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2021年2月11日木曜日

「多田敏明」を過去のはてなダイアリーの記事から検索

  1. 20071222:|-- 多田敏明.txt
  2. 20071222:-rw-r--r-- 1 root root 5.6K 12月 22 23:56 多田敏明.txt
  3. 20070326: また、その土曜日の夕方には、多田敏明と西口を誘い、北安江の焼き肉屋に行き、西口の口からも、今どきの娘としての、安藤文さんの評価を吹き込まれましたが、この時の多田敏明の登場もかなり芝居じみた作為性が窺えました。
  4. 20070326: その時の多田敏明の仕事についてもう一つ考えられるのは、愛知県の豊橋市あたりから小林運送の青果を積んでくる仕事であったことです。
  5. 20070326: また、私はその前の夜、つまり18日の土曜日の夜、金沢電装のすぐ近くに出来た焼肉店で、多田敏明と二人で食事をしました。多田敏明も、供述調書のなかで、よく食事をしたと述べていますが、支払いはすべて私がしていましたし、彼からおごってもらったことなど、缶コーヒーの一本すら記憶にはありません。
  6. 20070326: また、多田敏明が連れてきていた若者は、初めて見る顔でしたが、それなりに演技をして多田敏明に調子を合わせていたようです。それほど身長は高くなかったと思いますが、かなり痩せ型の、細長い感じの男で、ちょうど多田敏明と同じぐらいの歳に見えました。
  7. 20070326: 多田敏明が、高槻行きの馬鈴薯を積んでいたとすれば、どうして待ち合わせまでしていたのか考えにくいのですが、とにかく割とはっきりした必要性があり、事前に約束していたことは、何となく憶えています。
  8. 20070326: はっきり思い出せませんが、多田敏明の乗務する4トン車の積み荷は馬鈴薯で、だとすれば、行き先は大阪府の高槻の市場だったはずです。
  9. 20070326: とてもまともには信じられない話しでしたし、顔など見ても殴られて怪我をしたような様子はなく、嘘の作り話であることが丸わかりでしたが、本人がそこまで仕事をしたくない事情があるのなら仕方がないと考え、私は会社の電話から、松平日出男か東渡に連絡を入れ、そのあと安田敏に電話を掛けて、多田敏明の代わりに走ってくれるように頼んだのです。
  10. 20070326: 約束の時間に少し遅れて、多田敏明が現れたのですが、初めて見る友人を伴い、びっこをひくように歩いて来ました。聞くと、前の夜、東尋坊あたりにドライブに行き、知り合いの女性のことでトラブルになったヤクザ者の男に、鉄パイプで殴られ、体が痛いので、走りたいけど、走れそうにないようなことを曖昧に訴えていました。
  11. 20070326: まず、前後のことですが、1月18日の土曜日に私は名古屋行きのミールを積み込み、19日の日曜日の午後に会社に行き、夕方まだ明るい頃に出発したと思います。午後の何時であったか、忘れましたが、多分15時ぐらいで、その時間に多田敏明と会社で待ち合わせをしていました。
  12. 20070326: あとで、私の方で多田敏明の友人らを誘って、4人ぐらいにラーメンを食べに行き、おごったようなことは少し憶えています。
  13. 20070326: その友人らは、多田敏明の中学生の頃の同級生だったようですが、多田敏明の紹介で入社したというのは間違いなさそうでしたが、会社内で、打ち解けて話すような姿を見かけることは少なく、親しい間柄には見えなかったし、どことなく少々違和感も感じていました。
  14. 20070326: また、多田敏明の友人は、安藤文さんのことについて、たばこを吸っている姿を見て、ショックを受けたと話していました。それだけ近寄りがたく、清楚なイメージを持っていたのかもしれませんが、これも安藤文さんの人なりを知る一例かと思います。
  15. 20070326: それから5分か10分ほどして、私が麻雀会場の部屋に行くと、多田敏明がふて腐れたような顔で、座っていました。
  16. 20070326: すると、多田敏明が血相を変えるような素早い行動で、飛び出すように部屋を出て、安藤文さんらのあとを追っていったようです。
  17. 20070326: 割と早い時間で、だいたい22時ぐらいだったと思うのですが、私は20,30分ほど、多田敏明の紹介した社員らのいる部屋で、その若者と話しをしていました。
  18. 20070326: 私が出入りしたのは、その他の3つの部屋で、古い記憶なので、説明も大雑把になりますが、一番、右側の部屋に、多田敏明や、多田敏明の紹介で入社した社員がいました。
  19. 20070326: 多田敏明は私について、次のように供述しています。
  20. 20070326: 検察官から初めて具体的な指摘を得たこともあり、今回の告訴は梅野博之、池田宏美、安田繁克、多田敏明、松平日出男、浜口卓也、安田敏の7名に絞って行いたいと思います。
  21. 20070326: 梅野博之、池田宏美、安田敏、多田敏明、松平日出男の供述調書ですが、仕事から戻って炊飯器でご飯を炊いている時間でほぼ読み終えていました。つい「邯鄲一炊の夢」を思い出してしまいましたが、事実の全体からすれば、実に儚く乏しい内容です。
  22. 20070326: 21日の夜には、久しぶりに梅野博之、池田宏美、安田敏、多田敏明、松平日出男の供述調書を読みました。公開している個人サーバのホームページで読んだのですが、いくつか誤字も含まれているようでした。
  23. 20070326:(8)多田敏明
  24. 20070305: 多田敏明の話しによると、安田繁克は安藤文さんにいい服を着て来て欲しいと言われて、自宅に招かれ、父親と酒を飲んだが、堅苦しくまずい酒だったということです。さらに、安藤文さんは安田繁克に対して強い恨みを抱いているとも断言していました。
  25. 20070305: その後、多田敏明の方で隠していた事実を告白するようにいろいろと吹き込んできましたが、多田敏明の方では深い関係を否定し、概ね多田敏明自身が供述調書に供述しているような曖昧な説明をしていましたが、時折、迫真の真実を語るようなことがあり、私に対して、安田繁克と安藤文さんの間にただならぬ男女関係のもつれのあったことを具体的且つ明確に印象づけていました。
  26. 20070305:多田敏明について
  27. 20070305: ちなみに、平成4年の4月1日の事件の時は、翌日の運行予定として、引っ越しの荷物を積んで東京に行くことが決まっており、さらに多田敏明を同乗させるとも言われていました。私が乗務するのは10トンの大型トラックであり、多田敏明は大型免許を持ってはおらず、大型車の運転をしたことがあるとも聞いたことはありませんでした。これも貪欲な情報収集が目的であったと考えるのが自然です。
  28. 20070305: そのあたりの事情は、いわば集大成というかたちで、池田宏美、梅野博之、松平日出男、安田敏、安田繁克、浜口卓也、多田敏明らの金沢西警察署で作成された供述調書の内容に現れているところです。
  29. 20070305:(8)多田敏明
  30. 20070305:竹沢俊寿、本恒夫、松平日出男、安田敏、梅野博之、池田宏美、安田繁克、多田敏明、東渡好信等最低9名以上の者
  31. 20061030: なお、ブログではまだ書いていなかったように思うのですが、安田繁克は暴走族のリーダーをしていて、一時、暴力団にも所属していたと自ら話していました。「狂走恋命」などと言っていましたが、間に合わせの適当なグループ名に思えました。私が暴走族のまねごとをしていた時分でも、おなじ名前で落書きをすることがあったからで、金沢でそのようなグループ名を聞くこともありませんでした。ただ、多田敏明同様、暴走族をしていたことは本当のような感じでした。
  32. 20061006:*1160133820*[参考資料]多田敏明の供述調書<平成4年4月11日付>
  33. 20061002: 平成4年、金沢西警察署において作成された松平日出男、梅野博之、池田宏美、浜口卓也、多田敏明、安田繁克、安田敏の各供述調書も、御庁において保管されている可能性が高いと考えますが、私の方でも写しを持っているので、必要があればご連絡願います。
  34. 20061002: 安藤文が人並み外れて気が強く、強情な性格であることは、多田敏明や安田敏、浜口卓也からも強く印象づけられていた。
  35. 20061002: どう自然且つ合理的に解釈しても、彼女が好きな人を廣野本人だと意思表示しているとしか考えられない状況にあったが、安田敏、多田敏明、安田繁克らが仕掛けた安藤文に対する不信感は、執拗且つ徹底したものであり、どうにも理解しがたいものとして廣野を呪縛し、また、池田宏美らに指示された可能性の高い交際拒否の言葉が、廣野の心に深い傷を与え、大きな痛手となっていた。
  36. 20061002: 多田敏明も同じく供述調書で、その場に居合わせたことに触れないで自分の存在を隠し、単に伝え聞いたようなおかしな説明を行っている。
  37. 20061002: 平成四年二月一日になると、当の本人安田繁克が、廣野の前に現れ、夜、市場急配センターの運転手休憩室で、長い時間安藤文のことなど話しをした。まずこの接触自体がすこぶる芝居がかったわざとらしいもので、その場に居合わせた、多田敏明、東渡、浜上らの計画的関与を強く推認させるとともに、安田繁克自身が、四月一日の事件後に金沢西警察署で作成した供述調書のなかで、事実とは正反対のでたらめを具体的に述べている。
  38. 20061002: 安田繁克と安藤文の交際については、その後、多田敏明の口から、より具体的深刻な問題があったような説明を受けたが、同時に不可解な曖昧さで表現されていた。
  39. 20061002: 被告訴人東渡好信は、多田敏明、安田敏、安田繁克らを手足の如く巧みに操り、廣野の反応や情報をかき集め、他方、池田宏美、梅野博之らも市場急配センター事務所内で、安藤文から情報を引き出し、臨機応変な効果的策謀を繰り出し、さらなる具体的指示を与えていたものと推認しうる。
  40. 20061002: この安藤文の形式的な言辞を攻撃材料的武器とし、安田敏、続いて被告訴人多田敏明が、安藤文に対する不信感を持った廣野からの相談の機械を利用し、虚実を織り交ぜて廣野の安藤文に対する不信感を増幅させた。
  41. 20061002: 被告訴人竹沢俊寿俊寿は、金沢市場輸送株式会社、市場急配センター株式会社(金沢市駅西本町4丁目2番12号所在)両社の会長であり、両社の実質的経営者であったもの、被告訴人本恒夫は金沢市場輸送の社長、被告訴人松平日出男は市場急配センターの社長、被告訴人東渡好信、池田宏美、梅野博之は市場急配センターの事務員であったもの、被告訴人、安田繁克、多田敏明、浜口卓也、安田敏は市場急配センターの社員運転手であったものであり、被告訴人、大網健二、大網周一、加田義満は告訴人廣野秀樹の友人関係にあったものである。
  42. 20061002:(8)多田敏明
  43. 20061002:竹沢俊寿、本恒夫、松平日出男、安田敏、梅野博之、池田宏美、安田繁克、多田敏明、東渡好信等最低9名以上の者
  44. 20060911: 市場急配センターにいた小林健一という人物は、自分の父親が最高裁の判事だと言っていました。多田敏明の話については、金沢西警察署の留置場にいたとき、藤井、坂井という看守の巡査に話し、すぐに弁護士名簿を取り出して名前を調べていましたが、安藤という弁護士は登録されていないと言いました。
  45. 20060911: まず、平成3年の11月ぐらいから、被告訴人の一人、多田敏明は、被害者安藤文の父親について、私に対して職業が弁護士だと話していました。
  46. 20060827: 多田敏明が、自分に安藤文さんが、事務員を辞めて運転手をしたいと話していたと言っていたことについては、前にも書いたことがあると思います。あるいは「告訴状(途中)」にも書いてあるはずです。これも非常に細かいことのようですが、細かいことの積み重ねで大きな誤信を誘導していたという形跡が窺えるところです。
  47. 20060815: そのあたりも含め、被告訴人の安田繁克、多田敏明と同じ高岡中学校で年齢も近いと思い、あるいは面識や交遊もあったのかと考えたことがありました。安田繁克の家は東力、多田敏明は間明でした。この間明の隣が加田義満の自宅兼会社事務所のあった黒田一丁目です。
  48. 20051224:竹沢俊寿、本恒夫、松平日出男、安田敏、梅野博之、池田宏美、安田繁克、多田敏明、東渡好信等最低9名以上の者

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