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告発状作成中

2021年2月11日木曜日

「市場急配センター」を過去のはてなダイアリーの記事から検索

  1. 20060805: 平成10年11月20日頃市場急配センター事務所で会見した松平日出男、労務の責任者という堂野の二人は、竹沢俊寿は司法書士の免許を持っている法律のプロで、私に是非相談に行くよう、しつこく哀願じみた口調で繰り返していた。
  2. ./t:
  3. 20060827: 思い当たる節といえば、11月の20日頃に市場急配センターの事務所で松平日出男と堂野の二人と会見をして話をしたことでした。当時の模様についても詳しく書いたものがあり、これまでの告発状にも記述しているかと思います。
  4. ./t:
  5. 20061016: 安藤健次郎さんの口からは、「刑事裁判は終わった。次は民事や」という言葉も出ました。かなり取り乱したような様子でした。奇しくもこれは、前年にあたる平成10年11月20日頃、市場急配センターの事務所において、松平日出男と堂野の二人が言っていた言葉とまったく同じでした。
  6. ./t:
  7. 20070305: 犯罪への関与について明確に指し示す具体的な根拠はありませんが、東渡を金沢市場輸送に招き入れ、その直後から東渡が傍若無人な振る舞いで混乱を引き起こし、他の社員をそそのかしてストライキを行い、対立的な立場であったときの態度、私に会社に愛想をつかせて、市場急配センターに導いた振る舞い、そのきっかけを作った安田敏の入社など、事情に知悉し了解していなければなしえなかった関与をしている人物です。大の麻雀好きで、連日夕方から金沢市場輸送の休憩室で麻雀をしており、東渡や堂野もその常連メンバーであり、松平日出男やその友人であるカベヤこと松岡という人物もよく出入りをしていました。
  8. ./t:
  9. 20080624: 安藤健次郎さんの口からは、「刑事裁判は終わった。次は民事や」という言葉も出ました。かなり取り乱したような様子でした。奇しくもこれは、前年にあたる平成10年11月20日頃、市場急配センターの事務所において、松平日出男と堂野の二人が言っていた言葉とまったく同じでした。
  10. ./t:
  11. 20090707:犯罪計画の中心人物と目される市場急配センターの松平日出男社長は、私が被害者と結婚したいと言ったとき、「ほう、それが一番都合のいい話やな」と言っていました。現在の市場急配センターの社長は、堂野俊一になっているようです。市場急配センターのホームページにそのような記載があるのですが、代表取締役になっています。
  12. 20130704:  これが国家権力の一面のように思われます。金沢刑務所でのことは、これまでも色々書いていると思いますし、これからも書いて行きます。色々考えられるのですが、闇の裏社会に市場急配センターらの事件を周知させ情報を集まりやすくし、同時に私や安藤文さんの身の安全を図ったことも考えられます。
  13. 20090707:*1246960274*[告発事件]市場急配センターホームページのアクセス状況(2009年7月7日)
  14. 20090707:犯罪計画の中心人物と目される市場急配センターの松平日出男社長は、私が被害者と結婚したいと言ったとき、「ほう、それが一番都合のいい話やな」と言っていました。現在の市場急配センターの社長は、堂野俊一になっているようです。市場急配センターのホームページにそのような記載があるのですが、代表取締役になっています。
  15. 20090301:*1235913951*市場急配センターホームページのアクセス状況(2009/03/01)
  16. 20080712:

    2.1.3 TODO  2008年1月2日現在における市場急配センターの状況

  17. 20080712:
  18. 2.1.3  2008年1月2日現在における市場急配センターの状況
  19. 20080712:2.1.3 TODO  2008年1月2日現在における市場急配センターの状況
  20. 20080712: + 2.1.3  2008年1月2日現在における市場急配センターの状況
  21. 20080624: ちなみに、安藤健次郎さんの立場からすれば、私に対する責任追及とは別に、法人としての市場急配センターやその関係者に、「安全配慮義務違反」の債務不履行で、損害賠償請求をすることが出来たはずです。民法上の損害賠償請求には、不法行為とこの債務不履行がありますが、債務不履行は立証責任が訴えを受けた被告の側になるなど、不法行為より有利な条件も存在するようです。
  22. 20080624: 安藤健次郎さんの口からは、「刑事裁判は終わった。次は民事や」という言葉も出ました。かなり取り乱したような様子でした。奇しくもこれは、前年にあたる平成10年11月20日頃、市場急配センターの事務所において、松平日出男と堂野の二人が言っていた言葉とまったく同じでした。
  23. 20080326:>  しかるに、市場急配センターの連中に対する、怒りや不信、義憤というものは、
  24. 20071008: プライバシーなど、諸々の問題があることは、当初より深く認識しており、そのための説明もこれまで何度か繰り返してきたはずです。そして、繰り返しになりますが、私は正規に裁判所や検察に手続きをとり、10年以上の経過を経て、インターネットを利用した情報公開に踏み切っており、披告訴人の中心である市場急配センター株式会社には、公開に先立ち、言い分があり、誤解や不当と考えるのであれば、意見や弁明をうながすだけでなく、訴訟提起も望むところで、正面から受けて立つという趣旨の、「求意見書」という書面も郵送しています。
  25. 20070618:<市場急配センターホームページアクセス状況2007年6月18日>
  26. 20070326: 私と安藤文さんは同じ会社といっても、市場急配センターの場合、毎日同じ事務所の中で、顔を会わすような間ではありませんでした。運転手であった私は会社にいても一階の休憩室にいることの方が多く、二階の事務所にいる安藤文さんと顔を合わせるのは、基本的に用事があるときだけでした。従いまして、私から見えていた状況の範囲というのもごく限られたものになるはずです。
  27. 20070326: 金沢市場輸送や市場急配センターでは、年齢層がはっきりと分かれていました。二十歳前から二十代の層と、40代からそれ以上の年齢層です。
  28. 20070326: 噂の専務の姿を私が市場急配センターの事務所でみたのは、3月の10日頃の夕方でした。はっきりしているのは既に大相撲が始まっていて、松平日出男が私に「相撲でもみいや」と声を掛けたことです。その直前、松平日出男は安藤文さんを私からガードし、庇うようにして、会社前の車まで彼女を送り届けていたのです。台所付近で、私が彼女を問い詰め、問い質すようなことを言ったのが原因だったと思いますが、今現在の記憶だけでは状況が断片的ではっきり思い出せません。
  29. 20070326: 私自身金沢市場輸送にいた頃、小林運送の社長に、事務所に連れ込まれたこともあり、助手を始めた少年時代には、「お前は、今日から家畜や」と言われたことがありました。どこぞのうどん屋に殴り込みをかけたとか、そんな荒っぽい話しもずいぶん聞く、そんな社風の運送会社でしたが、市場急配センターが小林運送の仕事を始めたと聞く、少し前ぐらいに、浜口卓也が小林運送の運転手をどこかに連れ込み、こづいて脅したか、ケンカを売ったような話しも聞いていました。東渡らの話しで、彼らも小林運送をへこますような勇ましいことを言っていました。
  30. 20070326: 平成3年の12月の20日頃にはすでに市場急配センターで小林運送の愛知県からの青果物の仕事をやっていたようですが、私がその仕事をしたのは2月に入ってからで、それも2回ぐらいでした。
  31. 20070326: 市場急配センターの台頭によって衰退した小林運送でしたが、立て直しを図るべく、外部からやり手の専務を招き入れたと聞いていました。市場急配センターと対立するのではなく、共存する方向で、取引というのか仕事のやりとりをするようになったようです。
  32. 20070326: 私が初めに金沢市場輸送をやめた昭和59年10月以降に、発足したらしく、昭和61年に私が市内配達をしていた頃は、このような状況でした。中心になっていたのが金沢市場輸送でしたが、そのうち独占するようになり、市場急配センターになって、中央市場の横に事務所を構えるようになったのです。
  33. 20070326: 市場急配センターの前身というか母体というのは、仲買の呼びかけか要望で、小林運送、日栄運送、金沢市場輸送、石川日通、それともう一つがはっきり思い出せないのですが、諸という字のつく、松任市あたりの運送会社が、2トン車を集め、仲買の青果の配達をしていたのです。金沢市場輸送以外は、各一台ずつ、運転手も各一名ずつでした。
  34. 20070326: 小林運送は、愛知県内から青果物を運ぶ定期便を中心にしていて、私自身、初めてトラックの仕事をしたのは、その小林運送の長距離の助手で、昭和58年の春頃、いたのは一月半ほどでした。老舗のような趣もある運送会社でしたが、結局は市場急配センターとの競争に敗れ、その後倒産したようです。
  35. 20070326: 初めて彼女のショートカットの姿を見たのもその翌日だったと思います。ひそかに私はその髪型が彼女には一番似合っていると感じていたのですが、安田敏は「女の子が髪を切るのはよっぽどの事情がある」などと私の不安を煽るようなことを言っていました。ちなみに、金沢市場輸送で彼女を見かけるようになった頃は、いつもポニーテールの髪型で、書類のような束を両腕をクロスに組み胸に大切そうに抱える姿が印象的でした。市場急配センターで姿を見るようになってからは普通のロングヘアーのことが多く、ポニーテールというのはさほど見かけなくなっていたような気がします。
  36. 20070326: 10時から11時の間には市場急配センターの事務所に戻っていました。
  37. 20070326: 荷降ろし先の会社から市場急配センターに電話を掛けたこともうっすらと憶えています。受取伝票のことでちょっとした問題が出たからだと思います。この時も安藤文さんが電話に出たように思いますが、そこまでは現在はっきりと思い出せません。
  38. 20070305: ところで、市場急配センターのホームページですが、アクセスカウンターが今日現在で3041件です。関心の低さを象徴するような数字ですが、あと一月ほどで、その後の運命が決定的に方向付けられることになります。3月31日までに御庁が起訴をしなければ、今後刑事責任を問うことは出来なくなり、関係者はさぞかし、安堵で胸をなでおろすことでしょう。
  39. 20070305: 金沢市場輸送、市場急配センターの経営者であり、金沢市場輸送の社長であったものの会長になると同時に、本恒夫を金沢市場輸送の社長にし、松平日出男を市場急配センターの社長にしました。
  40. 20070305: 犯罪への関与について明確に指し示す具体的な根拠はありませんが、東渡を金沢市場輸送に招き入れ、その直後から東渡が傍若無人な振る舞いで混乱を引き起こし、他の社員をそそのかしてストライキを行い、対立的な立場であったときの態度、私に会社に愛想をつかせて、市場急配センターに導いた振る舞い、そのきっかけを作った安田敏の入社など、事情に知悉し了解していなければなしえなかった関与をしている人物です。大の麻雀好きで、連日夕方から金沢市場輸送の休憩室で麻雀をしており、東渡や堂野もその常連メンバーであり、松平日出男やその友人であるカベヤこと松岡という人物もよく出入りをしていました。
  41. 20070305: また、直前に、人気のない市場急配センターの裏駐車場を乗用車で通過しながら、その場にいた東渡や浜上さんが、まったく不審な素振りも見せず、無言のまま車の通過を目で追うこともしなかったのは、安田繁克が私に接触を図る事情を熟知していたものとしか考えられないことで、連帯的な共謀関係の繋がりが認められるところです。
  42. 20070305: 私が市場急配センターで仕事をするようになった直後から、自ら私に対して接触を図ることがあり、梅野博之同様表面的には好意的でした。安藤文さんと交際していたことがあると初めて聞かされたのは平成4年1月21日の夜、浜口卓也がその口火を切りました。
  43. 20070305:│ ├─市場急配センター
  44. 20070305: 同じ頃、本恒夫が市場急配センターのトラック駐車場に来て、私にやや挑発的な態度で、トラックを移動させるよう命令したことがあったのですが、これは私が安藤文さんに初めて交際を断られた翌々日なので、10月7日の月曜日になると思います。
  45. 20070305: 安田敏は、誰にもお礼や挨拶をすることはなく、何かを黙々と考えている様子だったのですが、市場急配センターの事務所に戻って口を開くと、「あの事務所に来とった(正確には休憩室)女の子、東渡の娘なんやてな」と言いだし、私が、「ありがとう、ぐらいいえんのか」というと、「そんな言葉、長いこと使っとらんし、忘れたな」などと軽口を叩いていました。
  46. 20070305: また、作業が終わった頃、いつも早い時間に仕事が終わって帰っているはずの木村という人物がワゴン車で来ていて、そのワゴン車に同乗して市場急配センターの事務所に戻りました。他にはっきり憶えている姿は東渡でしたが、全部で10人ぐらいかそれ以上に人が集まっていたと思います。
  47. 20070305: 安田敏はその年6月頃に、私の紹介で金沢市場輸送に入社し、その直後から市場急配センターで仕事をしていました。作為あるいは意図的と思われるようなトラックの物損事故を繰り返したり、問題のある行動や発言も同様に繰り返していました。まず金沢市場輸送の入社に際して、50万円の前借りをし、私がその保証人になったのですが、実際に給料引きの支払いを始めたのは早くてその年の12月からで、あるいは翌年の1月からです。口ではお金に困っているようなことも説明してはいましたが、具体性もなければ、切迫感もまったくありませんでした。
  48. 20070305: まず、もっとも不自然で怪しい点は、平成3年6月頃、私が市場急配センターの同列会社である金沢市場輸送を辞め、市場急配センターで仕事をするようになった直後から、それまで毎日金沢市場輸送の事務所で仕事をしていた池田宏美が、市場急配センターの事務所で一日中仕事をするようになったことです。全体的な計画性の推進役として送り込まれた可能性が高く、主に安藤文さんに対して反応を窺い、情報を聞き出しながら、働き掛けを行っていたものです。
  49. 20070305: 9月の10日頃になると、彼女の方から会社前の駐車場で車のフィルム貼りを手伝ってくれたり、積極的に話しかけたりしてくれるようになりましたが、私とすればまさかという気持ちが強く、半信半疑の状態が続きました。それでも繰り返された彼女からの積極的なアプローチに、真摯な交際の気持ちを抱いてくれているものと考えるようになり、また、彼女の言動は市場急配センターの会社内でのことだったので、周囲の誤解も避けたいと考え、さらに、彼女の積極的な行動にも応えたいと思い、10月5日の夜、電話で自分の方から交際の申し込みをしました。
  50. 20070305: 平成4年4月1日、告訴人である私は同じ市場急配センターの事務員である安藤文に対する傷害事件を起こし、金沢西警察署に出頭、その後金沢地方裁判所において懲役4年の実刑判決を受け、平成9年1月18日まで福井刑務所に服役しました。この外形的な事実に関して争いの余地はありませんが、事件に至った過程において被告訴人らの不法な侵害行為が介在しており、また、そのような犯罪行為がなければ、決して起こることのなかった事件と考えます。
  51. 20070305:市場急配センターについて
  52. 20070305:市場急配センター株式会社を中心とする、
  53. 20061224:│ ├─市場急配センター
  54. 20061112: もう一つ参考になりそうなのは、市場急配センターのホームページのアクセスカウンターの数字ですが、2006年11月12日15時51分現在、2844件になっています。
  55. 20061030: 同じ、小木の遠洋漁船に乗っていたという別の人物は、東渡の仲間で、よく金沢市場輸送に来て麻雀をしていました。東渡を子分のように扱うことがあり、粗暴なところのあるような人物でしたが、その人物も同じ2月頃に市場急配センターの休憩室に来たことがありました。
  56. 20061030: 平成4年の2月の中頃だったと思うのですが、市場急配センターの前にその白山運輸のトレーラーが停まり、市場急配センターの一階休憩室には、見たことのある人がいて、東渡や浜上さんらと仲良く談笑をしていました。
  57. 20061030: それと2,3ヶ月前に突然思い出していたことですが、市場急配センターの浜上さんらは東渡のことを「さんちゃん」と呼んでいました。どうして東渡好信という名前から、そのような呼び名が出たのか不思議に思い、浜上さんに由来を尋ねたことがあったのですが、無言で答えてくれませんでした。
  58. 20061022: これが国家権力の一面のように思われます。金沢刑務所でのことは、これまでも色々書いていると思いますし、これからも書いて行きます。色々考えられるのですが、闇の裏社会に市場急配センターらの事件を周知させ情報を集まりやすくし、同時に私や安藤文さんの身の安全を図ったことも考えられます。
  59. 20061022: 市場急配センターの仕事は比較的楽でした。ただ、運転手間の不公平も顕著で、割の合わない仕事を回されるのは、私と安田敏に決まっていたような感じで、一部はわがまま放題で他に負担を押し付けていました。それを割り引いても楽な運行でしたが、安藤文さんとのことで精神的な負担が増し、危機的に思うようになっていました。
  60. 20061020: ネット上の情報公開でも一度は触れたことがあるように思うのですが、私が市場急配センターの連中に不信感を抱き、少し安田敏について話しを始めたところ、谷内孝志警部補はすぐに遮り、「あんな男の話をするな、お前の男が下がるだけや」と言ったことがありました。
  61. 20061020: これは警察と言うより、谷内孝志警部補個人の資質や動向に関わる問題であるのかもしれません。ずさんで偏頗という見方も出来ますが、それより先に結論が断定的すぎます。あるいは、それだけ市場急配センターの関係者の説明が筋の通った分かりやすいものであったのかもしれません。だとすれば、完全に担がれ術中に陥っていたことになります。
  62. 20061020: 正直なところ基本的な部分で私は谷内孝志警部補を信頼していたのですが、今、虚心坦懐に読んでも余りに強引な事実の運び方と断定があり、正直なところ、これを読めば、谷内孝志警部補が市場急配センターの連中に便宜を受けて手心を加えたのでは、という印象さえ受けるほどです。
  63. 20061016: ちなみに、安藤健次郎さんの立場からすれば、私に対する責任追及とは別に、法人としての市場急配センターやその関係者に、「安全配慮義務違反」の債務不履行で、損害賠償請求をすることが出来たはずです。民法上の損害賠償請求には、不法行為とこの債務不履行がありますが、債務不履行は立証責任が訴えを受けた被告の側になるなど、不法行為より有利な条件も存在するようです。
  64. 20061016: 安藤健次郎さんの口からは、「刑事裁判は終わった。次は民事や」という言葉も出ました。かなり取り乱したような様子でした。奇しくもこれは、前年にあたる平成10年11月20日頃、市場急配センターの事務所において、松平日出男と堂野の二人が言っていた言葉とまったく同じでした。
  65. 20061008:市場急配センター株式会社
  66. 20061008:職業 会社員(市場急配センター株式会社)
  67. 20061008:市場急配センター株式会社
  68. 20061008:職業 運送業(市場急配センター株式会社代表取締役社長)
  69. 20061008:市場急配センター株式会社
  70. 20061008:職業 運転手(市場急配センター(株)勤務)
  71. 20061007:市場急配センター
  72. 20061007:市場急配センター
  73. 20061006: 市場急配センターのホームページのアクセスカウンターは2006年7月12日0時03分現在2539件であり、代表取締役の紹介は松平日出男のままです。アクセス件数もほとんど増えることもなく、まったく何事もないように健在のようです。
  74. 20061006:<市場急配センターのホームページ>
  75. 20061005: 間違いなく安藤文さんの声だったと思います。後遺症のため、言語障害が残っているようです。市場急配センターにいた頃の、事件前の声とは別人のようですが、平成11年8月7日の夜も、彼女の声は聴いていました。
  76. 20061005:市場急配センター株式会社
  77. 20061005:職業 会社員(市場急配センター株式会社)
  78. 20061004: 私の被害者も県庁の臨時職員をやめたあと、問題の起こった会社に入り込んでしまいました。運だけの問題に出来るとは思えません。市場急配センターは、その名称も、実態も金沢中央卸売市場という公益性の高い仕事との関わりの深いもので、中央市場関係者の出資をあわせて設立した会社だと聞いていました。
  79. 20061002:市場急配センターでの運行日報にも、複数の筆跡が認められる痕跡がありました。
  80. 20061002: そのような廣野に不利な事実、落度も最大限利用され、あるいは隠し球として用意されていたとみるのが相当である。逆にそのような事情を知悉しながら、傷害事件発生の少し前、平成四年の三月においても松平日出男と池田宏美は、市場急配センター事務所において、廣野と安藤文の二人を引きあわせ、一緒に出前の食事もさせているのであるから、廣野の側の好ましくない条件を意図的に隠していたとみるのが相当である。
  81. 20061002: たとえば、三月の一〇日頃、市場急配センター事務所奥にある間仕切りの付いた台所の前で、廣野が「もう話すことない、ちゅうことやな」ともう仕向けたところ、安藤文は即座に背筋をのけぞらせ、痙攣を起こすような過剰な反応を呈していた。
  82. 20061002: 市場急配センターの中心である中央市場の仕事は、朝が早い分、夕方は四時頃に終わることが多く、彼女の退社時間である一七時を過ぎるとトラック駐車場には人気も少なく、季節的にも薄暗くほとんど夜に近い状態であった。
  83. 20061002: 不在対応は、翌年一月一二日の夜まで続いた。この間彼女は、一二月二一日の仕事中、廣野が同乗させた大型トラックの車内で、電話に出ない理由について「寝とったんじゃないか、私、最近早く寝るし」と言っていたが、廣野が電話を掛けていた時間帯は、一九時から二〇時半頃の間がほとんどであり、間に合わせの嘘であると考えるのが常識である。 そのような不可解な行動、意思表示とともに同じく一一月の終わり頃から、彼女は、市場急配センター正面に駐車させていた自己所有の軽四自動車を、会社裏のトラック、及びトラック運転手用の駐車スペースに駐車させるようになった。
  84. 20061002: 平成四年二月一日になると、当の本人安田繁克が、廣野の前に現れ、夜、市場急配センターの運転手休憩室で、長い時間安藤文のことなど話しをした。まずこの接触自体がすこぶる芝居がかったわざとらしいもので、その場に居合わせた、多田敏明、東渡、浜上らの計画的関与を強く推認させるとともに、安田繁克自身が、四月一日の事件後に金沢西警察署で作成した供述調書のなかで、事実とは正反対のでたらめを具体的に述べている。
  85. 20061002: 被告訴人東渡好信は、多田敏明、安田敏、安田繁克らを手足の如く巧みに操り、廣野の反応や情報をかき集め、他方、池田宏美、梅野博之らも市場急配センター事務所内で、安藤文から情報を引き出し、臨機応変な効果的策謀を繰り出し、さらなる具体的指示を与えていたものと推認しうる。
  86. 20061002: 金沢市場輸送をやめ、市場急配センターの仕事をするようになったことで、収入自体は月三〇万円程度だったが、税金を引かれた手取り収入は二〇万円ほどに激減しており、借金の返済、誤魔化しが不可能になった妻が家出をすることは、いわば必然であり、被告訴人らの目論見通りの経過であった公算が高い。
  87. 20061002: 事実、廣野が市場急配センターでの仕事、生活に定着してからは、露骨に且つ具体的に二人の恋愛関係を成就すべく、働き掛けを行ったが、一方で上司である立場も最大限利用し、安藤文に対し強硬な歯止めを掛ける干渉を行い、成り行きを決定的にコントロールする実権を握った。
  88. 20061002: ここでまず廣野と安田敏の新規長距離部門の乗務が決まったが、廣野が市場急配センターに移ると同時に、その翌日からはそれまで毎日金沢市場輸送の事務所で机に座り仕事をしていた被告訴人池田宏美が、市場急配センター事務所で仕事をするようになり、安藤文と机を向かい合わせ、一日中事務の仕事をするようになった。
  89. 20061002: この過程において、本恒夫は廣野を意図的に挑発し、金沢市場輸送をやめる方向に導き、安田敏の借金の保証人のことで話し合いに訪れた市場急配センター事務所で、松平日出男が一日1万五千円の市内配達のアルバイトを持ちかけ、廣野が承諾して仕事を始めるや、すぐに、市場急配センターで大型車を導入し青果物の長距離トラック業務を行うので、大型車に乗務して欲しいと持ちかけた。
  90. 20061002: 安田敏は入社するとすぐに、市場急配センターで市内配達の仕事をするようになり、そのかたわら大徳自動車学校に通い、大型免許を取得した。
  91. 20061002: 金沢市場輸送と市場急配センターは実質的同一会社であったが、社員や持ち込みと呼ばれる専属運転手には、廣野と同郷の石川県鳳至郡能都町宇出津(現在、鳳珠郡能登町)周辺の友人知人が多く、人脈的繋がりが多かった。
  92. 20061002: 安藤文は市場急配センターが新社屋に移転してまもなく、平成二年の春頃に事務員として入社したが、仕事の主要な一部は、金沢市場輸送事務所に置いてあるパソコンを使ったデータ入力であり、金沢市場輸送事務所に置いて仕事をする機会が多かった。
  93. 20061002: 平成二年頃になると市場急配センターは新社屋を建設し、金沢市場輸送事務所から丸ごとそちらへ移転したが、税金対策の誤魔化し目的で建前上の請け負い業務をするなど、実質的には一心同体の同一会社であったといえる。
  94. 20061002: 金沢市場輸送は表向きの運送会社とは別に、何らかの組織的犯罪活動を行っていた集団であると推定される。昭和63年の8月か9月頃松平日出男が市内配達部門の責任者として入社し、その後半年から一年ほどで、市場急配センターという別会社を設立、金沢市場輸送の社長であった竹沢俊寿が会長に就任し、金沢市場輸送の配車係であった本恒夫が金沢市場輸送の社長、松平日出男が市場急配センターの社長にそれぞれ就任した。
  95. 20061002: 被告訴人竹沢俊寿俊寿は、金沢市場輸送株式会社、市場急配センター株式会社(金沢市駅西本町4丁目2番12号所在)両社の会長であり、両社の実質的経営者であったもの、被告訴人本恒夫は金沢市場輸送の社長、被告訴人松平日出男は市場急配センターの社長、被告訴人東渡好信、池田宏美、梅野博之は市場急配センターの事務員であったもの、被告訴人、安田繁克、多田敏明、浜口卓也、安田敏は市場急配センターの社員運転手であったものであり、被告訴人、大網健二、大網周一、加田義満は告訴人廣野秀樹の友人関係にあったものである。
  96. 20061002:市場急配センター株式会社を中心とする、
  97. 20060927: 組織犯罪での、告発、告訴の対象である市場急配センターのホームページのURLです。
  98. 20060927: その意味でも、市場急配センターの関心の低さは、大きな参考資料になるはずです。
  99. 20060927: 市場急配センターのホームページのアクセス状況と、最新の裁判情報をあわせてキャプチャーしました。3億円なんか払えるはずもないように思われますが、回収に実効性を持たせるのが、今後の大きな司法課題の一つだと思われます。恐ろしく、そして凄まじい、自己責任の時代が迫りつつあるのかもしれません。
  100. 20060927:*1159353407*[時事]三億円賠償命令判決と市場急配センターへの関心
  101. 20060912:<市場急配センターのホームページ>
  102. 20060911: 市場急配センターにいた小林健一という人物は、自分の父親が最高裁の判事だと言っていました。多田敏明の話については、金沢西警察署の留置場にいたとき、藤井、坂井という看守の巡査に話し、すぐに弁護士名簿を取り出して名前を調べていましたが、安藤という弁護士は登録されていないと言いました。
  103. 20060909: 書き忘れていましたが、高井水産はその後、社名が「山水運輸」に変更になり、数年前からは金沢中央卸売市場の裏に、近代的で大きな会社事務所兼冷蔵庫のようなものを建てています。実際、市場急配センターが青果物の覇権を掌握し、山水運輸が水産物の覇権を握ったような格好です。
  104. 20060909: 要するに、私が金沢市場輸送からいなくなった直後ぐらいに、新車で導入され自分が乗務していた三菱ふそうの大型ウィング車を、竹沢俊寿が松平日出男と自分に断りもなく話し合い、そのトラックを金沢市場輸送から市場急配センターに譲り渡すと決めたことが気に入らなかったらしく、松平日出男を探しに来たようです。「殺してやる」などとも口走っていたかもしれませんが、全体的にわざとらしく演技じみた行動でしたが、あまりに興奮の方も激しかったので、物騒でもあり気味悪くは感じていました。
  105. 20060909: 始めるとすぐに、市場急配センターの方で大型車を導入するので乗務して欲しいと持ちかけられ、すぐに入社が決まったのです。
  106. 20060909: 結局これは、3日分だけになりました。市場急配センターの給料は25日締めの翌月5日払いになっていたので、6月23日から市内配達の仕事を始めたことになりそうです。
  107. 20060909: 結局、金沢市場輸送をやめた直後、安田敏の入社の条件のようになっていた50万円の前借りの保証人になっていた頃から、その話をつけておく必要があり、市場急配センターの事務所に出向いたところ、松平日出男に一日1万5千円の日当を出すので配達の仕事をして欲しいと誘われたのです。
  108. 20060909: 当時、安田敏は大型免許を持っておらず、入社が決まるとすぐに市場急配センターの方で仕事をするようになり、配達が終わってから大徳自動車学校に通っていました。
  109. 20060909: 先日、このブログでも掲載した「証拠番号5」の書面の冒頭に書いてあることですが、私はそこで、金沢市場輸送から市場急配センターに移った時期を5月下旬と記載していますが、実際は6月下旬であった可能性が濃厚です。私自身、5月だと思い込んでいたのですが、斐川弁護士から郵送された縮小版の資料のなかにも「運行表」があり、今確認すると6月18日が最後の運行になっています。
  110. 20060909: ある日16時ぐらいに配達が終わり、市場急配センターの事務所に戻ったところ、東渡好信が包丁を手にして、何かを口走っていました。テーブルに持っていた包丁を突き立てたような記憶もあるのですが、実際に突き刺さるようなことはなかったかもしれません。
  111. 20060909: 先に荷卸しを済ませてきた東渡が、市場急配センターの駐車場にトラックを止めようとしたところ、ちょうどその光景を見たらしく、歩いてこちらに向かってきたのですが、押し黙ったまま近づいてくると、ものも言わずおじいさんの首根っこを掴み、力任せでキャベツの箱の中に顔を押し込んだのです。キャベツの箱というのは、白菜とほぼ同じ大きさですが、キャベツの場合、なかに隙間があり、湿気の関係か箱が柔らかくなっています。うまく状況描写ができませんが、それは理解を超えるもので、びっくりする光景でした。
  112. 20060903: 規模ははるかに小さいようですがライブドア事件も前座に過ぎないかもしれず、市場急配センターの方が国策の本命なのかもしれません。実務を知る方であれば、察しもつきそうに思うのですが、なかには目の曇っている人もいるのかもしれません。
  113. 20060903: 出資に関しては明確に否定していましたが、類似の間際らしい表示をさせていて、密接な仕事関係もある場合、損害賠償責任を認めた判例もあり、商法や労働法についても一通り勉強をしていたので、全く無関係とは思えず、とりあえず直接面談をして、誤解から不利益も生じないよう、きっちりした話をしておこうと考えていたのです。それは全面的に拒絶されましたが、私たちはさらにイバラの道を進むことになり、市場急配センターは野放し状態で、さらに規模を拡大しております。
  114. 20060903: 私は金沢市中央卸売市場の上層部の責任のある人に取り次ぎを頼んだのですが、門番のような立場のホリさんに断られ、社会的責任について言及すると、「ない」ときっぱり断言していました。以前私は、市場急配センターという会社は、金沢市中央卸売市場の出資で出来た会社だとも運転手間の話で聞いていたからです。
  115. 20060903: 市場急配センターについて、「場会に聞いてくれ」などといいながら、電話番号も教えず、市場急配センターの常務に話をしてくれと繰り返していましたが、全く異様に狼狽し、関わりのみを強固且つ徹底的に避けていました。
  116. 20060903: かなり強い調子だったので、市場急配センターに連絡をいれ、何かよからぬことを吹き込まれたのかとも考えました。
  117. 20060903: その頃私は、市場急配センターに電話を掛け、松平日出男と話をしたことがあり、同じ運送会社から自分のことで問い合わせがなかったか尋ねたところ、別人のような言い方で、「シャブで様子のおかしい運転手がいたので」それについては話をしたことがあるという言い方をしていました。
  118. 20060903: 他に運送会社にも面接に行ったのですが、一件は進洋運輸という市場急配センターと同じグループに入る運送会社でした。当時、そのことを私自身が知っていたのかどうかははっきりしません。
  119. 20060831: 事件当日の詳しい状況については、拘置所に移送された直後から繰り返し手紙に書いて、市場急配センターに送っていました。理解と協力を得るためでした。困難であるが、少しでも早く社会に戻り、彼女に会い、謝って償いをしたい」、当時はこれだけが一心でした。
  120. 20060827: 竹沢俊寿らしいといえば、それまでなのですが、どうも腑に落ちない気もしていたのです。とにかく金沢市場輸送、市場急配センターの関係者の大半は、竹沢俊寿に特別な指示を受けているように思われていました。
  121. 20060827: 少し読み返していたのですが、木村という人物について何も説明をしていませんでした。彼は市場急配センターの市内配達で、2トン車の持ち込み運転手の一人でしたが、午前中だけのような変則勤務で、本業はコンパニオンの派遣業をしていると聞いていました。
  122. 20060827: 一方で、市場急配センターでの長距離の仕事自体にも、間に合わせで作った舞台装置のような疑問を抱いていました。近頃ではテレビでも見かけなくなりましたが、以前は舞台の小道具や仮設の部屋などがむき出しで放送されていたものです。「8時だよ全員集合」という人気番組では、それが当たり前のようなものだったと思います。
  123. 20060827: 思い当たる節といえば、11月の20日頃に市場急配センターの事務所で松平日出男と堂野の二人と会見をして話をしたことでした。当時の模様についても詳しく書いたものがあり、これまでの告発状にも記述しているかと思います。
  124. 20060826: 中央市場の周辺もずいぶんと様変わりして、近代的な建物がいくつかできて、活況を呈しています。中央市場の裏手には、バナナセンターというところがあるのですが、その前に市場急配センターの4トン車が2台止まり、金沢市場輸送のカラーの4トン車もいました。金沢市場輸送はつぶれたはずなのに、と考えながら、再確認するとキャビン(運転席の部分)のドア後ろ上方に社名が書かれていませんでした。これは本来社名をその位置に書いておくことが決められているそうです。
  125. 20060826: それと中央市場に行ったのは、市場急配センターの状況を見ておくのが目的だったのですが、ますます盛況という感じで、トラックの駐車場まで増えていたようです。
  126. 20060815: なにか浜口卓也が原因で、居づらくなってやめたような口惜しそうな言い方をしていたのですが、不信に感じたのは、初めに市場急配センターの話をしたとき、浜口卓也の名前を出しても思い出せないような知らないような、返事に困っているような様子でしばらく考え込んでいたことです。
  127. 20060815: これも記憶がはっきりしないのですが、一木さんが市場急配センターで市内配達の仕事をしていたのは2年ぐらいと聞いたように思います。実際は細かく始めた時期とやめた時期を聞いているはずで、拘置所から郵送した書面でははっきりしたことが書いてあるかと思います。
  128. 20060815: その後、平成11年になって、松平日出男の幼なじみで市場急配センターで働いていたという一木という人と、同じ会社で仕事をするようになり、松平日出男の話もあれこれ聞くことが出来たのですが、どこかに新築の大きな家を建てたような話をしていました。
  129. 20060815: 実際市場急配センターにいた頃は、松平日出男の家は八日市か押野あたりにあると聞いていました。複数から聞いていたのでおそらく間違いはないかと思います。それにはっきりしない記憶ですが、松平日出男が平成4年8月拘置所に面会に来て、パンツを差し入れていったとき、指印を押すために見た帳簿での住所記載は糸田ではなかったような気がして、やはり八日市であったような気がするのです。このあたりもずいぶん曖昧な記憶になっているのですが、はっきり覚えているのは、職業に「会社従業員」と記載していたことでした。
  130. 20060815: そのあと、4月ぐらいには野々市町の「ヒマラヤゴルフ」というゴルフ用品店の新築工事をするようになりました。この現場からも何度か市場急配センターの方に電話を入れたような記憶が残っています。このゴルフ用品店の仕事が大赤字だと加田義満はこぼしていました。割と小さな仕事で、期間も半月ぐらい、他の現場とも掛け持ちでやっていたように思います。
  131. 20060815: 私は平成3年の秋頃、市場急配センターの大型トラックで、その工場にタバコの積み込みに行ったことがあり、荷物の降ろし先は静岡県の浜松市あたりでした。
  132. 20060815: 一個人に対しては、なんら咎め立てをするような対応でもないと考えていますが、全体がそうであることは、市場急配センターのような普通の会社を表にした犯罪組織を増長させることにも繋がるかと、公益的観点からの問題性はあるように思われます。
  133. 20060814: 2003年6月9日に作成し、市場急配センターに郵送した求意見書は次のURLでもご覧いただくことが出来、これがネットを利用した活動の始まりでもあったのです。
  134. 20060814: 事件の舞台となった市場急配センターのホームページのアクセスカウンターは2006年8月14日22時02分現在で、2613件にしかなっておりません。私がこのホームページの存在を知ったのは、今からちょうど3年ほど前の2003年8月10日頃のことで、その少し前から公開していた「求意見書」と題するホームページに対する、反撃的返礼と受け止めることが出来、それ以降思い切ったかたちでの情報発信を行ってきました。
  135. 20060814: 唯一の成果といえば、長い間のネットの活動で、Google、yahooなどの検索サイトで被告訴人の名前や市場急配センター等をキーワードに検索を掛けると情報が集まるようになっていることぐらいですが、今ほど確認したところでは、以前とは変化も出ているようで、以前はるかに多かったyahooでのヒット数が減り、以前少なかったGoogleでのヒット数が増えているようです。そちらから情報を辿るという方法もあるかと思います。
  136. 20060805: またその大野という女性の息子は、平成3年当時確か16歳で、市場急配センターの荷卸し手伝いのような仕事をしていた。出所後安田敏に聞いた話では、その後市場急配センターで運転免許を取り、運転手もしていたらしい。
  137. 20060805: 平成10年11月20日頃市場急配センター事務所で会見した松平日出男、労務の責任者という堂野の二人は、竹沢俊寿は司法書士の免許を持っている法律のプロで、私に是非相談に行くよう、しつこく哀願じみた口調で繰り返していた。
  138. 20060805: 被告訴人の一人であり金沢市場輸送、市場急配センターの会長であり実質的経営者でもあった竹沢俊寿は、資金面で中西運輸商の社長を救ってやったことがあると自慢していた。竹沢俊寿は表立った運送会社の経営とは別に、いわゆる闇金のような金貸しをしていたという噂もある。
  139. 20060805: イワシの運搬の仕事は、ミール同様市場急配センターが元請けで、それを金沢市場輸送が請け負うというかたちになっていた。
  140. 20060805: なお、新聞報道によると「金に困ってやった」とあり、数百万円の借金があったらしい。判決は早めに出て、服役、福井刑務所にいたらしい。同じ第二工場の一人の受刑者からしか、話を聞くことはなかったが、その本人も、金沢で強制わいせつ事件を起こし服役、冤罪であると訴え続け、再審請求もすると言っていた。市場急配センターや金沢市場輸送と同じ、金沢近辺の運送会社の社員であり、石過運送と言っていたと記憶している。
  141. 20060728: また、これは転身の好機とも考えていました。つまり市内配達が中心の市場急配センターで、ゆくゆくは持ち込みで近場の仕事を請け負いでするか、本当は配車係にもなりたかったのです。私は、割と道や場所を覚えるのが得意で、所要時間など計算し、指示、説明するのも得意かもしれないと考えていました。
  142. 20060725: 被害者は同じ会社に勤める女性事務員、安藤文。当時21歳です。私はその当時27歳でした。彼女との関係はその前年6月頃に私が、金沢市場輸送から事件の舞台になった市場急配センターに移ってからのことです。彼女と個人的な関わりを持つようになったのが、9月の中頃からで、10月の5日の夜の電話で、私は彼女に初めて交際を申し込みました。それから事件に至る半年ほどの間には、実に様々なことがありました。その積み重ねが、事件へと結びついたのです。
  143. 20060724: 安田敏はその夏頃、市場急配センターで市内配達の仕事をしていたそうです。そのような噂を聞いて、中西運輸商のトラックで、金沢市場輸送に行ったところ、やめて岐阜に行ったと聞きました。その後、安田敏がちょくちょく行っていた岐阜県海津町のライスセンターの出稼ぎ仕事でした。
  144. 20060724: その市場急配センターのホームページは次のURLアドレスです。
  145. 20060724: まず、市場急配センターというのは金沢市場輸送から分離独立した会社でした。もともと金沢市場輸送は長距離専門の運送会社だったのですが、昭和60年ぐらいから市内配達の仕事を手がけるようになったらしく、平成元年ぐらいに独立し、半年ほどして、事務所も現在のように出来上がり、そこに移転して行きました。
  146. 20060724: 大網健二、大網周一の兄弟、加田義満の三人と市場急配センターの関係について、疑問があるようですので、少し書いておきます。これまでの告発状などの資料を見れば、書いてあることですが、全部読むのも大変かと思いますので、簡単にまとめておきます。
  147. 20060723: 刑務所で宣伝をすることで、市場急配センターの連中に関する情報を集めやすくするという目的もあったように思われます。仮釈放の方も大盤振舞のような状態だったようです。私自身は、その対象から外され、仮面接すらありませんでした。
  148. 20060109: 今日0時を過ぎたぐらいに、http://www.kyuhai.jp/kaisha/index.htmlの市場急配センターのホームページを久しぶりに見たのですが、アクセスカウンターが復活し、数が「002190」になっていました。去年の11月頃から、カウンターは別のエラー表示で置き換えられていたのです。
  149. 20060109: 幻と書きましたが、これは妄想でも空想でもなく、実際に存在したものです。それが市場急配センターの関係者による計画と悪意による事実であり、侵害でした。
  150. 20060109: この写真は、当時とほとんど変わりがないのですが、変わっているのは市場急配センターのトラックが皆新しくなり、整然と並べられているということです。写真にあるのはほとんどが4トン車ですが、当時まともな4トン車は2台しかなく、写真に写っている場所に止まっていたのは、私たちが止めていた10トン車がほとんどで、県外に交代で出ていたので、駐車スペースもまばらでした。
  151. 20060109: 左手の奥の方に見えるのが、市場急配センターの事務所です。後方に見える建物が、金沢中央市場です。
  152. 20060109: 市場急配センターという会社ですが、主な仕事は金沢中央市場の青果、鮮魚の市内配達でした。市場の仕事は朝早くから始まるのですが、終わる方も早く、16時頃にはほとんどの市内配達の運転手は仕事を終え、帰っていなくなっていました。
  153. 20060109:市場急配センター:
  154. 20060109: 今日0時を過ぎたぐらいに、http://www.kyuhai.jp/kaisha/index.htmlの市場急配センターのホームページを久しぶりに見たのですが、アクセスカウンターが復活し、数が「002190」になっていました。去年の11月頃から、カウンターは別のエラー表示で置き換えられていたのです。
  155. 20060109: 幻と書きましたが、これは妄想でも空想でもなく、実際に存在したものです。それが市場急配センターの関係者による計画と悪意による事実であり、侵害でした。
  156. 20060109: この写真は、当時とほとんど変わりがないのですが、変わっているのは市場急配センターのトラックが皆新しくなり、整然と並べられているということです。写真にあるのはほとんどが4トン車ですが、当時まともな4トン車は2台しかなく、写真に写っている場所に止まっていたのは、私たちが止めていた10トン車がほとんどで、県外に交代で出ていたので、駐車スペースもまばらでした。
  157. 20060109: 左手の奥の方に見えるのが、市場急配センターの事務所です。後方に見える建物が、金沢中央市場です。
  158. 20060109: 市場急配センターという会社ですが、主な仕事は金沢中央市場の青果、鮮魚の市内配達でした。市場の仕事は朝早くから始まるのですが、終わる方も早く、16時頃にはほとんどの市内配達の運転手は仕事を終え、帰っていなくなっていました。
  159. 20060109:市場急配センター:
  160. 20060109: 今日0時を過ぎたぐらいに、http://www.kyuhai.jp/kaisha/index.htmlの市場急配センターのホームページを久しぶりに見たのですが、アクセスカウンターが復活し、数が「002190」になっていました。去年の11月頃から、カウンターは別のエラー表示で置き換えられていたのです。
  161. 20060109: 幻と書きましたが、これは妄想でも空想でもなく、実際に存在したものです。それが市場急配センターの関係者による計画と悪意による事実であり、侵害でした。
  162. 20060109: この写真は、当時とほとんど変わりがないのですが、変わっているのは市場急配センターのトラックが皆新しくなり、整然と並べられているということです。写真にあるのはほとんどが4トン車ですが、当時まともな4トン車は2台しかなく、写真に写っている場所に止まっていたのは、私たちが止めていた10トン車がほとんどで、県外に交代で出ていたので、駐車スペースもまばらでした。
  163. 20060109: 左手の奥の方に見えるのが、市場急配センターの事務所です。後方に見える建物が、金沢中央市場です。
  164. 20060109: 市場急配センターという会社ですが、主な仕事は金沢中央市場の青果、鮮魚の市内配達でした。市場の仕事は朝早くから始まるのですが、終わる方も早く、16時頃にはほとんどの市内配達の運転手は仕事を終え、帰っていなくなっていました。
  165. 20060109:市場急配センター:
  166. 20060109: 今日0時を過ぎたぐらいに、http://www.kyuhai.jp/kaisha/index.htmlの市場急配センターのホームページを久しぶりに見たのですが、アクセスカウンターが復活し、数が「002190」になっていました。去年の11月頃から、カウンターは別のエラー表示で置き換えられていたのです。
  167. 20060109: 幻と書きましたが、これは妄想でも空想でもなく、実際に存在したものです。それが市場急配センターの関係者による計画と悪意による事実であり、侵害でした。
  168. 20060109: この写真は、当時とほとんど変わりがないのですが、変わっているのは市場急配センターのトラックが皆新しくなり、整然と並べられているということです。写真にあるのはほとんどが4トン車ですが、当時まともな4トン車は2台しかなく、写真に写っている場所に止まっていたのは、私たちが止めていた10トン車がほとんどで、県外に交代で出ていたので、駐車スペースもまばらでした。
  169. 20060109: 左手の奥の方に見えるのが、市場急配センターの事務所です。後方に見える建物が、金沢中央市場です。
  170. 20060109: 市場急配センターという会社ですが、主な仕事は金沢中央市場の青果、鮮魚の市内配達でした。市場の仕事は朝早くから始まるのですが、終わる方も早く、16時頃にはほとんどの市内配達の運転手は仕事を終え、帰っていなくなっていました。
  171. 20060104: 市場急配センターでの仕事が決まった直後に、写真を撮る必要があってカメラを借り、残った大部分のフィルムで、子供をアパートの外に連れ出し、写真を撮りました。
  172. 20051224: 被害者は、金沢市で両親の長女(兄弟は兄二人)として生まれ、昭和六三年高校を卒業後、石川県の臨時職員として県庁に勤務し、平成二年一一月頃からは前記市場急配センター株式会社に事務員として勤務していた。結婚歴はない。
  173. 20051224:一 能都町生まれ、高校一年次に中退した後、地元や金沢等でガソリンスタンドの店員、造船工、自動車修理工、運転助手、運転手等をし、平成三年六月からは金沢市二口町所在の市場急配センター株式会社に長距離運転手として勤務していた。
  174. 20051224: なお、1週間ほど前のメールでは、安藤さんの会社の方にもメールを送信しました。それを含め、これまでどこからも苦情などのメールは頂いておりません。市場急配センターからの連絡もなく、連絡をすると言っていた梅野からもやはり連絡はないようです。
  175. 20051224:被告発人 市場急配センター株式会社を中心とする、
  176. 20051219:

     事件というのは平成4年の4月1日の起こりました。私が起こしたのです。この外形的な事実関係については、これまで一切の争いはありません。
     罪名は傷害と準強姦罪。後者は追起訴になり、併合審理を受けました。
     被害者は同じ会社に勤める女性事務員、安藤文。当時21歳です。私はその当時27歳でした。彼女との関係はその前年6月頃に私が、金沢市場輸送から事件の舞台になった市場急配センターに移ってからのことです。彼女と個人的な関わりを持つようになったのが、9月の中頃からで、10月の5日の夜の電話で、私は彼女に初めて交際を申し込みました。それから事件に至る半年ほどの間には、実に様々なことがありました。その積み重ねが、事件へと結びついたのです。
     彼女は、私が出頭した金沢西警察署から石川県立中央病院への搬送中、救急車内で、意識を失い、少なくとも3ヶ月ぐらいの間は、意識を失ったままで、意思表示をすることが出来ない状態だったようです。一応意識が戻ったと聞いたのは、その年、6月30日の公判の時でした。この公判が結審になり、8月3日に懲役4年の実刑判決を私は受けたのです。逮捕拘留から実質審理を受ける間だ、当人である被害者から話を聞くことが出来ない状況だったので、判決の基礎となった事実関係は、会社の同僚や、上司らによる供述と、被害者の両親によるものでした。要約すると、私が一方的に彼女に好意を抱き、執拗に交際を迫り、いい返事をもらえなかったことから立腹し、ついには殴る蹴るの暴行に及んだ、というものです。
     両親のことはとりあえず、除外します。しかし、この事実は、両親の供述というものは、極めて感情的なもので、法的効力を持つような信用性は、乏しいものだという印象を導きました。「知らぬは親ばかりなり」という印象です。しかしながら、本件では、幸いなことにこの通説を覆すような事実経過が、存在します。この点につきましても、後日ご説明したいと考えております。
     両親の供述供述調書も、私は見ておりますが、具体性がありません。それもそのはず、通常、自分の娘の会社のことは、ほとんど何も知らないものと言えるからです。ある程度の、会話はあったと思いますが、それによると彼女は、親切で優しい人たちのいる会社などと話していたそうです。
     警察としても、会社内の問題であり、会社の関係者の話を重視し、それを中心に捜査を進め、刑事手続きを進めたことは想像に難くないところです。
     どのような経過があったのか、私は当日に身柄を拘束されているので、直接には知る由はありません。ただ、初めから面会禁止などされておらず、何度か面会もしているので、おおよそのことは伝わりました。
     当時私は、これを自分と彼女の個人的な問題と考えていたので、大変なことをしでかした以上、理解や見方をしてもらうことは無理だと考えていました。それに頭の中にあったのは、彼女の容体の回復ばかりでした。意識不明の状態で、いつ死んでしまうかもしれず、このまま植物人間になる可能性も高かったのです。それ以外のことを考える余裕などほとんどありませんでした。自分にとって、不利な方向に進んでいるとはうすうす感じていましたが、ここまで本格的に警察の厄介になったのも初めてだったので、半信半疑のまま成り行きに任せるしかなかったのです。
     私は、3歳ぐらいの時に父親を亡くし、兄弟もおらず、母親一人に育てられました。父方の親戚は地元宇出津でしたが、行き来もほとんどなく、母方の親戚は、京都方面ばかりで、金沢には一人の親戚もおらず、このあたりも不利に働いたと思います。当時会社以外でつきあいのあった友人は、同郷の二人だけでした。この二人は、福井刑務所を出たときも向かえに来て、そのうちの一人は金沢刑務所を出たときにもきました。どちらも事前の連絡はありませんでした。
     初めから母親には、親切に頼んで費用を工面するので、私選弁護士をつけるように勧められていたのですが、私はお金で自分の罪を軽くするようなことは潔くないと考え、それ以上に彼女の両親に、これ以上悪い印象を与えたくないという配慮からこれを断っていたのです。国選弁護人が付き、一度だけ面会があったのですが、具体的な打ち合わせのようなものはありませんでした。
     控訴審の時は、私も考えを改め、事実を明らかにするのが自分の責任だと考えるようになり、私選弁護人を選任してもらったのですが、これも具体的なやりとりが乏しく、弁護士は私の意見や主張など採用せず、精神鑑定の請求をし、心神喪失もしくは心神耗弱の線で、弁護活動を行いました。上告した最高裁では、東京の弁護士が付き、そちらから事件の関係者の供述調書のコピーが送られてきました。縮小版です。
     それを見て、私は初めて事件の真相らしきものに触れることが出来たのです。そこには普通に生活していたのでは、決して知ることが出来ないような事実が多数含まれていました。
     事実は予め用意されていたのです。会社の連中の共同作業によって、彼女がいかに利用され、翻弄されていたのかも窺い知ることが出来ました。その内容を合理的に解釈する限り、彼女や私の意思というものは、存在しません。予めその存在を消す、つまり殺してしまうことを大前提に、進められていたとしか考えられないような問題が発覚したのです。

  177. 20051218: 当事者である被害者本人から事情を聞けない状況で、警察、検察が事実認定の根拠としたのは、会社関係者(市場急配センター)の供述でした。ほぼまったくその通りに事実認定がなされ、私はその年の八月三日に求刑どおり懲役四年の判決を受けました。もちろん実刑です。
  178. 20051218: メールは七百数十件をリストにしたもので、石川県内の会社、個人、役場などの行政機関、新聞社、テレビ局などで、告発の相手方である市場急配センター、金沢市場輸送を含め、石川県警察本部、警察庁を加え、今年の春ぐらいには、多数の国会議員の先生方を多数指定しました。
  179. 20051218: この件につきましては、市場急配センターや金沢市場輸送の組織犯罪の可能性を意識し始めた時点で、私はすぐに法務大臣に情願書を送り、徹底した調査と調査団の派遣を要請しました。まだ、福井刑務所に行く前のことで、平成5年頃の話です。当時の法務大臣は強硬で知られた後藤田法務大臣でした。警察官僚の出身だったような記憶もやや曖昧ですが残っています。
  180. 20051212: もう一つ、前々から選択肢の一つとして考えていたのは、私が市場急配センターに行き、直談判で白黒をつけるという方法でした。なぜに踏み切らず、実行しないで来たか、その点についても、あるいは疑問のむきがあるかもしれません。理由はいくつかあります。その理由についても、具体的に近日中に書いて行く予定でいます。
  181. 20051206: 昭和56,7年のことで記憶の方も曖昧なのですが、市場急配センターの関係者2人は、その安田敏の発狂時、一緒にシンナーを吸っていた、現場にいたと聞いた記憶もあります。
  182. 20051206: 私も相撲部に所属していました。能都中学校です。練習はほとんどすべて、石川県立水産高校の相撲部で行っていました。そのため、先輩との面識も広がり、その一人は、市場急配センターで浜口卓也らと仕事をしていたこともあり、カワムラさん、中町さんらと独立した仕事を始めていると聞いていました。安田敏とも付き合いや、面識があるはずです。
  183. 20051206: いつの間にか市場急配センターの社員となっていたらしい小林健一ですが、そのことから考えても、すでに市場急配センターという名称の会社は出来ていたはずです。
  184. 20051206: イワシの運搬をやっていたのは、金沢市場輸送のトラックがメインでしたが、仕事自体は、税金対策らしく、市場急配センターからの請け負いというかたちになっていたのです。
  185. 20051206: 時間の関係もあり、ここではあまり詳しくは説明できませんが、彼は金沢港でのイワシの運搬で、市場急配センターの現場監督というか管理者のようなことをやっていました。
  186. 20051206: 先に小林健一について、ご説明しておきます。彼は重要な人物の一人です。しかし、前回の記事にも書いたように、安藤文とほぼ入れ替えの感じで、会社を去って行きました。平成2年の春のことです。また、市場急配センターの現在の社屋が出来る前に、いなくなったはずです。
  187. 20051206: 今の市場急配センターの事務所が出来たのは平成元年の春だったと思います。ちょうど同じ頃に、文さんが入社したはずですが、朝から一日中、事務所で姿を見るようなことはなく、すでに市場急配センターの事務所が移転したあとであったと考えられます。
  188. 20051206: その後、その中町さんの紹介で、浜口卓也が同じく持ち込みの仕事をするようになりました。この頃には、すでに金沢市場輸送から独立して、市場急配センターという会社になっていたかもしれません。
  189. 20051206: そのトラックは、以前市場急配センターで持ち込む運転手の仕事をしていた。宇出津のカワムラという人から借りたと言います。私もその人のことは知っていました。
  190. 20051206: 兄弟もいないし、金沢では親戚もなく、頼みの同郷の友人は敵性である市場急配センター側の意向に添ったような態度があからさまで、油断もならず、孤立を深めるばかりでした。

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