ああ33

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告発状作成中

2021年2月11日木曜日

「安田敏」を過去のはてなダイアリーの記事から検索

  1. 20070305: 犯罪への関与について明確に指し示す具体的な根拠はありませんが、東渡を金沢市場輸送に招き入れ、その直後から東渡が傍若無人な振る舞いで混乱を引き起こし、他の社員をそそのかしてストライキを行い、対立的な立場であったときの態度、私に会社に愛想をつかせて、市場急配センターに導いた振る舞い、そのきっかけを作った安田敏の入社など、事情に知悉し了解していなければなしえなかった関与をしている人物です。大の麻雀好きで、連日夕方から金沢市場輸送の休憩室で麻雀をしており、東渡や堂野もその常連メンバーであり、松平日出男やその友人であるカベヤこと松岡という人物もよく出入りをしていました。
  2. 20080624: 福井刑務所を出たばかりの頃、電話で話をした安田敏が、刑務所で頭がおかしくなっていたらしいな、などと言ってきたこともありました。どこからそんな話しを聞いたのかわかりませんが、被害妄想として片づけるのが、多数の彼らにとって共通した大きな利益であり、願望であって、そのような期待を増幅させるような態度を示していたのも、ほかならぬ警察や司法関係者だったからです。
  3. 20071222:|-- 安田敏_4月8日.txt
  4. 20071222:-rw-r--r-- 1 root root 7.7K 12月 22 23:56 安田敏_4月8日.txt
  5. 20070626: その関係者の供述調書は、このブログでも全文を公開してあるはずですが、一度も事情を聞かれたこともないと、自信たっぷりに抗弁していた安田敏は、自分自身が警察で作成された供述調書についても、30分程度で簡単に作られた。あらかじめ複数から話しを聞いていた様子で、出来上がった話しに合わせたおいただけ、というような言い方で、まるで警察が都合で勝手に作り上げた作文のようなもので、一応判子だけ押して帰ってきたような言いぐさでした。
  6. 20070326: いずれにせよ、安田敏と一緒に目的地に向かうようなことはありませんでした。少し憶えているのは、数日後、浜口卓也がなぜ一緒に行こうと誘ってくれなかったのかと、不満そうなことを言っていたことです。浜口卓也も名古屋方面の月曜日降ろしの荷物を積んでいたものと考えられますが、私はそんなことを知らず、浜口卓也に少し咎めるようなことを言われ、意外に感じたこともかすかに印象に残っています。
  7. 20070326: 一応、電話で安田敏を説得して渋々承知をさせたのですが、安田敏の方ではあらかじめ事情をわかっていたような節も窺え、会社ぐるみで仕組んだような不自然さもほのかに感じていたのです。
  8. 20070326: 例外といえば、安田敏ぐらいで、安田敏はもともとそのようなこだわりがなく、早い段階から、同級生かそれ以上の乱暴な言葉遣いもつかっていましたが、もともと口が悪く、言葉が乱暴な土地柄でもあったのです。
  9. 20070326: とてもまともには信じられない話しでしたし、顔など見ても殴られて怪我をしたような様子はなく、嘘の作り話であることが丸わかりでしたが、本人がそこまで仕事をしたくない事情があるのなら仕方がないと考え、私は会社の電話から、松平日出男か東渡に連絡を入れ、そのあと安田敏に電話を掛けて、多田敏明の代わりに走ってくれるように頼んだのです。
  10. 20070326: また、5~6人でスナックに飲みに行ったことになっていますが、安田敏がいるはずもなく、私自身、梅野博之が言うように浜口卓也らと一緒にスナックには行っていないのです。
  11. 20070326: 安田敏は、実の兄の結婚式に出席するという理由で、来ていませんでした。
  12. 20070326: 梅野博之の供述調書には、他にも明らかな嘘が含まれています。まず、片山津温泉での新年会のことですが、梅野博之が言うように、安田敏は出席していません。
  13. 20070326: 安田敏は次のように供述しています。
  14. 20070326: 検察官から初めて具体的な指摘を得たこともあり、今回の告訴は梅野博之、池田宏美、安田繁克、多田敏明、松平日出男、浜口卓也、安田敏の7名に絞って行いたいと思います。
  15. 20070326: 梅野博之、池田宏美、安田敏、多田敏明、松平日出男の供述調書ですが、仕事から戻って炊飯器でご飯を炊いている時間でほぼ読み終えていました。つい「邯鄲一炊の夢」を思い出してしまいましたが、事実の全体からすれば、実に儚く乏しい内容です。
  16. 20070326: 21日の夜には、久しぶりに梅野博之、池田宏美、安田敏、多田敏明、松平日出男の供述調書を読みました。公開している個人サーバのホームページで読んだのですが、いくつか誤字も含まれているようでした。
  17. 20070326: 初めて彼女のショートカットの姿を見たのもその翌日だったと思います。ひそかに私はその髪型が彼女には一番似合っていると感じていたのですが、安田敏は「女の子が髪を切るのはよっぽどの事情がある」などと私の不安を煽るようなことを言っていました。ちなみに、金沢市場輸送で彼女を見かけるようになった頃は、いつもポニーテールの髪型で、書類のような束を両腕をクロスに組み胸に大切そうに抱える姿が印象的でした。市場急配センターで姿を見るようになってからは普通のロングヘアーのことが多く、ポニーテールというのはさほど見かけなくなっていたような気がします。
  18. 20070326:(4)安田敏 
  19. 20070305: また、その死亡についても、安田敏は私に話す時期を意識的に先延ばした形跡が窺え、だとすれば、安田敏自身が犯行を通じて特別な関係であることを十分認識していたという解釈が成り立ちます。
  20. 20070305: 松岡同様、安藤文さんのフィルム貼りの手伝いを目撃し、ずいぶん驚いた顔をしていましたが、両者の実質的な経営権を掌握しており、すべてを見通したうえで、成り行きを実行役に任せていたという首謀者的な立場の疑いのある人物です。そのような関与がなかったのであれば、松平日出男の独断でなしえなかった計画と解釈するのが合理的であり、全体的な計画の目的、人員の配置、采配を推し量るうえでも黒幕的な存在であって、事案の真相解明には欠くことの出来ない人物でしたが、安田敏によると数年前に死去したといいます。
  21. 20070305: 犯罪への関与について明確に指し示す具体的な根拠はありませんが、東渡を金沢市場輸送に招き入れ、その直後から東渡が傍若無人な振る舞いで混乱を引き起こし、他の社員をそそのかしてストライキを行い、対立的な立場であったときの態度、私に会社に愛想をつかせて、市場急配センターに導いた振る舞い、そのきっかけを作った安田敏の入社など、事情に知悉し了解していなければなしえなかった関与をしている人物です。大の麻雀好きで、連日夕方から金沢市場輸送の休憩室で麻雀をしており、東渡や堂野もその常連メンバーであり、松平日出男やその友人であるカベヤこと松岡という人物もよく出入りをしていました。
  22. 20070305: 安田敏は、その話をしたときもあっけらかんとした態度で、彼女が好きだという人物について言及するようなことはなく、その話だけをいわば事務的に私に伝えていました。
  23. 20070305: また、これもその数日前、安田敏から聞いた話しでは、安藤文さんが好きな人にプレゼントをするため、金沢市場輸送の女子事務員に手編みの編み物を習いに行っていたそうです。
  24. 20070305: よく見ると、夏に安田敏との会話を録音したものはこの中には含まれていないようです。ファイルの複製は容易なので、CDを含め随所に保管してありますが、ファイル名に録音時の日付を加えてあるので、状況の流れもつかみやすいかと思います。また、ファイルサイズも書き出したので、会話の長さの目安にもなると思いますが、.WAVという音声ファイルの形式はボイスレコーダーで標準に保存される形式でデータサイズが大きくなるWindowsXPより前のWindowsパソコンで標準の規格のものです。
  25. 20070305:ファイル名:安田敏(前半)20030103_143238.mp3 FILESIZE=53M
  26. 20070305:ファイル名:安田敏(前半)20030103_143238.WAV FILESIZE=85M
  27. 20070305:ファイル名:安田敏(後半)20030103_151942.WAV FILESIZE=209M
  28. 20070305: 安田敏(後半)20030103_151942.WAV
  29. 20070305: 安田敏(前半)20030103_143238.WAV
  30. 20070305: 安田敏(前半)20030103_143238.mp3
  31. 20070305:└─安田敏
  32. 20070305: 倉庫の敷地内にはいるのに、24トンのミールを積んで、タイヤが二本同時に爆発するような乱暴な運転をしたそうですが、その頃になると安田敏が何をしても、松平日出男が直接安田敏を咎めるようなことはないばかりか、以前のように私に苦情を言ってくるようなこともなくなっていました。
  33. 20070305: 他に、1月の終わり頃には、清水倉庫でトラックのタイヤを二本まとめて破裂させ、ホィールもだめにしたような話しがありましたが、これもにわかには信じがたい話しで、実際に壊れたタイヤやホィールは見ておりません。清水倉庫でフォークリフトの運転をする顔見知りの国勝運送の人が、私に、「お前んとこの、あの運転手大丈夫なんか?」と信じられない光景を目撃したように話しかけて知ったのですが、会社の休憩室で安田敏に会ったときは、すでに会社に内緒で市川タイヤに行き、修理に出したか、修理をしてきたようなことを簡単に説明していました。
  34. 20070305: その時、浜上さんは東渡のことについて親身にかばうような説明をし、東渡の妻について「鬼のような女」と酷評していました。東渡の方が会社同様家庭でも好き放題のわがままをしているように私には思えたのですが、浜上さんは似たような寛容さで、安田敏を庇い、私に厳しすぎるような非難を暗に向けることもありました。
  35. 20070305: そのあとだったように思うのですが、誰もいない休憩室に安田敏と二人でいると、電話が鳴り、私が出ると相手が女性で、安田敏への取り次ぎをしたのですが、このあたりも腑に落ちない不自然さがあり、その女性は「カジ」と名乗っていました。
  36. 20070305: 確か3月の29日の日曜日の午後に、会社の前でポンコツの乗用車の洗車をしてました。休日と言うこともあり、他の社員の姿はなかったと思います。それより数時間前の午前中になると思いますが、安田敏が休憩室でシャッターが降りたまま電気もつけず、机に座って電話を掛けていました。
  37. 20070305: オートバックスに行った頃の安田敏は、うまくいくかどうかは半々だと予想を立て、明るく余裕さえ窺わせる態度で、普段以上に気分もよさそうでした。安藤文さんが、どのような対応をするかは、あらかじめ池田宏美を通じて筋書きが出来ており、それ故の余裕だったと考えられます。
  38. 20070305: ところが、翌日の月曜日に会社に行くと松平日出男が私に、安田敏の乗務するトラックにぶつけた痕跡があるようなことを言い出し、話しぶりからそれは名古屋から戻ったときに間違いないような説明で、さらに安田敏に対する不信感を露骨に訴えかけるような、言い回しだったのです。
  39. 20070305: 実際、私は翌日の朝、安田敏のトラックに同乗して、名古屋の北部市場に付き合ったのですが、名古屋から戻って駐車場にトラックを停めたのは、夕方まだ明るい頃でした。トラックを停めるまで私が一緒にいて異状はまったくなかったのです。
  40. 20070305: その時、安田敏は冗談ぽく、交際がダメだったら、明日名古屋に馬鈴薯を降ろしに行くのに付き合ってくれと軽く言っていました。
  41. 20070305: その帰りに、安田敏と二人で金沢市内諸江にあるオートバックスというカー用品の店に行ったことも憶えています。これは、安田敏のトラックに馬鈴薯を積み込んだあとのことかもしれません。
  42. 20070305: 電話で交際を申し込むことは10月5日の午後に、安田敏に話しをしていました。このあたりも松平日出男かあるいは東渡の采配があったのか、5日の午後は、東渡のトラックに安田敏と3人で同乗して、河北郡(当時)高松町あたりに荷卸しに行っていたのです。
  43. 20070305: 安田敏は、誰にもお礼や挨拶をすることはなく、何かを黙々と考えている様子だったのですが、市場急配センターの事務所に戻って口を開くと、「あの事務所に来とった(正確には休憩室)女の子、東渡の娘なんやてな」と言いだし、私が、「ありがとう、ぐらいいえんのか」というと、「そんな言葉、長いこと使っとらんし、忘れたな」などと軽口を叩いていました。
  44. 20070305: 安田敏も同様に、責任を問われ警察に捕まるとすれば、絶対に自分より先に松平日出男だというような言い方をしており、初めから自分は利用されただけという、気構えでいるようです。
  45. 20070305: 安田敏の供述調書を読んで感じたことは、予想外にまともなことを話している、という印象でした。予想外におかしなことを話していて、正気をも疑ったのは梅野博之の方ですが、対照的に事件前の会社での人なりは、梅野博之の方がありふれて一般的なものでした。
  46. 20070305: 安田敏が繰り返した会社内における問題性のある行動というのは、細かいといえば細かいもので、彼持ち前のパーソナリティとの識別も困難でしたが、意識的な振る舞い、つまり演技である可能性は、比較的早い段階から感じることがありましたが、目的が判然とせず、断定や確信には至りませんでした。
  47. 20070305: 事務所の階段付近まで追いかけて、ベルトを手渡そうとしたことがありましたが、私が応じないで立ち去ると、安田敏は振り向きざまに悪魔のような自虐的な笑い顔を見せていました。なにかゲーム感覚で、自らの演技に酔いしれていたという印象があります。
  48. 20070305: 安田敏はその年6月頃に、私の紹介で金沢市場輸送に入社し、その直後から市場急配センターで仕事をしていました。作為あるいは意図的と思われるようなトラックの物損事故を繰り返したり、問題のある行動や発言も同様に繰り返していました。まず金沢市場輸送の入社に際して、50万円の前借りをし、私がその保証人になったのですが、実際に給料引きの支払いを始めたのは早くてその年の12月からで、あるいは翌年の1月からです。口ではお金に困っているようなことも説明してはいましたが、具体性もなければ、切迫感もまったくありませんでした。
  49. 20070305: 安田敏に安藤文さんのことを相談したのは、平成3年9月の終わり頃だったと思います。諦めろとか思い込みという否定的な説得を繰り返していましたが、時折、理解を示し期待を持たせるような態度をとることもありました。
  50. 20070305:安田敏について
  51. 20070305: そのあたりの事情は、いわば集大成というかたちで、池田宏美、梅野博之、松平日出男、安田敏、安田繁克、浜口卓也、多田敏明らの金沢西警察署で作成された供述調書の内容に現れているところです。
  52. 20070305:(4)安田敏 
  53. 20070305:竹沢俊寿、本恒夫、松平日出男、安田敏、梅野博之、池田宏美、安田繁克、多田敏明、東渡好信等最低9名以上の者
  54. 20061224: 安田敏(後半)20030103_151942.WAV
  55. 20061224: 安田敏(前半)20030103_143238.WAV
  56. 20061224: 安田敏(前半)20030103_143238.mp3
  57. 20061224:└─安田敏
  58. 20061112: そういえば、安田敏と加田義満との会話は、ボイスレコーダで録音し、大学や新聞社には音声ファイルをダウンロードするかたちで、限定公開した経緯もありました。その音声ファイルは金沢地方裁判所の方にも、再審請求の資料として添付しており、心なしか、金沢地方裁判所の事務官の対応も、その直後に一変したように感じました。
  59. 20061030: 彼は、水産高校で一年生の時、安田敏は同じ高校の三年生で、電車通学の方向も同じだったので、私以上によく知っていたことも考えられます。
  60. 20061030: 安田敏が金沢西警察署に面会に来たのも、取調べがほとんど終わった頃だったと思います。「あの娘、きかん(気が強い)がよおわかっとるやろ(よくわかっているだろう)、いくらきかんでも死ぬまで殴ることないやろ」などと言い、最後の方には、「首の大切な神経が切れているらしい、助かっても全身不随」などと断定的に話していました。
  61. 20061030: 岡田進弁護士は体格や物腰が安田敏と似ていました。
  62. 20061022: 市場急配センターの仕事は比較的楽でした。ただ、運転手間の不公平も顕著で、割の合わない仕事を回されるのは、私と安田敏に決まっていたような感じで、一部はわがまま放題で他に負担を押し付けていました。それを割り引いても楽な運行でしたが、安藤文さんとのことで精神的な負担が増し、危機的に思うようになっていました。
  63. 20061020: ネット上の情報公開でも一度は触れたことがあるように思うのですが、私が市場急配センターの連中に不信感を抱き、少し安田敏について話しを始めたところ、谷内孝志警部補はすぐに遮り、「あんな男の話をするな、お前の男が下がるだけや」と言ったことがありました。
  64. 20061016: 福井刑務所を出たばかりの頃、電話で話をした安田敏が、刑務所で頭がおかしくなっていたらしいな、などと言ってきたこともありました。どこからそんな話しを聞いたのかわかりませんが、被害妄想として片づけるのが、多数の彼らにとって共通した大きな利益であり、願望であって、そのような期待を増幅させるような態度を示していたのも、ほかならぬ警察や司法関係者だったからです。
  65. 20061008:このとき文ちゃんは、安田敏さん
  66. 20061008:安田敏さんが事務所へ来て
  67. 20061008:安田敏
  68. 20061008:氏名 安田敏
  69. 20061008:*1160317510*[参考資料]安田敏平成4年4月8日付供述調書
  70. 20061005:安田敏君
  71. 20061005:安田敏等
  72. 20061005:浜口卓也や安田敏
  73. 20061002: 平成4年、金沢西警察署において作成された松平日出男、梅野博之、池田宏美、浜口卓也、多田敏明、安田繁克、安田敏の各供述調書も、御庁において保管されている可能性が高いと考えますが、私の方でも写しを持っているので、必要があればご連絡願います。
  74. 20061002: また、より参考になると思われる安田敏、加田義満との会話を録音した音声ファイルは、CDに収録し、平成15年1月頃、金沢地方裁判所に再審請求の添付資料として提出してあります。その後、返戻を受けていないので、御庁において保管されている可能性が高いと考えられます。
  75. 20061002: 安藤文が人並み外れて気が強く、強情な性格であることは、多田敏明や安田敏、浜口卓也からも強く印象づけられていた。
  76. 20061002: 廣野には、彼女が同じ会社にいるので、関係を悪くさせたくないという恋愛関係とは別の常識的な見方も常にあったし、安田敏もそのような解釈を繰り返し廣野に吹き込んでいた。安田敏は、冗談ぽく、松平日出男の愛人かもしれないとも言っていたが、それも絶妙な心理的効果を廣野に与えていた。
  77. 20061002: どう自然且つ合理的に解釈しても、彼女が好きな人を廣野本人だと意思表示しているとしか考えられない状況にあったが、安田敏、多田敏明、安田繁克らが仕掛けた安藤文に対する不信感は、執拗且つ徹底したものであり、どうにも理解しがたいものとして廣野を呪縛し、また、池田宏美らに指示された可能性の高い交際拒否の言葉が、廣野の心に深い傷を与え、大きな痛手となっていた。
  78. 20061002: 安田敏も、故意に不可解で非常識な言動や事故を繰り返したり、自宅の電話線を引き抜き、妻、ユミは徹底して訪問した廣野に顔を隠していた。その他数々の奇行、非常識さで変人性をことさらに印象付け、人間不信、錯覚、錯誤に陥りやすい状況を醸し出した。
  79. 20061002: 被告訴人東渡好信は、多田敏明、安田敏、安田繁克らを手足の如く巧みに操り、廣野の反応や情報をかき集め、他方、池田宏美、梅野博之らも市場急配センター事務所内で、安藤文から情報を引き出し、臨機応変な効果的策謀を繰り出し、さらなる具体的指示を与えていたものと推認しうる。
  80. 20061002: この安藤文の形式的な言辞を攻撃材料的武器とし、安田敏、続いて被告訴人多田敏明が、安藤文に対する不信感を持った廣野からの相談の機械を利用し、虚実を織り交ぜて廣野の安藤文に対する不信感を増幅させた。
  81. 20061002: また、自腹を切った慈善で割の合わない少ない給料で配車の仕事をするようになったと話していた本恒夫が、じつは月給一〇〇万円の条件でボーナスも破格の待遇を受けていたという噂が金沢市場輸送社内に流れたのも、安田敏が入社した直後のことだった。
  82. 20061002: ここでまず廣野と安田敏の新規長距離部門の乗務が決まったが、廣野が市場急配センターに移ると同時に、その翌日からはそれまで毎日金沢市場輸送の事務所で机に座り仕事をしていた被告訴人池田宏美が、市場急配センター事務所で仕事をするようになり、安藤文と机を向かい合わせ、一日中事務の仕事をするようになった。
  83. 20061002: この過程において、本恒夫は廣野を意図的に挑発し、金沢市場輸送をやめる方向に導き、安田敏の借金の保証人のことで話し合いに訪れた市場急配センター事務所で、松平日出男が一日1万五千円の市内配達のアルバイトを持ちかけ、廣野が承諾して仕事を始めるや、すぐに、市場急配センターで大型車を導入し青果物の長距離トラック業務を行うので、大型車に乗務して欲しいと持ちかけた。
  84. 20061002: 安田敏は入社するとすぐに、市場急配センターで市内配達の仕事をするようになり、そのかたわら大徳自動車学校に通い、大型免許を取得した。
  85. 20061002: これは廣野の性格や家庭事情を計算した上での誘導操作であった可能性が高く、事態はその思惑通りに推移し、会社に愛想をつかした廣野が欠勤を続けていたところ、大網兄弟らと同じく同郷の友人であった被告訴人安田敏から連絡が入り、相談の末、安田敏が金沢市場輸送から五〇万円の前借りをし、廣野がその保証人になることを条件に金沢市場輸送への入社が決まった。
  86. 20061002: 被告訴人竹沢俊寿俊寿は、金沢市場輸送株式会社、市場急配センター株式会社(金沢市駅西本町4丁目2番12号所在)両社の会長であり、両社の実質的経営者であったもの、被告訴人本恒夫は金沢市場輸送の社長、被告訴人松平日出男は市場急配センターの社長、被告訴人東渡好信、池田宏美、梅野博之は市場急配センターの事務員であったもの、被告訴人、安田繁克、多田敏明、浜口卓也、安田敏は市場急配センターの社員運転手であったものであり、被告訴人、大網健二、大網周一、加田義満は告訴人廣野秀樹の友人関係にあったものである。
  87. 20061002:(4)安田敏 
  88. 20061002:竹沢俊寿、本恒夫、松平日出男、安田敏、梅野博之、池田宏美、安田繁克、多田敏明、東渡好信等最低9名以上の者
  89. 20060917: 安田敏同様、前に何時掛けたのか思い出せませんが、あるいは一年以上経過しているかもしれません。前回梅野博之に電話をしたときは、登録された電話番号しか繋がらないとアナウンスが流れていました。
  90. 20060917: これまでの対応を見ると、安田敏に関しては観念をしているようです。生活の窮状も訴えていましたが、自分らのことしか考えておらず、相変わらず虫のよい甘えが感じられました。
  91. 20060917: 安田敏は昭和37年ぐらいの生まれで、学年的には私の二つ年上でした。ユミという名の妻は、安田敏より少し年上だったように思います。少なくとも年下ではなかったはずです。
  92. 20060917: 安田敏はそれ以前から、自宅の電話線を抜くなどし、おかしな行動を見せていましたが、私に電話を掛けるように仕向けていたのも、東渡、浜上、松平日出男でした。
  93. 20060917: 安田敏が連絡を寄越してきた平成3年の4月の終わり頃から、ちょくちょく安田敏のアパートに遊びに行っていたのですが、その金沢市花里のアパートはもともと彼女のもので、そこに安田敏が転がり込んできたそうです。
  94. 20060917: 安田敏は金沢の方で、ずっと運転手をしているといい、余り帰ってこない等といいながら、安田敏のことより自分のことを気に掛けた様子で、「私は、関係ないですよね」、「別居していたこともあるし」、「離婚すれば関係ないですよね」などと問い掛けのように話していました。
  95. 20060917: 今日20時過ぎに被告訴人の一人安田敏の家の方に電話を掛けました。案の定安田敏は不在でしたが、妻としばらく話しをすることが出来ました。
  96. 20060917:*1158498186*[告訴事件]安田敏の妻、ユミについて
  97. 20060909: 吉村哲は安田敏とも私のアパートで知り合い、加田義満とも知り合っていました。個人的な付き合いは確認しておらず、あまり馬があったとも考えにくいのですが、吉村哲と浜口卓也も一緒に飲むことがあると聞いたような憶えがあり、どちらも野心的だったので、馬が合い気があった可能性はあると思えます。
  98. 20060909: これも前記と同様の理由で実名は書けませんが、安田敏が片町で働いていたという飲み屋の名前は、初めが「ハートブレイク」、そのあとにつとめたという店の名前が、「ラバズバ」であったと記憶しています。
  99. 20060909: 安田敏も、同じようなグループと交際があり、そのうち、二人の受刑者と福井刑務所で同じ工場の同じ班で作業をしていたことは、「告訴状(途中)」に書いてあると思います。
  100. 20060909: 録音しNHK金沢放送局にもCDで郵送した会話だったと思いますが、安田敏はその後独立したというコウキの運送会社で使ってもらうことを進めていました。保冷車の箱の後ろの扉に、三島由紀夫がはちまきを締めた絵を描いたトレーラーの運転手がいたような話もしていたかと思います。
  101. 20060909: 初めは、これも安田敏やヒロボの部屋にちょくちょく遊びに来ていたコウキこと下根コウキという同級生の男が、高井水産で4トンの保冷車に乗務するようになったのがきっかけだったようです。彼も珠洲市三崎の出身でした。
  102. 20060909: その頃はヒロボも無職で遊んでいたと思いますが、しばらくして高井水産という鮮魚専門の運送会社で仕事をするようになり、2003年頃に安田敏に聞いた話では、「偉様」になっているといい、管理職になっているらしく、あるいは部長と言っていたかも知れません。
  103. 20060909: 確か向かい側の建物の一番奥が、これも珠洲市宝立町の出身で私より二つ年上、安田敏とは同級生になるヒロボこと山崎某の部屋でした。この部屋にもちょくちょく遊びに行っていたのですが、そこで知り合ったのが、「告訴状(途中)」でアルファベットの仮名表記をしてある内堀秀行でした。
  104. 20060909: その観音堂のアパートは、古い木造の風呂もないような建物で、同じ建物が2棟向き合うような格好になっていました。道路から入って、右側の建物の一番手前が安田敏の部屋だったと思います。
  105. 20060909: オジコは15,6歳の頃、大網周一とも兄弟のように仲良くいつも一緒に行動していたことがあると聞いていました。名前だけは、だいぶん前からちょくちょく耳にしていたのですが、実際にあったのは安田敏のアパートが初めてだったと思います。
  106. 20060909: 私がトラックの仕事をするようになったのも、オジコがきっかけのようなもので、安田敏の観音堂のアパートに居候していた昭和58年の秋頃、ちょくちょく遊びに来ていたオジコに誘われ、一度、中西運輸商の長距離の仕事に同乗し、山口県の小野田市あたりから、静岡県の清水市に行き、松本市、白馬、糸魚川経由(通称大糸線)で戻ってきたことがありました。
  107. 20060909: 10トン車を運転して、サービスエリアに行き荷物を積み替えて、4トン車に乗って会社に戻ったのですが、安田敏も同行させていました。
  108. 20060909: 9月一杯ぐらいまでセイゴ釣りに出掛けていたと思いますが、その最後の方で釣りをしながら、安田敏に安藤文さんのことを相談したような気がしてきました。今うっすらと思い出し掛けてきた記憶です。
  109. 20060909: それまでは、安田敏と二人で市内配達をしていましたが、仕事の内容は別々でした。終わり時間が似たようなもので、仕事が終わってからゲームセンターに遊びに行ったこともあり、それとその頃はよく金沢港の五郎島というところにセイゴを釣りに行っていました。セイゴというのはスズキの小さな魚ですが、3,40センチクラスがものがよく釣れ、コツを掴んだらしく、行って釣れないことはほとんどありませんでした。ただ、金沢港の魚は油くさいと聞いていたこともあり、持って帰って食べるようなことはありませんでした。
  110. 20060909: 実際に大型車に乗務するようになったのは、8月の終わりか9月1日になってからで、初めの運行というのは、安田敏と二人で神奈川県の厚木市に荷物を運び、東京の晴海埠頭からバナナを積んで戻りました。
  111. 20060909: 結局、金沢市場輸送をやめた直後、安田敏の入社の条件のようになっていた50万円の前借りの保証人になっていた頃から、その話をつけておく必要があり、市場急配センターの事務所に出向いたところ、松平日出男に一日1万5千円の日当を出すので配達の仕事をして欲しいと誘われたのです。
  112. 20060909: 当時、安田敏は大型免許を持っておらず、入社が決まるとすぐに市場急配センターの方で仕事をするようになり、配達が終わってから大徳自動車学校に通っていました。
  113. 20060909: 本当はストライキの最中にもやめるつもりでいて、他の運送会社にも面接に行っていたように思います。そこに突然電話を掛けてきたのが、安田敏でした。当時彼は、輪島屋鮮冷という冷凍関係を主に扱う同じ金沢の運送会社で4トン車に乗務していました。
  114. 20060819:その日の夕方彼女の退社の際、それを一階控え室にて、山下つよしと安田敏がなにか期待を秘めて私の様子を窺っていたのです。その当日の昼頃、私は安田に、今日の夕方に彼女に声を掛けると話していたのですが、その時安田は、聞こえなかったようにして返事をしませんでした。
  115. 20060819: 新年顔合わせがあったのは一月四日と思われる。当日私は正午過ぎ皆より遅れて二階事務所に入った。安田敏、浜口さんなどがいたのでその近くに座った。そこは換気扇の下であった。彼女は黒い皮のコートを着ていた。よく私の方を振り返って気にしていた。それもあってか松平が私に換気扇を作動するように申し向けた。
  116. 20060818:⑰その日の夕方彼女の退社の際、それを一階控え室にて、山下つよしと安田敏がなにか期待を秘めて私の様子を窺っていたのです。その当日の昼頃、私は安田に、今日の夕方に彼女に声を掛けると話していたのですが、その時安田は、聞こえなかったようにして返事をしませんでした。
  117. 20060818: 自宅に床屋から戻ったのは午後七時頃だったと思います。私は食欲もなく、それからすぐに安田敏の自宅に電話を掛け今から訪ねる旨申し向け、彼の承諾を受けすぐに花里町の彼の自宅に向かい訪れたのであります。
  118. 20060818:⑥この日も天候はかなりどんよりとしておりました。私は午後から石川丸果 倉庫において馬鈴薯を積み込み、いったん会社に戻ってから和田のプレリュードを借りて、送り状を取りに行きました。その時、彼女があてもなくさまようように駐車場を歩いていたことを覚えおります。また、この時安田敏の同乗しておりました。また、この時の馬鈴薯の行き先は、東京太田市場ではなかったかと思います。時期ははっきりしないのでありますが、12月5日から15日までの間のように思います。
  119. 20060818:②これは初めての記述です。その日午後四時頃、私が二階に入ったところで次のような会話が聞かれました。「あの焼きそば、あの子(文さんのこと)お湯入れて作っておいてくれたよ.....やさしいやろ。こんな子お嫁さんにもらわんなん....」。察するところこれは、二階どころにおいて、市内配達の社員であった阪本(または坂本、当時二十一歳で、額あたりに家があるらしい。8月頃「北食」より移転(成瀬と一緒)してきた者)が、カップ焼きそばを食べようとお湯を沸かしていたところ、彼女(文さん)が、それをお湯を入れてソースなどを入れ食べられる状態にしたようでした。そしてそのことを池田が明るい調子で、私がケーキを彼女のために買ってきたと言ったときと同じような感じで阪本に申し向けたのです。その時私は、彼女の彼氏とは阪本ではないかと、いささかの疑いを持ったのです。それと池田の言葉は、社交辞令のようなものでそれは私においても同質のものであったと思ったのです。そしてそれは、安田敏の意見を肯定するものでもありました。いずれにせよ、今思うに、池田が彼女に私の真意を見せてやるとか称して、私に揺さぶりを掛けたものと思われます(時期ははっきりしない)。
  120. 20060818: その日、私は初めて(急配に入社して)岐阜の市場に馬鈴薯を持って行ったのです。そして、夜十時頃だったかに(あるいは八時頃だったかも)、私は岐阜の市場で荷卸しをして、すぐに、そのまま金沢に戻る途中、岐阜羽島インターの近くの一般国道より安田敏の自宅に電話を掛け、彼女に交際を申し込む相談をしたのです。その時私は、自販機でおみくじソーダなる缶ジュースを購入したところ、それに恋愛運絶好調などと記してあったことから、私は気を良くしてさらに決意を固めたことを覚えております。そしてこの時の安田は、かなり親身で友好的であったと印象に残っております。
  121. 20060814: 実際、安田敏は私の被害妄想だと口にしていましたし、加田義満もお前の話は実体がないようなことをいっていました。彼らの方こそ、本来実体のない架空のでっち上げを作り上げ、それを根拠にそのような言い分をしているわけですが、そのいわば作り上げた人形に魂を入れたのは、司法という裁判制度でもあるのです。
  122. 20060812: 被告訴人の一人である安田敏や梅野博之とは2年ほど前まで、直接会ったり、電話で話をすることがありましたが、いまさら、と考え、終わった問題としか認識はないようです。
  123. 20060806: 安田敏を連れて遊びに行くこともあり、私がいないときも一緒に遊ぶことがあったようです。
  124. 20060806: 大五郎は私より二つ年上で、水産高校の安田敏の同級生でもあります。彼も家も大きなたまり場になっていました。浜口卓也も中町和也もよく出入りをしていました。昭和59年あたりから大五郎も小木か姫の遠洋漁船に乗るようになり、浜口卓也ら漁師仲間との付き合いが多くなったようです。
  125. 20060805: またその大野という女性の息子は、平成3年当時確か16歳で、市場急配センターの荷卸し手伝いのような仕事をしていた。出所後安田敏に聞いた話では、その後市場急配センターで運転免許を取り、運転手もしていたらしい。
  126. 20060730: なかには意識的に関わりを避けている人もいるのかもしれません。たぶん私個人の性格も由来問題ですが、曖昧さを許さない徹底さ等も敬遠されがちな一因になっているのかもしれません。本来私は、ずぼらで神経質ではない面と、あるいは偏執狂とでも思われるようなこだわりを併せ持っているようです。安田敏などには、「極端すぎる」などと以前言われたこともありました。
  127. 20060726: 当時もそれ以降も安田敏と長松さんがどのような、どの程度の付き合いをしていたのかは、はっきり知りません。私の知る情報の範囲では、特に親しく交際していたということはないようです。
  128. 20060726: 高校を卒業すると、安田敏は金沢の中央市場にある「ウロコ水産」に就職、長松さんは金沢市場輸送で4トン車の長距離運転手をしていたと聞いています。考えてみれば、私が初めて金沢に出て仕事をするようになった昭和56年のことです。
  129. 20060726: 長松さんは漁業科で安田敏とはクラスメートであったはずです。このあたりは、後日先輩の家にある「卒業アルバム」などで見たり、他から話を聞いたりしていました。
  130. 20060724: 安田敏がいたのは2ヶ月ぐらいだったようですが、誰の紹介でどのような経緯で入社したのか聞いていないかもしれません。ずいぶん前のことなので、忘れてしまったかもしれません。
  131. 20060724: 安田敏はその夏頃、市場急配センターで市内配達の仕事をしていたそうです。そのような噂を聞いて、中西運輸商のトラックで、金沢市場輸送に行ったところ、やめて岐阜に行ったと聞きました。その後、安田敏がちょくちょく行っていた岐阜県海津町のライスセンターの出稼ぎ仕事でした。
  132. 20060724: ASAさんの妻は、大網周一の同級生で、安田敏のこともよく知っていました。
  133. 20060724: ずいぶん前のことで記憶もやや曖昧で、はっきり聞いた覚えもはっきりしないのですが、安田敏が発狂した現場では、中町さんも山下Sさんもいたようです。その現場は、当時の能都町松波の町営住宅で、大網兄弟の家、大網プロパンの従業員でもあったASAという人です。
  134. 20051224:竹沢俊寿、本恒夫、松平日出男、安田敏、梅野博之、池田宏美、安田繁克、多田敏明、東渡好信等最低9名以上の者
  135. 20051215:⑰その日の夕方彼女の退社の際、それを一階控え室にて、山下つよしと安田敏がなにか期待を秘めて私の様子を窺っていたのです。その当日の昼頃、私は安田に、今日の夕方に彼女に声を掛けると話していたのですが、その時安田は、聞こえなかったようにして返事をしませんでした。
  136. 20051215: 自宅に床屋から戻ったのは午後七時頃だったと思います。私は食欲もなく、それからすぐに安田敏の自宅に電話を掛け今から訪ねる旨申し向け、彼の承諾を受けすぐに花里町の彼の自宅に向かい訪れたのであります。
  137. 20051215:⑥この日も天候はかなりどんよりとしておりました。私は午後から石川丸果 倉庫において馬鈴薯を積み込み、いったん会社に戻ってから和田のプレリュードを借りて、送り状を取りに行きました。その時、彼女があてもなくさまようように駐車場を歩いていたことを覚えおります。また、この時安田敏の同乗しておりました。また、この時の馬鈴薯の行き先は、東京太田市場ではなかったかと思います。時期ははっきりしないのでありますが、12月5日から15日までの間のように思います。
  138. 20051215:②これは初めての記述です。その日午後四時頃、私が二階に入ったところで次のような会話が聞かれました。「あの焼きそば、あの子(文さんのこと)お湯入れて作っておいてくれたよ.....やさしいやろ。こんな子お嫁さんにもらわんなん....」。察するところこれは、二階どころにおいて、市内配達の社員であった阪本(または坂本、当時二十一歳で、額あたりに家があるらしい。8月頃「北食」より移転(成瀬と一緒)してきた者)が、カップ焼きそばを食べようとお湯を沸かしていたところ、彼女(文さん)が、それをお湯を入れてソースなどを入れ食べられる状態にしたようでした。そしてそのことを池田が明るい調子で、私がケーキを彼女のために買ってきたと言ったときと同じような感じで阪本に申し向けたのです。その時私は、彼女の彼氏とは阪本ではないかと、いささかの疑いを持ったのです。それと池田の言葉は、社交辞令のようなものでそれは私においても同質のものであったと思ったのです。そしてそれは、安田敏の意見を肯定するものでもありました。いずれにせよ、今思うに、池田が彼女に私の真意を見せてやるとか称して、私に揺さぶりを掛けたものと思われます(時期ははっきりしない)。
  139. 20051215: その日、私は初めて(急配に入社して)岐阜の市場に馬鈴薯を持って行ったのです。そして、夜十時頃だったかに(あるいは八時頃だったかも)、私は岐阜の市場で荷卸しをして、すぐに、そのまま金沢に戻る途中、岐阜羽島インターの近くの一般国道より安田敏の自宅に電話を掛け、彼女に交際を申し込む相談をしたのです。その時私は、自販機でおみくじソーダなる缶ジュースを購入したところ、それに恋愛運絶好調などと記してあったことから、私は気を良くしてさらに決意を固めたことを覚えております。そしてこの時の安田は、かなり親身で友好的であったと印象に残っております。
  140. 20051206: 高校を卒業して、安田敏は同じ中央市場にあるウロコ水産に就職し、Tさんは金沢市場輸送で4トン車で長距離の仕事をしていたと聞きます。
  141. 20051206: 昭和61年の11,2月頃から62年の1月頃に掛け、金沢市場輸送で一緒にミールの仕事をしていたTさんは、平成元年の1月頃、松波の岸壁で自殺をしました。彼は、安田敏の水産高校のクラスメートでもあったはずです。
  142. 20051206: 昭和56,7年のことで記憶の方も曖昧なのですが、市場急配センターの関係者2人は、その安田敏の発狂時、一緒にシンナーを吸っていた、現場にいたと聞いた記憶もあります。
  143. 20051206: 安田敏がシンナーで発狂し、松波の町営住宅で隣の家に上がり込み、寝ていた婦人の首を締め上げた話は、告発状のなかでもしたことがあると思います。それは、暴力団員の妻であり、その暴力団員とは周一を介して、会ったことがありました。
  144. 20051206: 私も相撲部に所属していました。能都中学校です。練習はほとんどすべて、石川県立水産高校の相撲部で行っていました。そのため、先輩との面識も広がり、その一人は、市場急配センターで浜口卓也らと仕事をしていたこともあり、カワムラさん、中町さんらと独立した仕事を始めていると聞いていました。安田敏とも付き合いや、面識があるはずです。

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