが、アクセスカウンターが今日現在で3041件です。関心の低さを象徴するような数字ですが、あと一月ほどで、その後の運命が決定的に方向付けられることになります。3月31日までに御庁が起訴をしなければ、今後刑事責任を問うことは出来なくなり、関係者はさぞかし、安堵で胸をなでおろすことでしょう。
- 20070305: 金沢市場輸送、市場急配センターの経営者であり、金沢市場輸送の社長であったものの会長になると同時に、本恒夫を金沢市場輸送の社長にし、松平日出男を市場急配センターの社長にしました。
- 20070305: 犯罪への関与について明確に指し示す具体的な根拠はありませんが、東渡を金沢市場輸送に招き入れ、その直後から東渡が傍若無人な振る舞いで混乱を引き起こし、他の社員をそそのかしてストライキを行い、対立的な立場であったときの態度、私に会社に愛想をつかせて、市場急配センターに導いた振る舞い、そのきっかけを作った安田敏の入社など、事情に知悉し了解していなければなしえなかった関与をしている人物です。大の麻雀好きで、連日夕方から金沢市場輸送の休憩室で麻雀をしており、東渡や堂野もその常連メンバーであり、松平日出男やその友人であるカベヤこと松岡という人物もよく出入りをしていました。
- 20070305: また、直前に、人気のない市場急配センターの裏駐車場を乗用車で通過しながら、その場にいた東渡や浜上さんが、まったく不審な素振りも見せず、無言のまま車の通過を目で追うこともしなかったのは、安田繁克が私に接触を図る事情を熟知していたものとしか考えられないことで、連帯的な共謀関係の繋がりが認められるところです。
- 20070305: 私が市場急配センターで仕事をするようになった直後から、自ら私に対して接触を図ることがあり、梅野博之同様表面的には好意的でした。安藤文さんと交際していたことがあると初めて聞かされたのは平成4年1月21日の夜、浜口卓也がその口火を切りました。
- 20070305:│ ├─市場急配センター
- 20070305: 同じ頃、本恒夫が市場急配センターのトラック駐車場に来て、私にやや挑発的な態度で、トラックを移動させるよう命令したことがあったのですが、これは私が安藤文さんに初めて交際を断られた翌々日なので、10月7日の月曜日になると思います。
- 20070305: 安田敏は、誰にもお礼や挨拶をすることはなく、何かを黙々と考えている様子だったのですが、市場急配センターの事務所に戻って口を開くと、「あの事務所に来とった(正確には休憩室)女の子、東渡の娘なんやてな」と言いだし、私が、「ありがとう、ぐらいいえんのか」というと、「そんな言葉、長いこと使っとらんし、忘れたな」などと軽口を叩いていました。
- 20070305: また、作業が終わった頃、いつも早い時間に仕事が終わって帰っているはずの木村という人物がワゴン車で来ていて、そのワゴン車に同乗して市場急配センターの事務所に戻りました。他にはっきり憶えている姿は東渡でしたが、全部で10人ぐらいかそれ以上に人が集まっていたと思います。
- 20070305: 安田敏はその年6月頃に、私の紹介で金沢市場輸送に入社し、その直後から市場急配センターで仕事をしていました。作為あるいは意図的と思われるようなトラックの物損事故を繰り返したり、問題のある行動や発言も同様に繰り返していました。まず金沢市場輸送の入社に際して、50万円の前借りをし、私がその保証人になったのですが、実際に給料引きの支払いを始めたのは早くてその年の12月からで、あるいは翌年の1月からです。口ではお金に困っているようなことも説明してはいましたが、具体性もなければ、切迫感もまったくありませんでした。
- 20070305: まず、もっとも不自然で怪しい点は、平成3年6月頃、私が市場急配センターの同列会社である金沢市場輸送を辞め、市場急配センターで仕事をするようになった直後から、それまで毎日金沢市場輸送の事務所で仕事をしていた池田宏美が、市場急配センターの事務所で一日中仕事をするようになったことです。全体的な計画性の推進役として送り込まれた可能性が高く、主に安藤文さんに対して反応を窺い、情報を聞き出しながら、働き掛けを行っていたものです。
- 20070305: 9月の10日頃になると、彼女の方から会社前の駐車場で車のフィルム貼りを手伝ってくれたり、積極的に話しかけたりしてくれるようになりましたが、私とすればまさかという気持ちが強く、半信半疑の状態が続きました。それでも繰り返された彼女からの積極的なアプローチに、真摯な交際の気持ちを抱いてくれているものと考えるようになり、また、彼女の言動は市場急配センターの会社内でのことだったので、周囲の誤解も避けたいと考え、さらに、彼女の積極的な行動にも応えたいと思い、10月5日の夜、電話で自分の方から交際の申し込みをしました。
- 20070305: 平成4年4月1日、告訴人である私は同じ市場急配センターの事務員である安藤文に対する傷害事件を起こし、金沢西警察署に出頭、その後金沢地方裁判所において懲役4年の実刑判決を受け、平成9年1月18日まで福井刑務所に服役しました。この外形的な事実に関して争いの余地はありませんが、事件に至った過程において被告訴人らの不法な侵害行為が介在しており、また、そのような犯罪行為がなければ、決して起こることのなかった事件と考えます。
- 20070305:市場急配センターについて
- 20070305:市場急配センター株式会社を中心とする、
- 20061224:│ ├─市場急配センター
- 20061112: もう一つ参考になりそうなのは、市場急配センターのホームページのアクセスカウンターの数字ですが、2006年11月12日15時51分現在、2844件になっています。
- 20061030: 同じ、小木の遠洋漁船に乗っていたという別の人物は、東渡の仲間で、よく金沢市場輸送に来て麻雀をしていました。東渡を子分のように扱うことがあり、粗暴なところのあるような人物でしたが、その人物も同じ2月頃に市場急配センターの休憩室に来たことがありました。
- 20061030: 平成4年の2月の中頃だったと思うのですが、市場急配センターの前にその白山運輸のトレーラーが停まり、市場急配センターの一階休憩室には、見たことのある人がいて、東渡や浜上さんらと仲良く談笑をしていました。
- 20061030: それと2,3ヶ月前に突然思い出していたことですが、市場急配センターの浜上さんらは東渡のことを「さんちゃん」と呼んでいました。どうして東渡好信という名前から、そのような呼び名が出たのか不思議に思い、浜上さんに由来を尋ねたことがあったのですが、無言で答えてくれませんでした。
- 20061022: これが国家権力の一面のように思われます。金沢刑務所でのことは、これまでも色々書いていると思いますし、これからも書いて行きます。色々考えられるのですが、闇の裏社会に市場急配センターらの事件を周知させ情報を集まりやすくし、同時に私や安藤文さんの身の安全を図ったことも考えられます。
- 20061022: 市場急配センターの仕事は比較的楽でした。ただ、運転手間の不公平も顕著で、割の合わない仕事を回されるのは、私と安田敏に決まっていたような感じで、一部はわがまま放題で他に負担を押し付けていました。それを割り引いても楽な運行でしたが、安藤文さんとのことで精神的な負担が増し、危機的に思うようになっていました。
- 20061020: ネット上の情報公開でも一度は触れたことがあるように思うのですが、私が市場急配センターの連中に不信感を抱き、少し安田敏について話しを始めたところ、谷内孝志警部補はすぐに遮り、「あんな男の話をするな、お前の男が下がるだけや」と言ったことがありました。
- 20061020: これは警察と言うより、谷内孝志警部補個人の資質や動向に関わる問題であるのかもしれません。ずさんで偏頗という見方も出来ますが、それより先に結論が断定的すぎます。あるいは、それだけ市場急配センターの関係者の説明が筋の通った分かりやすいものであったのかもしれません。だとすれば、完全に担がれ術中に陥っていたことになります。
- 20061020: 正直なところ基本的な部分で私は谷内孝志警部補を信頼していたのですが、今、虚心坦懐に読んでも余りに強引な事実の運び方と断定があり、正直なところ、これを読めば、谷内孝志警部補が市場急配センターの連中に便宜を受けて手心を加えたのでは、という印象さえ受けるほどです。
- 20061016: ちなみに、安藤健次郎さんの立場からすれば、私に対する責任追及とは別に、法人としての市場急配センターやその関係者に、「安全配慮義務違反」の債務不履行で、損害賠償請求をすることが出来たはずです。民法上の損害賠償請求には、不法行為とこの債務不履行がありますが、債務不履行は立証責任が訴えを受けた被告の側になるなど、不法行為より有利な条件も存在するようです。
- 20061016: 安藤健次郎さんの口からは、「刑事裁判は終わった。次は民事や」という言葉も出ました。かなり取り乱したような様子でした。奇しくもこれは、前年にあたる平成10年11月20日頃、市場急配センターの事務所において、松平日出男と堂野の二人が言っていた言葉とまったく同じでした。
- 20061008:市場急配センター株式会社
- 20061008:職業 会社員(市場急配センター株式会社)
- 20061008:市場急配センター株式会社
- 20061008:職業 運送業(市場急配センター株式会社代表取締役社長)
- 20061008:市場急配センター株式会社
- 20061008:職業 運転手(市場急配センター(株)勤務)
- 20061007:市場急配センター
- 20061007:市場急配センター
- 20061006: 市場急配センターのホームページのアクセスカウンターは2006年7月12日0時03分現在2539件であり、代表取締役の紹介は松平日出男のままです。アクセス件数もほとんど増えることもなく、まったく何事もないように健在のようです。
- 20061006:<市場急配センターのホームページ>
- 20061005: 間違いなく安藤文さんの声だったと思います。後遺症のため、言語障害が残っているようです。市場急配センターにいた頃の、事件前の声とは別人のようですが、平成11年8月7日の夜も、彼女の声は聴いていました。
- 20061005:市場急配センター株式会社
- 20061005:職業 会社員(市場急配センター株式会社)
- 20061004: 私の被害者も県庁の臨時職員をやめたあと、問題の起こった会社に入り込んでしまいました。運だけの問題に出来るとは思えません。市場急配センターは、その名称も、実態も金沢中央卸売市場という公益性の高い仕事との関わりの深いもので、中央市場関係者の出資をあわせて設立した会社だと聞いていました。
- 20061002:市場急配センターでの運行日報にも、複数の筆跡が認められる痕跡がありました。
- 20061002: そのような廣野に不利な事実、落度も最大限利用され、あるいは隠し球として用意されていたとみるのが相当である。逆にそのような事情を知悉しながら、傷害事件発生の少し前、平成四年の三月においても松平日出男と池田宏美は、市場急配センター事務所において、廣野と安藤文の二人を引きあわせ、一緒に出前の食事もさせているのであるから、廣野の側の好ましくない条件を意図的に隠していたとみるのが相当である。
- 20061002: たとえば、三月の一〇日頃、市場急配センター事務所奥にある間仕切りの付いた台所の前で、廣野が「もう話すことない、ちゅうことやな」ともう仕向けたところ、安藤文は即座に背筋をのけぞらせ、痙攣を起こすような過剰な反応を呈していた。
- 20061002: 市場急配センターの中心である中央市場の仕事は、朝が早い分、夕方は四時頃に終わることが多く、彼女の退社時間である一七時を過ぎるとトラック駐車場には人気も少なく、季節的にも薄暗くほとんど夜に近い状態であった。
- 20061002: 不在対応は、翌年一月一二日の夜まで続いた。この間彼女は、一二月二一日の仕事中、廣野が同乗させた大型トラックの車内で、電話に出ない理由について「寝とったんじゃないか、私、最近早く寝るし」と言っていたが、廣野が電話を掛けていた時間帯は、一九時から二〇時半頃の間がほとんどであり、間に合わせの嘘であると考えるのが常識である。 そのような不可解な行動、意思表示とともに同じく一一月の終わり頃から、彼女は、市場急配センター正面に駐車させていた自己所有の軽四自動車を、会社裏のトラック、及びトラック運転手用の駐車スペースに駐車させるようになった。
- 20061002: 平成四年二月一日になると、当の本人安田繁克が、廣野の前に現れ、夜、市場急配センターの運転手休憩室で、長い時間安藤文のことなど話しをした。まずこの接触自体がすこぶる芝居がかったわざとらしいもので、その場に居合わせた、多田敏明、東渡、浜上らの計画的関与を強く推認させるとともに、安田繁克自身が、四月一日の事件後に金沢西警察署で作成した供述調書のなかで、事実とは正反対のでたらめを具体的に述べている。
- 20061002: 被告訴人東渡好信は、多田敏明、安田敏、安田繁克らを手足の如く巧みに操り、廣野の反応や情報をかき集め、他方、池田宏美、梅野博之らも市場急配センター事務所内で、安藤文から情報を引き出し、臨機応変な効果的策謀を繰り出し、さらなる具体的指示を与えていたものと推認しうる。
- 20061002: 金沢市場輸送をやめ、市場急配センターの仕事をするようになったことで、収入自体は月三〇万円程度だったが、税金を引かれた手取り収入は二〇万円ほどに激減しており、借金の返済、誤魔化しが不可能になった妻が家出をすることは、いわば必然であり、被告訴人らの目論見通りの経過であった公算が高い。
- 20061002: 事実、廣野が市場急配センターでの仕事、生活に定着してからは、露骨に且つ具体的に二人の恋愛関係を成就すべく、働き掛けを行ったが、一方で上司である立場も最大限利用し、安藤文に対し強硬な歯止めを掛ける干渉を行い、成り行きを決定的にコントロールする実権を握った。
- 20061002: ここでまず廣野と安田敏の新規長距離部門の乗務が決まったが、廣野が市場急配センターに移ると同時に、その翌日からはそれまで毎日金沢市場輸送の事務所で机に座り仕事をしていた被告訴人池田宏美が、市場急配センター事務所で仕事をするようになり、安藤文と机を向かい合わせ、一日中事務の仕事をするようになった。
- 20061002: この過程において、本恒夫は廣野を意図的に挑発し、金沢市場輸送をやめる方向に導き、安田敏の借金の保証人のことで話し合いに訪れた市場急配センター事務所で、松平日出男が一日1万五千円の市内配達のアルバイトを持ちかけ、廣野が承諾して仕事を始めるや、すぐに、市場急配センターで大型車を導入し青果物の長距離トラック業務を行うので、大型車に乗務して欲しいと持ちかけた。
- 20061002: 安田敏は入社するとすぐに、市場急配センターで市内配達の仕事をするようになり、そのかたわら大徳自動車学校に通い、大型免許を取得した。
- 20061002: 金沢市場輸送と市場急配センターは実質的同一会社であったが、社員や持ち込みと呼ばれる専属運転手には、廣野と同郷の石川県鳳至郡能都町宇出津(現在、鳳珠郡能登町)周辺の友人知人が多く、人脈的繋がりが多かった。
- 20061002: 安藤文は市場急配センターが新社屋に移転してまもなく、平成二年の春頃に事務員として入社したが、仕事の主要な一部は、金沢市場輸送事務所に置いてあるパソコンを使ったデータ入力であり、金沢市場輸送事務所に置いて仕事をする機会が多かった。
- 20061002: 平成二年頃になると市場急配センターは新社屋を建設し、金沢市場輸送事務所から丸ごとそちらへ移転したが、税金対策の誤魔化し目的で建前上の請け負い業務をするなど、実質的には一心同体の同一会社であったといえる。
- 20061002: 金沢市場輸送は表向きの運送会社とは別に、何らかの組織的犯罪活動を行っていた集団であると推定される。昭和63年の8月か9月頃松平日出男が市内配達部門の責任者として入社し、その後半年から一年ほどで、市場急配センターという別会社を設立、金沢市場輸送の社長であった竹沢俊寿が会長に就任し、金沢市場輸送の配車係であった本恒夫が金沢市場輸送の社長、松平日出男が市場急配センターの社長にそれぞれ就任した。
- 20061002: 被告訴人竹沢俊寿俊寿は、金沢市場輸送株式会社、市場急配センター株式会社(金沢市駅西本町4丁目2番12号所在)両社の会長であり、両社の実質的経営者であったもの、被告訴人本恒夫は金沢市場輸送の社長、被告訴人松平日出男は市場急配センターの社長、被告訴人東渡好信、池田宏美、梅野博之は市場急配センターの事務員であったもの、被告訴人、安田繁克、多田敏明、浜口卓也、安田敏は市場急配センターの社員運転手であったものであり、被告訴人、大網健二、大網周一、加田義満は告訴人廣野秀樹の友人関係にあったものである。
- 20061002:市場急配センター株式会社を中心とする、
- 20060927: 組織犯罪での、告発、告訴の対象である市場急配センターのホームページのURLです。
- 20060927: その意味でも、市場急配センターの関心の低さは、大きな参考資料になるはずです。
- 20060927: 市場急配センターのホームページのアクセス状況と、最新の裁判情報をあわせてキャプチャーしました。3億円なんか払えるはずもないように思われますが、回収に実効性を持たせるのが、今後の大きな司法課題の一つだと思われます。恐ろしく、そして凄まじい、自己責任の時代が迫りつつあるのかもしれません。
- 20060927:*1159353407*[時事]三億円賠償命令判決と市場急配センターへの関心
- 20060912:<市場急配センターのホームページ>
- 20060911: 市場急配センターにいた小林健一という人物は、自分の父親が最高裁の判事だと言っていました。多田敏明の話については、金沢西警察署の留置場にいたとき、藤井、坂井という看守の巡査に話し、すぐに弁護士名簿を取り出して名前を調べていましたが、安藤という弁護士は登録されていないと言いました。
- 20060909: 書き忘れていましたが、高井水産はその後、社名が「山水運輸」に変更になり、数年前からは金沢中央卸売市場の裏に、近代的で大きな会社事務所兼冷蔵庫のようなものを建てています。実際、市場急配センターが青果物の覇権を掌握し、山水運輸が水産物の覇権を握ったような格好です。
- 20060909: 要するに、私が金沢市場輸送からいなくなった直後ぐらいに、新車で導入され自分が乗務していた三菱ふそうの大型ウィング車を、竹沢俊寿が松平日出男と自分に断りもなく話し合い、そのトラックを金沢市場輸送から市場急配センターに譲り渡すと決めたことが気に入らなかったらしく、松平日出男を探しに来たようです。「殺してやる」などとも口走っていたかもしれませんが、全体的にわざとらしく演技じみた行動でしたが、あまりに興奮の方も激しかったので、物騒でもあり気味悪くは感じていました。
- 20060909: 始めるとすぐに、市場急配センターの方で大型車を導入するので乗務して欲しいと持ちかけられ、すぐに入社が決まったのです。
- 20060909: 結局これは、3日分だけになりました。市場急配センターの給料は25日締めの翌月5日払いになっていたので、6月23日から市内配達の仕事を始めたことになりそうです。
- 20060909: 結局、金沢市場輸送をやめた直後、安田敏の入社の条件のようになっていた50万円の前借りの保証人になっていた頃から、その話をつけておく必要があり、市場急配センターの事務所に出向いたところ、松平日出男に一日1万5千円の日当を出すので配達の仕事をして欲しいと誘われたのです。
- 20060909: 当時、安田敏は大型免許を持っておらず、入社が決まるとすぐに市場急配センターの方で仕事をするようになり、配達が終わってから大徳自動車学校に通っていました。
- 20060909: 先日、このブログでも掲載した「証拠番号5」の書面の冒頭に書いてあることですが、私はそこで、金沢市場輸送から市場急配センターに移った時期を5月下旬と記載していますが、実際は6月下旬であった可能性が濃厚です。私自身、5月だと思い込んでいたのですが、斐川弁護士から郵送された縮小版の資料のなかにも「運行表」があり、今確認すると6月18日が最後の運行になっています。
- 20060909: ある日16時ぐらいに配達が終わり、市場急配センターの事務所に戻ったところ、東渡好信が包丁を手にして、何かを口走っていました。テーブルに持っていた包丁を突き立てたような記憶もあるのですが、実際に突き刺さるようなことはなかったかもしれません。
- 20060909: 先に荷卸しを済ませてきた東渡が、市場急配センターの駐車場にトラックを止めようとしたところ、ちょうどその光景を見たらしく、歩いてこちらに向かってきたのですが、押し黙ったまま近づいてくると、ものも言わずおじいさんの首根っこを掴み、力任せでキャベツの箱の中に顔を押し込んだのです。キャベツの箱というのは、白菜とほぼ同じ大きさですが、キャベツの場合、なかに隙間があり、湿気の関係か箱が柔らかくなっています。うまく状況描写ができませんが、それは理解を超えるもので、びっくりする光景でした。
- 20060903: 規模ははるかに小さいようですがライブドア事件も前座に過ぎないかもしれず、市場急配センターの方が国策の本命なのかもしれません。実務を知る方であれば、察しもつきそうに思うのですが、なかには目の曇っている人もいるのかもしれません。
- 20060903: 出資に関しては明確に否定していましたが、類似の間際らしい表示をさせていて、密接な仕事関係もある場合、損害賠償責任を認めた判例もあり、商法や労働法についても一通り勉強をしていたので、全く無関係とは思えず、とりあえず直接面談をして、誤解から不利益も生じないよう、きっちりした話をしておこうと考えていたのです。それは全面的に拒絶されましたが、私たちはさらにイバラの道を進むことになり、市場急配センターは野放し状態で、さらに規模を拡大しております。
- 20060903: 私は金沢市中央卸売市場の上層部の責任のある人に取り次ぎを頼んだのですが、門番のような立場のホリさんに断られ、社会的責任について言及すると、「ない」ときっぱり断言していました。以前私は、市場急配センターという会社は、金沢市中央卸売市場の出資で出来た会社だとも運転手間の話で聞いていたからです。
- 20060903: 市場急配センターについて、「場会に聞いてくれ」などといいながら、電話番号も教えず、市場急配センターの常務に話をしてくれと繰り返していましたが、全く異様に狼狽し、関わりのみを強固且つ徹底的に避けていました。
- 20060903: かなり強い調子だったので、市場急配センターに連絡をいれ、何かよからぬことを吹き込まれたのかとも考えました。
- 20060903: その頃私は、市場急配センターに電話を掛け、松平日出男と話をしたことがあり、同じ運送会社から自分のことで問い合わせがなかったか尋ねたところ、別人のような言い方で、「シャブで様子のおかしい運転手がいたので」それについては話をしたことがあるという言い方をしていました。
- 20060903: 他に運送会社にも面接に行ったのですが、一件は進洋運輸という市場急配センターと同じグループに入る運送会社でした。当時、そのことを私自身が知っていたのかどうかははっきりしません。
- 20060831: 事件当日の詳しい状況については、拘置所に移送された直後から繰り返し手紙に書いて、市場急配センターに送っていました。理解と協力を得るためでした。困難であるが、少しでも早く社会に戻り、彼女に会い、謝って償いをしたい」、当時はこれだけが一心でした。
- 20060827: 竹沢俊寿らしいといえば、それまでなのですが、どうも腑に落ちない気もしていたのです。とにかく金沢市場輸送、市場急配センターの関係者の大半は、竹沢俊寿に特別な指示を受けているように思われていました。
- 20060827: 少し読み返していたのですが、木村という人物について何も説明をしていませんでした。彼は市場急配センターの市内配達で、2トン車の持ち込み運転手の一人でしたが、午前中だけのような変則勤務で、本業はコンパニオンの派遣業をしていると聞いていました。
- 20060827: 一方で、市場急配センターでの長距離の仕事自体にも、間に合わせで作った舞台装置のような疑問を抱いていました。近頃ではテレビでも見かけなくなりましたが、以前は舞台の小道具や仮設の部屋などがむき出しで放送されていたものです。「8時だよ全員集合」という人気番組では、それが当たり前のようなものだったと思います。
- 20060827: 思い当たる節といえば、11月の20日頃に市場急配センターの事務所で松平日出男と堂野の二人と会見をして話をしたことでした。当時の模様についても詳しく書いたものがあり、これまでの告発状にも記述しているかと思います。
- 20060826: 中央市場の周辺もずいぶんと様変わりして、近代的な建物がいくつかできて、活況を呈しています。中央市場の裏手には、バナナセンターというところがあるのですが、その前に市場急配センターの4トン車が2台止まり、金沢市場輸送のカラーの4トン車もいました。金沢市場輸送はつぶれたはずなのに、と考えながら、再確認するとキャビン(運転席の部分)のドア後ろ上方に社名が書かれていませんでした。これは本来社名をその位置に書いておくことが決められているそうです。
- 20060826: それと中央市場に行ったのは、市場急配センターの状況を見ておくのが目的だったのですが、ますます盛況という感じで、トラックの駐車場まで増えていたようです。
- 20060815: なにか浜口卓也が原因で、居づらくなってやめたような口惜しそうな言い方をしていたのですが、不信に感じたのは、初めに市場急配センターの話をしたとき、浜口卓也の名前を出しても思い出せないような知らないような、返事に困っているような様子でしばらく考え込んでいたことです。
- 20060815: これも記憶がはっきりしないのですが、一木さんが市場急配センターで市内配達の仕事をしていたのは2年ぐらいと聞いたように思います。実際は細かく始めた時期とやめた時期を聞いているはずで、拘置所から郵送した書面でははっきりしたことが書いてあるかと思います。
- 20060815: その後、平成11年になって、松平日出男の幼なじみで市場急配センターで働いていたという一木という人と、同じ会社で仕事をするようになり、松平日出男の話もあれこれ聞くことが出来たのですが、どこかに新築の大きな家を建てたような話をしていました。
- 20060815: 実際市場急配センターにいた頃は、松平日出男の家は八日市か押野あたりにあると聞いていました。複数から聞いていたのでおそらく間違いはないかと思います。それにはっきりしない記憶ですが、松平日出男が平成4年8月拘置所に面会に来て、パンツを差し入れていったとき、指印を押すために見た帳簿での住所記載は糸田ではなかったような気がして、やはり八日市であったような気がするのです。このあたりもずいぶん曖昧な記憶になっているのですが、はっきり覚えているのは、職業に「会社従業員」と記載していたことでした。
- 20060815: そのあと、4月ぐらいには野々市町の「ヒマラヤゴルフ」というゴルフ用品店の新築工事をするようになりました。この現場からも何度か市場急配センターの方に電話を入れたような記憶が残っています。このゴルフ用品店の仕事が大赤字だと加田義満はこぼしていました。割と小さな仕事で、期間も半月ぐらい、他の現場とも掛け持ちでやっていたように思います。
- 20060815: 私は平成3年の秋頃、市場急配センターの大型トラックで、その工場にタバコの積み込みに行ったことがあり、荷物の降ろし先は静岡県の浜松市あたりでした。
- 20060815: 一個人に対しては、なんら咎め立てをするような対応でもないと考えていますが、全体がそうであることは、市場急配センターのような普通の会社を表にした犯罪組織を増長させることにも繋がるかと、公益的観点からの問題性はあるように思われます。
- 20060814: 2003年6月9日に作成し、市場急配センターに郵送した求意見書は次のURLでもご覧いただくことが出来、これがネットを利用した活動の始まりでもあったのです。
- 20060814: 事件の舞台となった市場急配センターのホームページのアクセスカウンターは2006年8月14日22時02分現在で、2613件にしかなっておりません。私がこのホームページの存在を知ったのは、今からちょうど3年ほど前の2003年8月10日頃のことで、その少し前から公開していた「求意見書」と題するホームページに対する、反撃的返礼と受け止めることが出来、それ以降思い切ったかたちでの情報発信を行ってきました。
- 20060814: 唯一の成果といえば、長い間のネットの活動で、Google、yahooなどの検索サイトで被告訴人の名前や市場急配センター等をキーワードに検索を掛けると情報が集まるようになっていることぐらいですが、今ほど確認したところでは、以前とは変化も出ているようで、以前はるかに多かったyahooでのヒット数が減り、以前少なかったGoogleでのヒット数が増えているようです。そちらから情報を辿るという方法もあるかと思います。
- 20060805: またその大野という女性の息子は、平成3年当時確か16歳で、市場急配センターの荷卸し手伝いのような仕事をしていた。出所後安田敏に聞いた話では、その後市場急配センターで運転免許を取り、運転手もしていたらしい。
- 20060805: 平成10年11月20日頃市場急配センター事務所で会見した松平日出男、労務の責任者という堂野の二人は、竹沢俊寿は司法書士の免許を持っている法律のプロで、私に是非相談に行くよう、しつこく哀願じみた口調で繰り返していた。
- 20060805: 被告訴人の一人であり金沢市場輸送、市場急配センターの会長であり実質的経営者でもあった竹沢俊寿は、資金面で中西運輸商の社長を救ってやったことがあると自慢していた。竹沢俊寿は表立った運送会社の経営とは別に、いわゆる闇金のような金貸しをしていたという噂もある。
- 20060805: イワシの運搬の仕事は、ミール同様市場急配センターが元請けで、それを金沢市場輸送が請け負うというかたちになっていた。
- 20060805: なお、新聞報道によると「金に困ってやった」とあり、数百万円の借金があったらしい。判決は早めに出て、服役、福井刑務所にいたらしい。同じ第二工場の一人の受刑者からしか、話を聞くことはなかったが、その本人も、金沢で強制わいせつ事件を起こし服役、冤罪であると訴え続け、再審請求もすると言っていた。市場急配センターや金沢市場輸送と同じ、金沢近辺の運送会社の社員であり、石過運送と言っていたと記憶している。
- 20060728: また、これは転身の好機とも考えていました。つまり市内配達が中心の市場急配センターで、ゆくゆくは持ち込みで近場の仕事を請け負いでするか、本当は配車係にもなりたかったのです。私は、割と道や場所を覚えるのが得意で、所要時間など計算し、指示、説明するのも得意かもしれないと考えていました。
- 20060725: 被害者は同じ会社に勤める女性事務員、安藤文。当時21歳です。私はその当時27歳でした。彼女との関係はその前年6月頃に私が、金沢市場輸送から事件の舞台になった市場急配センターに移ってからのことです。彼女と個人的な関わりを持つようになったのが、9月の中頃からで、10月の5日の夜の電話で、私は彼女に初めて交際を申し込みました。それから事件に至る半年ほどの間には、実に様々なことがありました。その積み重ねが、事件へと結びついたのです。
- 20060724: 安田敏はその夏頃、市場急配センターで市内配達の仕事をしていたそうです。そのような噂を聞いて、中西運輸商のトラックで、金沢市場輸送に行ったところ、やめて岐阜に行ったと聞きました。その後、安田敏がちょくちょく行っていた岐阜県海津町のライスセンターの出稼ぎ仕事でした。
- 20060724: その市場急配センターのホームページは次のURLアドレスです。
- 20060724: まず、市場急配センターというのは金沢市場輸送から分離独立した会社でした。もともと金沢市場輸送は長距離専門の運送会社だったのですが、昭和60年ぐらいから市内配達の仕事を手がけるようになったらしく、平成元年ぐらいに独立し、半年ほどして、事務所も現在のように出来上がり、そこに移転して行きました。
- 20060724: 大網健二、大網周一の兄弟、加田義満の三人と市場急配センターの関係について、疑問があるようですので、少し書いておきます。これまでの告発状などの資料を見れば、書いてあることですが、全部読むのも大変かと思いますので、簡単にまとめておきます。
- 20060723: 刑務所で宣伝をすることで、市場急配センターの連中に関する情報を集めやすくするという目的もあったように思われます。仮釈放の方も大盤振舞のような状態だったようです。私自身は、その対象から外され、仮面接すらありませんでした。
- 20060109: 今日0時を過ぎたぐらいに、http://www.kyuhai.jp/kaisha/index.htmlの市場急配センターのホームページを久しぶりに見たのですが、アクセスカウンターが復活し、数が「002190」になっていました。去年の11月頃から、カウンターは別のエラー表示で置き換えられていたのです。
- 20060109: 幻と書きましたが、これは妄想でも空想でもなく、実際に存在したものです。それが市場急配センターの関係者による計画と悪意による事実であり、侵害でした。
- 20060109: この写真は、当時とほとんど変わりがないのですが、変わっているのは市場急配センターのトラックが皆新しくなり、整然と並べられているということです。写真にあるのはほとんどが4トン車ですが、当時まともな4トン車は2台しかなく、写真に写っている場所に止まっていたのは、私たちが止めていた10トン車がほとんどで、県外に交代で出ていたので、駐車スペースもまばらでした。
- 20060109: 左手の奥の方に見えるのが、市場急配センターの事務所です。後方に見える建物が、金沢中央市場です。
- 20060109: 市場急配センターという会社ですが、主な仕事は金沢中央市場の青果、鮮魚の市内配達でした。市場の仕事は朝早くから始まるのですが、終わる方も早く、16時頃にはほとんどの市内配達の運転手は仕事を終え、帰っていなくなっていました。
- 20060109:市場急配センター:
- 20060109: 今日0時を過ぎたぐらいに、http://www.kyuhai.jp/kaisha/index.htmlの市場急配センターのホームページを久しぶりに見たのですが、アクセスカウンターが復活し、数が「002190」になっていました。去年の11月頃から、カウンターは別のエラー表示で置き換えられていたのです。
- 20060109: 幻と書きましたが、これは妄想でも空想でもなく、実際に存在したものです。それが市場急配センターの関係者による計画と悪意による事実であり、侵害でした。
- 20060109: この写真は、当時とほとんど変わりがないのですが、変わっているのは市場急配センターのトラックが皆新しくなり、整然と並べられているということです。写真にあるのはほとんどが4トン車ですが、当時まともな4トン車は2台しかなく、写真に写っている場所に止まっていたのは、私たちが止めていた10トン車がほとんどで、県外に交代で出ていたので、駐車スペースもまばらでした。
- 20060109: 左手の奥の方に見えるのが、市場急配センターの事務所です。後方に見える建物が、金沢中央市場です。
- 20060109: 市場急配センターという会社ですが、主な仕事は金沢中央市場の青果、鮮魚の市内配達でした。市場の仕事は朝早くから始まるのですが、終わる方も早く、16時頃にはほとんどの市内配達の運転手は仕事を終え、帰っていなくなっていました。
- 20060109:市場急配センター:
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- 20060109: 左手の奥の方に見えるのが、市場急配センターの事務所です。後方に見える建物が、金沢中央市場です。
- 20060109: 市場急配センターという会社ですが、主な仕事は金沢中央市場の青果、鮮魚の市内配達でした。市場の仕事は朝早くから始まるのですが、終わる方も早く、16時頃にはほとんどの市内配達の運転手は仕事を終え、帰っていなくなっていました。
- 20060109:市場急配センター:
- 20060109: 今日0時を過ぎたぐらいに、http://www.kyuhai.jp/kaisha/index.htmlの市場急配センターのホームページを久しぶりに見たのですが、アクセスカウンターが復活し、数が「002190」になっていました。去年の11月頃から、カウンターは別のエラー表示で置き換えられていたのです。
- 20060109: 幻と書きましたが、これは妄想でも空想でもなく、実際に存在したものです。それが市場急配センターの関係者による計画と悪意による事実であり、侵害でした。
- 20060109: この写真は、当時とほとんど変わりがないのですが、変わっているのは市場急配センターのトラックが皆新しくなり、整然と並べられているということです。写真にあるのはほとんどが4トン車ですが、当時まともな4トン車は2台しかなく、写真に写っている場所に止まっていたのは、私たちが止めていた10トン車がほとんどで、県外に交代で出ていたので、駐車スペースもまばらでした。
- 20060109: 左手の奥の方に見えるのが、市場急配センターの事務所です。後方に見える建物が、金沢中央市場です。
- 20060109: 市場急配センターという会社ですが、主な仕事は金沢中央市場の青果、鮮魚の市内配達でした。市場の仕事は朝早くから始まるのですが、終わる方も早く、16時頃にはほとんどの市内配達の運転手は仕事を終え、帰っていなくなっていました。
- 20060104: 市場急配センターでの仕事が決まった直後に、写真を撮る必要があってカメラを借り、残った大部分のフィルムで、子供をアパートの外に連れ出し、写真を撮りました。
- 20051224: 被害者は、金沢市で両親の長女(兄弟は兄二人)として生まれ、昭和六三年高校を卒業後、石川県の臨時職員として県庁に勤務し、平成二年一一月頃からは前記市場急配センター株式会社に事務員として勤務していた。結婚歴はない。
- 20051224:一 能都町生まれ、高校一年次に中退した後、地元や金沢等でガソリンスタンドの店員、造船工、自動車修理工、運転助手、運転手等をし、平成三年六月からは金沢市二口町所在の市場急配センター株式会社に長距離運転手として勤務していた。
- 20051224: なお、1週間ほど前のメールでは、安藤さんの会社の方にもメールを送信しました。それを含め、これまでどこからも苦情などのメールは頂いておりません。市場急配センターからの連絡もなく、連絡をすると言っていた梅野からもやはり連絡はないようです。
- 20051224:被告発人 市場急配センター株式会社を中心とする、
- 20051219:
事件というのは平成4年の4月1日の起こりました。私が起こしたのです。この外形的な事実関係については、これまで一切の争いはありません。
罪名は傷害と準強姦罪。後者は追起訴になり、併合審理を受けました。
被害者は同じ会社に勤める女性事務員、安藤文。当時21歳です。私はその当時27歳でした。彼女との関係はその前年6月頃に私が、金沢市場輸送から事件の舞台になった市場急配センターに移ってからのことです。彼女と個人的な関わりを持つようになったのが、9月の中頃からで、10月の5日の夜の電話で、私は彼女に初めて交際を申し込みました。それから事件に至る半年ほどの間には、実に様々なことがありました。その積み重ねが、事件へと結びついたのです。
彼女は、私が出頭した金沢西警察署から石川県立中央病院への搬送中、救急車内で、意識を失い、少なくとも3ヶ月ぐらいの間は、意識を失ったままで、意思表示をすることが出来ない状態だったようです。一応意識が戻ったと聞いたのは、その年、6月30日の公判の時でした。この公判が結審になり、8月3日に懲役4年の実刑判決を私は受けたのです。逮捕拘留から実質審理を受ける間だ、当人である被害者から話を聞くことが出来ない状況だったので、判決の基礎となった事実関係は、会社の同僚や、上司らによる供述と、被害者の両親によるものでした。要約すると、私が一方的に彼女に好意を抱き、執拗に交際を迫り、いい返事をもらえなかったことから立腹し、ついには殴る蹴るの暴行に及んだ、というものです。
両親のことはとりあえず、除外します。しかし、この事実は、両親の供述というものは、極めて感情的なもので、法的効力を持つような信用性は、乏しいものだという印象を導きました。「知らぬは親ばかりなり」という印象です。しかしながら、本件では、幸いなことにこの通説を覆すような事実経過が、存在します。この点につきましても、後日ご説明したいと考えております。
両親の供述供述調書も、私は見ておりますが、具体性がありません。それもそのはず、通常、自分の娘の会社のことは、ほとんど何も知らないものと言えるからです。ある程度の、会話はあったと思いますが、それによると彼女は、親切で優しい人たちのいる会社などと話していたそうです。
警察としても、会社内の問題であり、会社の関係者の話を重視し、それを中心に捜査を進め、刑事手続きを進めたことは想像に難くないところです。
どのような経過があったのか、私は当日に身柄を拘束されているので、直接には知る由はありません。ただ、初めから面会禁止などされておらず、何度か面会もしているので、おおよそのことは伝わりました。
当時私は、これを自分と彼女の個人的な問題と考えていたので、大変なことをしでかした以上、理解や見方をしてもらうことは無理だと考えていました。それに頭の中にあったのは、彼女の容体の回復ばかりでした。意識不明の状態で、いつ死んでしまうかもしれず、このまま植物人間になる可能性も高かったのです。それ以外のことを考える余裕などほとんどありませんでした。自分にとって、不利な方向に進んでいるとはうすうす感じていましたが、ここまで本格的に警察の厄介になったのも初めてだったので、半信半疑のまま成り行きに任せるしかなかったのです。
私は、3歳ぐらいの時に父親を亡くし、兄弟もおらず、母親一人に育てられました。父方の親戚は地元宇出津でしたが、行き来もほとんどなく、母方の親戚は、京都方面ばかりで、金沢には一人の親戚もおらず、このあたりも不利に働いたと思います。当時会社以外でつきあいのあった友人は、同郷の二人だけでした。この二人は、福井刑務所を出たときも向かえに来て、そのうちの一人は金沢刑務所を出たときにもきました。どちらも事前の連絡はありませんでした。
初めから母親には、親切に頼んで費用を工面するので、私選弁護士をつけるように勧められていたのですが、私はお金で自分の罪を軽くするようなことは潔くないと考え、それ以上に彼女の両親に、これ以上悪い印象を与えたくないという配慮からこれを断っていたのです。国選弁護人が付き、一度だけ面会があったのですが、具体的な打ち合わせのようなものはありませんでした。
控訴審の時は、私も考えを改め、事実を明らかにするのが自分の責任だと考えるようになり、私選弁護人を選任してもらったのですが、これも具体的なやりとりが乏しく、弁護士は私の意見や主張など採用せず、精神鑑定の請求をし、心神喪失もしくは心神耗弱の線で、弁護活動を行いました。上告した最高裁では、東京の弁護士が付き、そちらから事件の関係者の供述調書のコピーが送られてきました。縮小版です。
それを見て、私は初めて事件の真相らしきものに触れることが出来たのです。そこには普通に生活していたのでは、決して知ることが出来ないような事実が多数含まれていました。
事実は予め用意されていたのです。会社の連中の共同作業によって、彼女がいかに利用され、翻弄されていたのかも窺い知ることが出来ました。その内容を合理的に解釈する限り、彼女や私の意思というものは、存在しません。予めその存在を消す、つまり殺してしまうことを大前提に、進められていたとしか考えられないような問題が発覚したのです。- 20051218: 当事者である被害者本人から事情を聞けない状況で、警察、検察が事実認定の根拠としたのは、会社関係者(市場急配センター)の供述でした。ほぼまったくその通りに事実認定がなされ、私はその年の八月三日に求刑どおり懲役四年の判決を受けました。もちろん実刑です。
- 20051218: メールは七百数十件をリストにしたもので、石川県内の会社、個人、役場などの行政機関、新聞社、テレビ局などで、告発の相手方である市場急配センター、金沢市場輸送を含め、石川県警察本部、警察庁を加え、今年の春ぐらいには、多数の国会議員の先生方を多数指定しました。
- 20051218: この件につきましては、市場急配センターや金沢市場輸送の組織犯罪の可能性を意識し始めた時点で、私はすぐに法務大臣に情願書を送り、徹底した調査と調査団の派遣を要請しました。まだ、福井刑務所に行く前のことで、平成5年頃の話です。当時の法務大臣は強硬で知られた後藤田法務大臣でした。警察官僚の出身だったような記憶もやや曖昧ですが残っています。
- 20051212: もう一つ、前々から選択肢の一つとして考えていたのは、私が市場急配センターに行き、直談判で白黒をつけるという方法でした。なぜに踏み切らず、実行しないで来たか、その点についても、あるいは疑問のむきがあるかもしれません。理由はいくつかあります。その理由についても、具体的に近日中に書いて行く予定でいます。
- 20051206: 昭和56,7年のことで記憶の方も曖昧なのですが、市場急配センターの関係者2人は、その安田敏の発狂時、一緒にシンナーを吸っていた、現場にいたと聞いた記憶もあります。
- 20051206: 私も相撲部に所属していました。能都中学校です。練習はほとんどすべて、石川県立水産高校の相撲部で行っていました。そのため、先輩との面識も広がり、その一人は、市場急配センターで浜口卓也らと仕事をしていたこともあり、カワムラさん、中町さんらと独立した仕事を始めていると聞いていました。安田敏とも付き合いや、面識があるはずです。
- 20051206: いつの間にか市場急配センターの社員となっていたらしい小林健一ですが、そのことから考えても、すでに市場急配センターという名称の会社は出来ていたはずです。
- 20051206: イワシの運搬をやっていたのは、金沢市場輸送のトラックがメインでしたが、仕事自体は、税金対策らしく、市場急配センターからの請け負いというかたちになっていたのです。
- 20051206: 時間の関係もあり、ここではあまり詳しくは説明できませんが、彼は金沢港でのイワシの運搬で、市場急配センターの現場監督というか管理者のようなことをやっていました。
- 20051206: 先に小林健一について、ご説明しておきます。彼は重要な人物の一人です。しかし、前回の記事にも書いたように、安藤文とほぼ入れ替えの感じで、会社を去って行きました。平成2年の春のことです。また、市場急配センターの現在の社屋が出来る前に、いなくなったはずです。
- 20051206: 今の市場急配センターの事務所が出来たのは平成元年の春だったと思います。ちょうど同じ頃に、文さんが入社したはずですが、朝から一日中、事務所で姿を見るようなことはなく、すでに市場急配センターの事務所が移転したあとであったと考えられます。
- 20051206: その後、その中町さんの紹介で、浜口卓也が同じく持ち込みの仕事をするようになりました。この頃には、すでに金沢市場輸送から独立して、市場急配センターという会社になっていたかもしれません。
- 20051206: そのトラックは、以前市場急配センターで持ち込む運転手の仕事をしていた。宇出津のカワムラという人から借りたと言います。私もその人のことは知っていました。
- 20051206: 兄弟もいないし、金沢では親戚もなく、頼みの同郷の友人は敵性である市場急配センター側の意向に添ったような態度があからさまで、油断もならず、孤立を深めるばかりでした。
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- 20061016: そういえば、書き忘れるところでしたが、山出刑事は、「お前が、社長や堂野がどうしたと、ホームページに書いていることはよく知っている」と言っていたのですが、堂野に触れた部分というのは、比較的少ないはずです。被告発人、被告訴人にもなってはいません。事件の真相に近く、核心に触れる人物である可能性は高いのですが、平成4年の事件当時は、金沢市場輸送にいたはずで、被告発人、被告訴人に含めるだけの根拠を私自身はもっていないからです。
- 20070305: 犯罪への関与について明確に指し示す具体的な根拠はありませんが、東渡を金沢市場輸送に招き入れ、その直後から東渡が傍若無人な振る舞いで混乱を引き起こし、他の社員をそそのかしてストライキを行い、対立的な立場であったときの態度、私に会社に愛想をつかせて、市場急配センターに導いた振る舞い、そのきっかけを作った安田敏の入社など、事情に知悉し了解していなければなしえなかった関与をしている人物です。大の麻雀好きで、連日夕方から金沢市場輸送の休憩室で麻雀をしており、東渡や堂野もその常連メンバーであり、松平日出男やその友人であるカベヤこと松岡という人物もよく出入りをしていました。
- 20080624: そういえば、書き忘れるところでしたが、山出刑事は、「お前が、社長や堂野がどうしたと、ホームページに書いていることはよく知っている」と言っていたのですが、堂野に触れた部分というのは、比較的少ないはずです。被告発人、被告訴人にもなってはいません。事件の真相に近く、核心に触れる人物である可能性は高いのですが、平成4年の事件当時は、金沢市場輸送にいたはずで、被告発人、被告訴人に含めるだけの根拠を私自身はもっていないからです。
- 20080712:
2.1.1 金沢市場輸送
- 20080712:
- 2.1.1 金沢市場輸送
- 20080712:2.1.1 金沢市場輸送
- 20080712: + 2.1.1 金沢市場輸送
- 20080624: そういえば、書き忘れるところでしたが、山出刑事は、「お前が、社長や堂野がどうしたと、ホームページに書いていることはよく知っている」と言っていたのですが、堂野に触れた部分というのは、比較的少ないはずです。被告発人、被告訴人にもなってはいません。事件の真相に近く、核心に触れる人物である可能性は高いのですが、平成4年の事件当時は、金沢市場輸送にいたはずで、被告発人、被告訴人に含めるだけの根拠を私自身はもっていないからです。
- 20080408: それと、金沢市場輸送での最後の運行も、神戸になりました。
- 20080408: 神戸ポートアイランドといえば、いろいろと思い出すことがあります。昭和59年、金沢市場輸送で初めて四トン車の長距離に乗り、ちょくちょく行っていました。港島とも呼んでいたと思います。当時は、まだ空き地も多かったですが、現在は多分大きく様変わりしていることでしょう。その港島に通称「エルヨン」という倉庫があり、そこに輸入物の果物(外果・がいか)を積みに行っていました。
- 20070326: それに金沢市場輸送で特徴的だったのは、市場関係の仕事だと、夜中に荷卸しが終わるということがあり、昼はだいたいのんびりぶらぶらとしていました。
- 20070326: 初めに意識をしたのは、まだ私が金沢市場輸送にいた頃で、私がトラックを運転して、金石街道沿いをゆっくり走っていたとき、ちょうど信号待ちからスタートした時だったのかもしれません。道路沿いの弁当屋の前に、安藤文さんが立っていて、たまたま目があったのですが、彼女は軽く微笑んで、特別ななにかを感じさせるような気配がありました。
- 20070326: 金沢市場輸送や市場急配センターでは、年齢層がはっきりと分かれていました。二十歳前から二十代の層と、40代からそれ以上の年齢層です。
- 20070326: 私自身金沢市場輸送にいた頃、小林運送の社長に、事務所に連れ込まれたこともあり、助手を始めた少年時代には、「お前は、今日から家畜や」と言われたことがありました。どこぞのうどん屋に殴り込みをかけたとか、そんな荒っぽい話しもずいぶん聞く、そんな社風の運送会社でしたが、市場急配センターが小林運送の仕事を始めたと聞く、少し前ぐらいに、浜口卓也が小林運送の運転手をどこかに連れ込み、こづいて脅したか、ケンカを売ったような話しも聞いていました。東渡らの話しで、彼らも小林運送をへこますような勇ましいことを言っていました。
- 20070326: このような過程において、小林運送の先代の社長の夫人が、金沢市場輸送に怒鳴り込んで来るという出来事もあったと聞きました。
- 20070326: 私が初めに金沢市場輸送をやめた昭和59年10月以降に、発足したらしく、昭和61年に私が市内配達をしていた頃は、このような状況でした。中心になっていたのが金沢市場輸送でしたが、そのうち独占するようになり、市場急配センターになって、中央市場の横に事務所を構えるようになったのです。
- 20070326: 市場急配センターの前身というか母体というのは、仲買の呼びかけか要望で、小林運送、日栄運送、金沢市場輸送、石川日通、それともう一つがはっきり思い出せないのですが、諸という字のつく、松任市あたりの運送会社が、2トン車を集め、仲買の青果の配達をしていたのです。金沢市場輸送以外は、各一台ずつ、運転手も各一名ずつでした。
- 20070326: 大阪や名古屋にも別の運送会社が運んでいたのかもしれませんが、金沢市場輸送では東京と東北がほとんどでした。
- 20070326: また、過去の資料に書いてあると思いますが、佐賀県の鳥栖市にあるトラックステーションのレストランで、日栄運送の運転手が、「竹沢は、まだ生きているのか、10年前からもうすぐ死ぬと言いながら....。」などとあきれたように話していましたが、その運転手は以前、金沢市場輸送にいたような話しでした。翌日に、私が佐世保の魚市場に魚を積みに行ったときのことです。
- 20070326: 仕事の方が金沢市場輸送の方でもらうのがほとんどで、日栄運送に仕事を回すというのは余りなかったようです。詳しくは知りませんが、そんな義理を欠くかたちで、本恒夫は仕事を横取りしたそうです。それだけやり手であったのは事実のようですが、やり方が卑劣というか恥知らずの非常識で、各方面で何かと恨みや反感を買っていることもちらほらと耳にしていました。中には「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」と言われた運転手もいたそうです。
- 20070326: もともとその古河の仕事というのは、同じ金沢の日栄運送がやっていた仕事で、金沢市場輸送の本恒夫がそれを強引に横取りしたらしく、ずいぶんと反感も買っていたようです。
- 20070326: この運行のあと、しばらくして初めて古河の市場に行き、同じような白菜かキャベツの荷物を積んだことも印象的に憶えていました。臨時の仕事のようなもので、古河の市場に行ったのですが、金沢市場輸送で本格的に古河の市場の仕事をするようになったのは、その数年後の、平成2年の秋ぐらいだったと思います。
- 20070326: この時、朝方の松山市内で居眠り運転をしたことなど、以前の書面に書いてあるかと思います。金沢市場輸送の大型車での仕事で反対車線にはみ出すような居眠り運転をしたのは、これが一度だけでした。
- 20070326: 長男が生まれたのは昭和61年の6月で、その年の8月の20日頃から金沢市場輸送に二度目の入社をした私は、市内配達の仕事をしながら11月の27日に念願の大型免許を取得しました。そして翌年の4月頃には、当時の竹沢社長の特別な声で、いきなり新車の10トン車に乗務したのです。当時の大型運転手には職人気質のようなものが残っており、新車をもらうのは長くて10年ほど掛かるとも言われたいたのですが、それがいきなりの大抜擢のうえ、表立って異を唱える運転手もいませんでした。
- 20070326: 主人とは顔見知りでしたが、もともと金沢市場輸送で電気系統の修理にトラックを持ち込んでいた得意先でした。そのうち余り行かなくなったのですが、たまたま思い出して、会社の近くのその店で直してもらうことにしたのです。
- 20070326: それまで住んでいた東力のアパートというのは昭和59年の春に、大網健二と共同で借りたものでした。私はその年の1月に金沢市場輸送に入社し、それまではほとんど友人の所を泊まり歩くか、トラックの中で寝泊まりする生活をしていたのです。詳しい経緯ははっきりと思い出せませんが、その春頃に私の紹介で大網健二も金沢市場輸送に入社し、同じく4トン車の長距離輸送の仕事をしていました。
- 20070326: 初めて彼女のショートカットの姿を見たのもその翌日だったと思います。ひそかに私はその髪型が彼女には一番似合っていると感じていたのですが、安田敏は「女の子が髪を切るのはよっぽどの事情がある」などと私の不安を煽るようなことを言っていました。ちなみに、金沢市場輸送で彼女を見かけるようになった頃は、いつもポニーテールの髪型で、書類のような束を両腕をクロスに組み胸に大切そうに抱える姿が印象的でした。市場急配センターで姿を見るようになってからは普通のロングヘアーのことが多く、ポニーテールというのはさほど見かけなくなっていたような気がします。
- 20070326: 安藤文さんがナカノさんの目の前で、突然メガネをかけ出したのもこの時だったかもしれません。ナカノさんというのはかなり前から金沢市場輸送で東北便の福井中継を担当していた人で、私もよく知っている人でした。
- 20070305: 金沢市場輸送、市場急配センターの経営者であり、金沢市場輸送の社長であったものの会長になると同時に、本恒夫を金沢市場輸送の社長にし、松平日出男を市場急配センターの社長にしました。
- 20070305: 犯罪への関与について明確に指し示す具体的な根拠はありませんが、東渡を金沢市場輸送に招き入れ、その直後から東渡が傍若無人な振る舞いで混乱を引き起こし、他の社員をそそのかしてストライキを行い、対立的な立場であったときの態度、私に会社に愛想をつかせて、市場急配センターに導いた振る舞い、そのきっかけを作った安田敏の入社など、事情に知悉し了解していなければなしえなかった関与をしている人物です。大の麻雀好きで、連日夕方から金沢市場輸送の休憩室で麻雀をしており、東渡や堂野もその常連メンバーであり、松平日出男やその友人であるカベヤこと松岡という人物もよく出入りをしていました。
- 20070305: ちなみに12月から1月になると、金沢市場輸送に給油に行くことはほとんどなくなっていましたので、その二人の女子事務員と会うこともなかったと思います。一人は谷口という名前ではなかったかと思います。金沢市場輸送にいるときは、たまに話しをすることがあり、割と気安く喋りやすい間柄でした。
- 20070305: 金沢市場輸送には20代後半の女子事務員が二人いて、私も以前話しをすることがあり、10月の後半から11月の前半だったと思いますが、金沢市場輸送に給油に行ったとき、珍しく外にいたその二人の女子事務員にトラックに乗せて欲しいと頼まれ、その場で断ったことがありました。
- 20070305: また、これもその数日前、安田敏から聞いた話しでは、安藤文さんが好きな人にプレゼントをするため、金沢市場輸送の女子事務員に手編みの編み物を習いに行っていたそうです。
- 20070305: 事故というほどのものではありませんでしたが、平成3年の11月頃には、夕方に10トン車を会社近くの工事現場に突入させ、松平日出男が金沢市場輸送から応援を呼んで、別の10トン車で引っ張り出すという出来事がありました。金沢市場輸送で麻雀をしていた多数が集まり、引き上げには予想以上に手間取って時間がかかり、途中激しい夕立もあってずぶ濡れになる姿もあったと記憶しています。特に印象的だったのは、本恒夫が無言で真剣になって作業をする姿でした。
- 20070305: 安田敏はその年6月頃に、私の紹介で金沢市場輸送に入社し、その直後から市場急配センターで仕事をしていました。作為あるいは意図的と思われるようなトラックの物損事故を繰り返したり、問題のある行動や発言も同様に繰り返していました。まず金沢市場輸送の入社に際して、50万円の前借りをし、私がその保証人になったのですが、実際に給料引きの支払いを始めたのは早くてその年の12月からで、あるいは翌年の1月からです。口ではお金に困っているようなことも説明してはいましたが、具体性もなければ、切迫感もまったくありませんでした。
- 20070305: まず、もっとも不自然で怪しい点は、平成3年6月頃、私が市場急配センターの同列会社である金沢市場輸送を辞め、市場急配センターで仕事をするようになった直後から、それまで毎日金沢市場輸送の事務所で仕事をしていた池田宏美が、市場急配センターの事務所で一日中仕事をするようになったことです。全体的な計画性の推進役として送り込まれた可能性が高く、主に安藤文さんに対して反応を窺い、情報を聞き出しながら、働き掛けを行っていたものです。
- 20061030: 同じ、小木の遠洋漁船に乗っていたという別の人物は、東渡の仲間で、よく金沢市場輸送に来て麻雀をしていました。東渡を子分のように扱うことがあり、粗暴なところのあるような人物でしたが、その人物も同じ2月頃に市場急配センターの休憩室に来たことがありました。
- 20061022: 私は昭和六二年の四月に金沢市場輸送で新車の大型保冷車に乗務してから、居眠り運転をしたのは一度だけでした。それというのもその新車での初めての運行で、四国の松山市に行き、朝方松山市内に近いところを走行中、居眠りをしました。
- 20061016: そういえば、書き忘れるところでしたが、山出刑事は、「お前が、社長や堂野がどうしたと、ホームページに書いていることはよく知っている」と言っていたのですが、堂野に触れた部分というのは、比較的少ないはずです。被告発人、被告訴人にもなってはいません。事件の真相に近く、核心に触れる人物である可能性は高いのですが、平成4年の事件当時は、金沢市場輸送にいたはずで、被告発人、被告訴人に含めるだけの根拠を私自身はもっていないからです。
- 20061002: 金沢市場輸送をやめ、市場急配センターの仕事をするようになったことで、収入自体は月三〇万円程度だったが、税金を引かれた手取り収入は二〇万円ほどに激減しており、借金の返済、誤魔化しが不可能になった妻が家出をすることは、いわば必然であり、被告訴人らの目論見通りの経過であった公算が高い。
- 20061002: 借金の返済もようやく終わりに近づいていると妻から説明を受け、子供も来年から小学校に入学を控えたうえ、鮮魚の長距離輸送でスピード違反も多く、重量オーバーも多いので免許取り消しや停止にかかる危険性も高い金沢市場輸送の仕事に見切りをつけ、安定した仕事をしたいと考えているところであった。
- 20061002: 廣野は金沢市場輸送で長距離の仕事をしている頃、月々だいたい四〇万円ほどの手取収入があり、廣野はその全額を妻に渡して、サラ金の支払いも任せっきりにしていた。なお、この借金には、廣野が妻から頻繁に金をもらい受け、また長距離の仕事の出先運送会社で前借りをした金額も多いもので、使途をパチンコ、パチスロの遊行に蕩尽した落度も大きく響いている。
- 20061002: 竹沢俊寿や池田宏美は、金沢市場輸送事務所においても廣野が、仕事も真面目でよくできる好人物と安藤文に吹聴していた可能性が高く、俗な言い方をすれば女衒まがい、やり手ババアの豊富な経験や才覚を活かし、安藤文と廣野が性格的にも似たもの同士であり、相思相愛の恋愛関係になる可能性を熟知し、当たりをつけ自らその方向を目指して積極的に働きかけていたものと推認される。
- 20061002: また、自腹を切った慈善で割の合わない少ない給料で配車の仕事をするようになったと話していた本恒夫が、じつは月給一〇〇万円の条件でボーナスも破格の待遇を受けていたという噂が金沢市場輸送社内に流れたのも、安田敏が入社した直後のことだった。
- 20061002: ここでまず廣野と安田敏の新規長距離部門の乗務が決まったが、廣野が市場急配センターに移ると同時に、その翌日からはそれまで毎日金沢市場輸送の事務所で机に座り仕事をしていた被告訴人池田宏美が、市場急配センター事務所で仕事をするようになり、安藤文と机を向かい合わせ、一日中事務の仕事をするようになった。
- 20061002: この過程において、本恒夫は廣野を意図的に挑発し、金沢市場輸送をやめる方向に導き、安田敏の借金の保証人のことで話し合いに訪れた市場急配センター事務所で、松平日出男が一日1万五千円の市内配達のアルバイトを持ちかけ、廣野が承諾して仕事を始めるや、すぐに、市場急配センターで大型車を導入し青果物の長距離トラック業務を行うので、大型車に乗務して欲しいと持ちかけた。
- 20061002: これは廣野の性格や家庭事情を計算した上での誘導操作であった可能性が高く、事態はその思惑通りに推移し、会社に愛想をつかした廣野が欠勤を続けていたところ、大網兄弟らと同じく同郷の友人であった被告訴人安田敏から連絡が入り、相談の末、安田敏が金沢市場輸送から五〇万円の前借りをし、廣野がその保証人になることを条件に金沢市場輸送への入社が決まった。
- 20061002: 被告訴人東渡好信は、平成二年の秋頃、金沢市場輸送に入社した。本恒夫の紹介という噂であった。
- 20061002: 大網健二には大網周一という一つ年上の兄がいて、大網周一は浜口卓也と自他共に兄弟分というほどの親密な関係であった。また、この大網兄弟は昭和五九年当時、廣野の紹介で金沢市場輸送で長距離トラックの仕事をしたこともあり、竹沢俊寿、本恒夫とも顔見知りであった。なお、中町も昭和五九年の秋頃からしばらくの期間、金沢市場輸送で長距離トラックの仕事をしていた経歴がある。
- 20061002: 被告訴人浜口卓也もその一人であり、平成二年の七月ぐらいに能都町姫出身の中町和也の紹介で、同じく持ち込み運転手をするようになった。中町はカワムラという宇出津出身の人物とともに、松平日出男が金沢市場輸送に市内配達部門の責任者として就任した直後からお供のようなかたちで参加し市内配達部門の持ち込み運転手をしていた。
- 20061002: 金沢市場輸送と市場急配センターは実質的同一会社であったが、社員や持ち込みと呼ばれる専属運転手には、廣野と同郷の石川県鳳至郡能都町宇出津(現在、鳳珠郡能登町)周辺の友人知人が多く、人脈的繋がりが多かった。
- 20061002: 廣野秀樹は、昭和五九年の一月に初めて金沢市場輸送に長距離トラック運転手として入社したあと、三度入退社を繰り返したいたが、昭和六二年の四月頃に入社してからは大型トラックの乗務員として稼働していた。
- 20061002: 安藤文は市場急配センターが新社屋に移転してまもなく、平成二年の春頃に事務員として入社したが、仕事の主要な一部は、金沢市場輸送事務所に置いてあるパソコンを使ったデータ入力であり、金沢市場輸送事務所に置いて仕事をする機会が多かった。
- 20061002: 平成二年頃になると市場急配センターは新社屋を建設し、金沢市場輸送事務所から丸ごとそちらへ移転したが、税金対策の誤魔化し目的で建前上の請け負い業務をするなど、実質的には一心同体の同一会社であったといえる。
- 20061002: 金沢市場輸送は表向きの運送会社とは別に、何らかの組織的犯罪活動を行っていた集団であると推定される。昭和63年の8月か9月頃松平日出男が市内配達部門の責任者として入社し、その後半年から一年ほどで、市場急配センターという別会社を設立、金沢市場輸送の社長であった竹沢俊寿が会長に就任し、金沢市場輸送の配車係であった本恒夫が金沢市場輸送の社長、松平日出男が市場急配センターの社長にそれぞれ就任した。
- 20061002: 被告訴人竹沢俊寿俊寿は、金沢市場輸送株式会社、市場急配センター株式会社(金沢市駅西本町4丁目2番12号所在)両社の会長であり、両社の実質的経営者であったもの、被告訴人本恒夫は金沢市場輸送の社長、被告訴人松平日出男は市場急配センターの社長、被告訴人東渡好信、池田宏美、梅野博之は市場急配センターの事務員であったもの、被告訴人、安田繁克、多田敏明、浜口卓也、安田敏は市場急配センターの社員運転手であったものであり、被告訴人、大網健二、大網周一、加田義満は告訴人廣野秀樹の友人関係にあったものである。
- 20061002:までの間、金沢市場輸送において主に長距離トラックの運転手社員として勤務、稼働した。
- 20060913: 詳しい人は沢山いると思いますが、面白い特徴として、現在の大阪の「あいりん地区」というのでしょうか。釜ヶ崎とも呼ぶようです。西成区。金沢市場輸送で昭和59年に金沢市場輸送で初めて長距離トラックに乗った頃、その西成区にある冷蔵庫にちょくちょく行っていたのですが、トラックの下に寝て、お金を渡すまで動かない人がいるので、気をつけるように聞いていました。
- 20060909: 吉村哲と藤田の二人は、中西運輸商に対して挑戦的で、中西運輸商から佐川急便の仕事を奪うことを目的にし、そのために金沢市場輸送に来たようですが、本恒夫がお山の大将のように独善的で、佐川の仕事には消極的だったようです。それでも金沢市場輸送のトラックで、佐川の仕事を中西運輸商の庸車ですることもありました。
- 20060909: だいたい30トンほど満載にし、主にフェリーを使ってやる仕事で、東渡も以前やっていたと話、東渡が金沢市場輸送に来るきっかけになったのも、以前、フェリーのなかなどで本恒夫と東渡が知り合い、たまたま再会してことで、本恒夫の方から誘ったような話でした。
- 20060909: エサの仕事というのは、冷凍した小魚を満載にし、四国や南九州のハマチの養殖場に運ぶ仕事のことで、月に2,3回程度の運行という一発屋のような仕事で、昭和59年の頃は金沢市場輸送でもちょくちょくやっていた仕事でしたが、私が金沢市場輸送で大型車に乗務したことにはしなくなっていた仕事で、私自身、話はよく聞いていましたが、一度もすることはありませんでした。
- 20060909: 社員同様、あるいはそれ以上に、金沢市場輸送の事務所に出入りしていました。もともとは宮城県の石巻港で、エサを運ぶ仕事をメインにしていたそうですが、エサの仕事がなくなり、運賃も安くなって金沢市場輸送の仕事をするようになったようです。
- 20060909: 彼は水産高校を卒業した長松さんと同じ頃金沢市場輸送で4トン車の運転手をしていましたが、その後、中西運輸商で大型保冷車の運転手をしていて、オジコとも仲良くしていましたが、その後、独立して白ナンバーの仕事をするようになり、中西運輸商の保冷車を中古で買い、主に金沢市場輸送の仕事を庸車でしていました。
- 20060909: 長松さんが自殺したのも、その少し後のことで、まず朝刊の記事を見て驚いたように思います。午前中、金沢市場輸送の事務所で、大西真、竹林、鴨などとその事件の話をしました。一番動揺していたのは鴨さんでした。
- 20060909: 金沢市場輸送には昭和59年頃、大西真というこれも古参の運転手がいました。50歳と年齢を聞いていましたが、何時頃であったのかははっきりしません。本恒夫よりはすこし年上のようでした。
- 20060909: ここにオジコこと干場充行という珠洲市三崎出身の私よりひとつ年上の男がいて、守田と輪島屋鮮冷の間を行ったり来たりしていました。もともとは中西運輸商にいた頃もあり、私が昭和59年の10月頃に金沢市場輸送をやめる一月ほど前には、私の紹介で金沢市場輸送に入社し、しばらく4トン車に乗務していました。
- 20060909: 守田はもともと青森の定期便をメインにした鮮魚、冷凍物の運送会社で、やりとりを始めてからは一日交替で、青森の定期便を金沢市場輸送でするようになり、それでちょくちょく秋田や青森に鮮魚を運んでいました。金沢市場輸送が新社屋を建設し移転してからもしばらくの間は、敷地内のある給油機に軽油を入れに来ていました。
- 20060909: 守田水産輸送は、もともと金沢市場輸送と同じ中央市場前の2階建てテナントビルのなかにあった会社で、本恒夫が配車係をするようになってから仕事のやりとりもするようになったのですが、1年半ほどで付き合いも断絶したようです。
- 20060909: 私自身、中西運輸商の4トン車で下に付いている燃料タンクのコックを折り、軽油を垂れ流した経験もあったので、相談したところ、金沢市場輸送からこれもポンコツの10トン車を引っ張り出して、荷物を積み替えることになりました。
- 20060909: 要するに、私が金沢市場輸送からいなくなった直後ぐらいに、新車で導入され自分が乗務していた三菱ふそうの大型ウィング車を、竹沢俊寿が松平日出男と自分に断りもなく話し合い、そのトラックを金沢市場輸送から市場急配センターに譲り渡すと決めたことが気に入らなかったらしく、松平日出男を探しに来たようです。「殺してやる」などとも口走っていたかもしれませんが、全体的にわざとらしく演技じみた行動でしたが、あまりに興奮の方も激しかったので、物騒でもあり気味悪くは感じていました。
- 20060909: 結局、金沢市場輸送をやめた直後、安田敏の入社の条件のようになっていた50万円の前借りの保証人になっていた頃から、その話をつけておく必要があり、市場急配センターの事務所に出向いたところ、松平日出男に一日1万5千円の日当を出すので配達の仕事をして欲しいと誘われたのです。
- 20060909: 直接的に言うことはありませんでしたが、初めから私の紹介で金沢市場輸送に入社することを目的としていたはずです。そしてこれもどこかわざとらしい接近のような雰囲気を感じさせるものでした。深くは考えませんでしたが、どこか不自然さも感じられたからです。
- 20060909: 先日、このブログでも掲載した「証拠番号5」の書面の冒頭に書いてあることですが、私はそこで、金沢市場輸送から市場急配センターに移った時期を5月下旬と記載していますが、実際は6月下旬であった可能性が濃厚です。私自身、5月だと思い込んでいたのですが、斐川弁護士から郵送された縮小版の資料のなかにも「運行表」があり、今確認すると6月18日が最後の運行になっています。
- 20060909: 吉村哲と藤田は野心を抱き、佐川急便の仕事を金沢市場輸送に引っ張るのを目的としていたようです。実際、5,6人の九州の運転手を金沢市場輸送に連れてきたことがありましたが、みなすぐにやめて行き、残ったのは井口(もしくは猪口)という運転手だけで、彼は東渡とも親しくしていたようで、一緒に長崎県の松浦漁港の市場に魚を積みに行ったとも話していました。東渡は、その市場でも一悶着を起こしてきたような話を聞きました。入社した当時からあちこちで、トラブルを起こしていたそうです。
- 20060909: しばらくすると吉村哲は、中西運輸商から藤田博巳という当時45歳から50歳ぐらいの元トレーラの運転手を金沢市場輸送に招き入れ、一緒に配車係をしていました。
- 20060909: そんな話をちらほら聞いている頃、吉村哲から連絡があり、私の紹介というかたちで、金沢市場輸送に入社し、配車係をするようになったのです。
- 20060909: その上、4トン車だったので、低床とも呼び、荷台の高さははるかに低くなっていました。それだけ箱の容積が大きく、沢山の荷物を詰めたことになります。ちなみに、金沢市場輸送の保冷車の箱のなかの高さは2100センチでしたが、中西運輸商の4トン車は3000センチ近くあったのかもしれません。
- 20060909: 金沢市場輸送では名前通り市場の仕事が多く、市場の仕事というのはセリの時間に間に合わせるため、大変なこともありました。雪の時期でも出発、到着時間ともにほとんど変わりがなかったからです。あとはたまにある大雨でも、神経のすり減ることはありました。
- 20060909: 金沢市場輸送を除けば、冷凍魚などを積む保冷車はほとんどがV型エンジンで、ターボ車に較べ燃費が悪かったのですが、それでも満タンにすれば、1300キロぐらいは走行できたと思います。
- 20060909: 本恒夫は私が初めて金沢市場輸送で働いた昭和59年当時、入社7,8年目という最古参の運転手でした。これは特別な意味もあることで、金沢市場輸送の給料システムでは、1年ごとに基本給が1万円ずつ増えて行くようになっていたので、一番の高給取りでもあったと推定されます。
- 20060909: 出所の際には、竹沢俊寿が身元保証人として向かいに来てくれ、金沢市場輸送に戻って再び仕事をするようになったとも話していました。
- 20060909: そのうち詐欺で警察の手配を受けるようになり、逃亡した先が金沢市で、金沢市場輸送で仕事を始めたそうです。そして1,2年ぐらいで警察の手に掛かり、静岡刑務所で1年ほど服役したと話していました。
- 20060909: 昭和59年の夏頃、金沢市場輸送に大久保という名前の30歳台の運転手がいて、他の社員の話では、静岡で弁護士をしていたといいます。4トン車の長距離に乗務していましたが、北陸道の富山インターで、スイカを積んだままトラックを横転させたそうです。みんなの笑いものになっていましたが、長続きはしなかったようです。
- 20060903: 同じ頃、金沢市場輸送にも電話を掛け、数年ぶりに本恒夫と話をしましたが、初め本恒夫は、私の名前を出しても知らないようにとぼけ、しばらくしてから思い出したように話を始めました。トラックの仕事をしたいので、現在の運送業界の事情について教えて欲しいといったところ、「君がいた頃の三分の二の給料で、」などと、よくない状態なのでとてもお勧めではないという説明をしていました。
- 20060827: そういえば、竹沢俊寿の夫人も金沢市場輸送で経理の仕事をしながら、掛け持ちで片町で小さなスナックを経営していると聞いていました。社員も誰もいなかような店と聞いていましたが、昭和63年の7月頃、新社屋に移転したのを契機にスナックの方は辞め、事務の仕事に専念していました。
- 20060827: 私自身も、竹沢俊寿に個別に事務所に呼ばれ、うまい話を言われたことがありました。私の場合、仕事の話で、辞めると言い出したときに、一月か二月仕事に出なくていいから、考え直してくれ、その間の給料は支払う、などと持ちかけられたのです。金沢市場輸送の事務所では、竹沢俊寿の部屋自体が特別な場所にあり、カラクリ屋敷を思わせるような作りになっていて、部外者の出入りも気がつきにくい構造になっていました。
- 20060827: 竹沢俊寿らしいといえば、それまでなのですが、どうも腑に落ちない気もしていたのです。とにかく金沢市場輸送、市場急配センターの関係者の大半は、竹沢俊寿に特別な指示を受けているように思われていました。
- 20060826: 書き忘れていましたが、大森朋彦は金沢市場輸送で、福井県内で4トン車を崖下に転落させ、竹沢俊寿に懸賞金をかけられ、また、大網周一と大網健二の兄弟がもっとも残酷な輪姦をした被害の際、大網周一の同調参加の呼びかけを一蹴した人物です。
- 20060826: 夜逃げや自殺が続出したと聞いております。ちょうど私が金沢市場輸送で4トン車の長距離運転手をしていた時期なので、昭和59年ということになりそうです。今のロシア、当時はソ連と呼んでいましたが、その間で漁業を巡る国際的な衝突が起き、大打撃を受けたそうです。意味自体当時はよく理解できませんでしたが、200海里問題はテレビのニュースでもしきりに報道されていました。
- 20060826: それが「一水」という小料理屋と言いますか小さな居酒屋で、オーナのママは50代後半から60代前半の人で、ちょうど金沢市場輸送の竹沢夫人と似たような年格好でした。大網健二の話によると片町という金沢の繁華街のクラブで働いていて、独立したような話でした。このような話を聞いたのは実際にその店に客として行くようになった翌年(平成11年)1月20日頃のことです。
- 20060826: 金沢市場輸送はつぶれたままの状態でしたが、正面に割と新しい乗用車が一台駐車されていました。
- 20060826: 中央市場の周辺もずいぶんと様変わりして、近代的な建物がいくつかできて、活況を呈しています。中央市場の裏手には、バナナセンターというところがあるのですが、その前に市場急配センターの4トン車が2台止まり、金沢市場輸送のカラーの4トン車もいました。金沢市場輸送はつぶれたはずなのに、と考えながら、再確認するとキャビン(運転席の部分)のドア後ろ上方に社名が書かれていませんでした。これは本来社名をその位置に書いておくことが決められているそうです。
- 20060806: その海士町の気性の荒い若者のほとんども、小木の遠洋漁船に乗務していたと聞いています。金沢市場輸送でも若い運転手の大半はその海士町の出身者でしたが、そこまで狂暴な人間はいませんでした。
- 20060805: 被告訴人の一人であり金沢市場輸送、市場急配センターの会長であり実質的経営者でもあった竹沢俊寿は、資金面で中西運輸商の社長を救ってやったことがあると自慢していた。竹沢俊寿は表立った運送会社の経営とは別に、いわゆる闇金のような金貸しをしていたという噂もある。
- 20060805: イワシの運搬の仕事は、ミール同様市場急配センターが元請けで、それを金沢市場輸送が請け負うというかたちになっていた。
- 20060805: その運送会社には、中西運輸商から金沢市場輸送の配車係になった吉村哲が、昭和61年頃に勤めていたという経緯もある。なお、吉村哲の父親は、平成3年頃、被告訴人の一人である安田繁克らと一緒に金沢市場輸送でイワシの運搬の仕事をしていた。
- 20060805: なお、新聞報道によると「金に困ってやった」とあり、数百万円の借金があったらしい。判決は早めに出て、服役、福井刑務所にいたらしい。同じ第二工場の一人の受刑者からしか、話を聞くことはなかったが、その本人も、金沢で強制わいせつ事件を起こし服役、冤罪であると訴え続け、再審請求もすると言っていた。市場急配センターや金沢市場輸送と同じ、金沢近辺の運送会社の社員であり、石過運送と言っていたと記憶している。
- 20060726: 長松さんも、その12月ぐらいに金沢市場輸送で仕事をするようになっていました。私は、その昭和61年の11月27日に念願であった大型免許を取得していたのですが、大型保冷車の空きがなく、ポンコツのイスズの大型平ボディ車で、ミール移動や、名古屋方面にミールを運んだり、6トンの保冷車で、臨時の乗務をしたりしていました。
- 20060726: 細かい説明になってしまいますが、当時の金沢市場輸送の事務所は中央市場の前の通りのテナントブルの2階の一室でした。正確に言うと、二部屋あり、奥の半分ぐらいがアコーディオンカーテンで仕切られており、手前が金沢市場輸送の事務所で、奥の部屋が全て竹沢社長の部屋でした。
- 20060726: それと、竹林のことですが、彼は平成2,3年頃、新田商店で働いていました。これも忘れていて急に思い出したことです。竹林が金沢市場輸送に入社したのが、だいたい昭和61年の12月頃でした。これは、池田宏美ともほぼ同時期です。
- 20060726: 高校を卒業すると、安田敏は金沢の中央市場にある「ウロコ水産」に就職、長松さんは金沢市場輸送で4トン車の長距離運転手をしていたと聞いています。考えてみれば、私が初めて金沢に出て仕事をするようになった昭和56年のことです。
- 20060725: 被害者は同じ会社に勤める女性事務員、安藤文。当時21歳です。私はその当時27歳でした。彼女との関係はその前年6月頃に私が、金沢市場輸送から事件の舞台になった市場急配センターに移ってからのことです。彼女と個人的な関わりを持つようになったのが、9月の中頃からで、10月の5日の夜の電話で、私は彼女に初めて交際を申し込みました。それから事件に至る半年ほどの間には、実に様々なことがありました。その積み重ねが、事件へと結びついたのです。
- 20060724: これは金沢市場輸送の関係者から聞いた話です。竹林という運転手だったと思います。彼は、以前松平日出男が石川トヨタで働いていた頃の、直接ではないようでしたが、部下のような立場だったそうです。
- 20060724: 長松さんとは、昭和61年の12月頃から1月頃まで金沢市場輸送で一緒に仕事をしました。彼はその時、まだ免停中だったかもしれません。その後彼は、新田商店に戻ったのですが、平成元年の1月ぐらいに、松波港の岸壁で、自殺したそうです。
- 20060724: なお、たった今久しぶりに思い出したのですが、KOJヒロミさんの夫となった長松さんは、私が初めて金沢市場輸送に入社する1年ほど前に金沢市場輸送にいて、その後、金沢港の新田商店(新幸とも)で4トン車保冷車に乗務していました。いわゆる魚屋、鮮魚問屋で白ナンバーのトラックでした。
- 20060724: 安田敏はその夏頃、市場急配センターで市内配達の仕事をしていたそうです。そのような噂を聞いて、中西運輸商のトラックで、金沢市場輸送に行ったところ、やめて岐阜に行ったと聞きました。その後、安田敏がちょくちょく行っていた岐阜県海津町のライスセンターの出稼ぎ仕事でした。
- 20060724: 私は昭和59年の1月から10月まで金沢市場輸送にいました。やめてまもなく、中町さんも入って4トン車の長距離の仕事をしていたようです。同じく、大網健二は4月ぐらいから7月頃まで。大網周一は6月ぐらいから、私がやめる一月前後ぐらいまでいたようです。
- 20060724: まず、市場急配センターというのは金沢市場輸送から分離独立した会社でした。もともと金沢市場輸送は長距離専門の運送会社だったのですが、昭和60年ぐらいから市内配達の仕事を手がけるようになったらしく、平成元年ぐらいに独立し、半年ほどして、事務所も現在のように出来上がり、そこに移転して行きました。
- 20051219:
事件というのは平成4年の4月1日の起こりました。私が起こしたのです。この外形的な事実関係については、これまで一切の争いはありません。
罪名は傷害と準強姦罪。後者は追起訴になり、併合審理を受けました。
被害者は同じ会社に勤める女性事務員、安藤文。当時21歳です。私はその当時27歳でした。彼女との関係はその前年6月頃に私が、金沢市場輸送から事件の舞台になった市場急配センターに移ってからのことです。彼女と個人的な関わりを持つようになったのが、9月の中頃からで、10月の5日の夜の電話で、私は彼女に初めて交際を申し込みました。それから事件に至る半年ほどの間には、実に様々なことがありました。その積み重ねが、事件へと結びついたのです。
彼女は、私が出頭した金沢西警察署から石川県立中央病院への搬送中、救急車内で、意識を失い、少なくとも3ヶ月ぐらいの間は、意識を失ったままで、意思表示をすることが出来ない状態だったようです。一応意識が戻ったと聞いたのは、その年、6月30日の公判の時でした。この公判が結審になり、8月3日に懲役4年の実刑判決を私は受けたのです。逮捕拘留から実質審理を受ける間だ、当人である被害者から話を聞くことが出来ない状況だったので、判決の基礎となった事実関係は、会社の同僚や、上司らによる供述と、被害者の両親によるものでした。要約すると、私が一方的に彼女に好意を抱き、執拗に交際を迫り、いい返事をもらえなかったことから立腹し、ついには殴る蹴るの暴行に及んだ、というものです。
両親のことはとりあえず、除外します。しかし、この事実は、両親の供述というものは、極めて感情的なもので、法的効力を持つような信用性は、乏しいものだという印象を導きました。「知らぬは親ばかりなり」という印象です。しかしながら、本件では、幸いなことにこの通説を覆すような事実経過が、存在します。この点につきましても、後日ご説明したいと考えております。
両親の供述供述調書も、私は見ておりますが、具体性がありません。それもそのはず、通常、自分の娘の会社のことは、ほとんど何も知らないものと言えるからです。ある程度の、会話はあったと思いますが、それによると彼女は、親切で優しい人たちのいる会社などと話していたそうです。
警察としても、会社内の問題であり、会社の関係者の話を重視し、それを中心に捜査を進め、刑事手続きを進めたことは想像に難くないところです。
どのような経過があったのか、私は当日に身柄を拘束されているので、直接には知る由はありません。ただ、初めから面会禁止などされておらず、何度か面会もしているので、おおよそのことは伝わりました。
当時私は、これを自分と彼女の個人的な問題と考えていたので、大変なことをしでかした以上、理解や見方をしてもらうことは無理だと考えていました。それに頭の中にあったのは、彼女の容体の回復ばかりでした。意識不明の状態で、いつ死んでしまうかもしれず、このまま植物人間になる可能性も高かったのです。それ以外のことを考える余裕などほとんどありませんでした。自分にとって、不利な方向に進んでいるとはうすうす感じていましたが、ここまで本格的に警察の厄介になったのも初めてだったので、半信半疑のまま成り行きに任せるしかなかったのです。
私は、3歳ぐらいの時に父親を亡くし、兄弟もおらず、母親一人に育てられました。父方の親戚は地元宇出津でしたが、行き来もほとんどなく、母方の親戚は、京都方面ばかりで、金沢には一人の親戚もおらず、このあたりも不利に働いたと思います。当時会社以外でつきあいのあった友人は、同郷の二人だけでした。この二人は、福井刑務所を出たときも向かえに来て、そのうちの一人は金沢刑務所を出たときにもきました。どちらも事前の連絡はありませんでした。
初めから母親には、親切に頼んで費用を工面するので、私選弁護士をつけるように勧められていたのですが、私はお金で自分の罪を軽くするようなことは潔くないと考え、それ以上に彼女の両親に、これ以上悪い印象を与えたくないという配慮からこれを断っていたのです。国選弁護人が付き、一度だけ面会があったのですが、具体的な打ち合わせのようなものはありませんでした。
控訴審の時は、私も考えを改め、事実を明らかにするのが自分の責任だと考えるようになり、私選弁護人を選任してもらったのですが、これも具体的なやりとりが乏しく、弁護士は私の意見や主張など採用せず、精神鑑定の請求をし、心神喪失もしくは心神耗弱の線で、弁護活動を行いました。上告した最高裁では、東京の弁護士が付き、そちらから事件の関係者の供述調書のコピーが送られてきました。縮小版です。
それを見て、私は初めて事件の真相らしきものに触れることが出来たのです。そこには普通に生活していたのでは、決して知ることが出来ないような事実が多数含まれていました。
事実は予め用意されていたのです。会社の連中の共同作業によって、彼女がいかに利用され、翻弄されていたのかも窺い知ることが出来ました。その内容を合理的に解釈する限り、彼女や私の意思というものは、存在しません。予めその存在を消す、つまり殺してしまうことを大前提に、進められていたとしか考えられないような問題が発覚したのです。- 20051218: メールは七百数十件をリストにしたもので、石川県内の会社、個人、役場などの行政機関、新聞社、テレビ局などで、告発の相手方である市場急配センター、金沢市場輸送を含め、石川県警察本部、警察庁を加え、今年の春ぐらいには、多数の国会議員の先生方を多数指定しました。
- 20051218: この件につきましては、市場急配センターや金沢市場輸送の組織犯罪の可能性を意識し始めた時点で、私はすぐに法務大臣に情願書を送り、徹底した調査と調査団の派遣を要請しました。まだ、福井刑務所に行く前のことで、平成5年頃の話です。当時の法務大臣は強硬で知られた後藤田法務大臣でした。警察官僚の出身だったような記憶もやや曖昧ですが残っています。
- 20051206: 高校を卒業して、安田敏は同じ中央市場にあるウロコ水産に就職し、Tさんは金沢市場輸送で4トン車で長距離の仕事をしていたと聞きます。
- 20051206: 昭和61年の11,2月頃から62年の1月頃に掛け、金沢市場輸送で一緒にミールの仕事をしていたTさんは、平成元年の1月頃、松波の岸壁で自殺をしました。彼は、安田敏の水産高校のクラスメートでもあったはずです。
- 20051206: 昭和61年の終わりか、62年の初め頃、金沢市場輸送の事務所で、竹沢俊寿と話をし、別れて帰る姿を見たのは、その人でした。
- 20051206: これも平成2年から平成3年頃に聞いた話で、話をしたのは金沢市場輸送の同じ大型運転手で、口取修という男です。今回は、簡単に説明しておきます。
- 20051206: もともと金沢市場輸送で日通カラーの平ボディ車に乗務し、日通のローカル(地場)仕事をやっていたのです。日通とは日本通運のことです。現在のことは知りませんが、その当時は、日本最大の運送会社と聞いていました。大手ですが、下請けを沢山使っているようでした。金沢市場輸送もその下請けの仕事をしていたのですが、竹沢俊寿が以前、日通で働いていたような話も仄聞したことがありました。
- 20051206: イワシの運搬をやっていたのは、金沢市場輸送のトラックがメインでしたが、仕事自体は、税金対策らしく、市場急配センターからの請け負いというかたちになっていたのです。
- 20051206: 独立分離してからも、しばらくの間は金沢市場輸送の事務所に間借りをするようなかたちで以前通りに仕事をし、同じ会社のようなものでした。
- 20051206: その後、その中町さんの紹介で、浜口卓也が同じく持ち込みの仕事をするようになりました。この頃には、すでに金沢市場輸送から独立して、市場急配センターという会社になっていたかもしれません。
- 20051206: まず7月の初めぐらいに金沢市場輸送の事務所が移転になり、9月の初めぐらいに松平日出男が来ました。それからまもなくカワムラさんと相棒のカーボこと中町和也さんが、2トン車で仕事をするようになったのです。
- 20051206: その松平日出男が金沢市場輸送に来たのは、確か金沢市場輸送の事務所が中央市場前の西念町リの一番地のテナントから、現在の場所に移って間もない頃でした。これは昭和63年のように思います。
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