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2021年2月12日金曜日

「本恒夫」を過去のはてなダイアリーの記事から検索

  1. 20070326: 個人的な見解では、本恒夫という男は、計算ずくでそのような軽率な挑発をやり、自分の本来の姿を覆い隠していたふしが窺えます。
  2. 20070326: 仕事の方が金沢市場輸送の方でもらうのがほとんどで、日栄運送に仕事を回すというのは余りなかったようです。詳しくは知りませんが、そんな義理を欠くかたちで、本恒夫は仕事を横取りしたそうです。それだけやり手であったのは事実のようですが、やり方が卑劣というか恥知らずの非常識で、各方面で何かと恨みや反感を買っていることもちらほらと耳にしていました。中には「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」と言われた運転手もいたそうです。
  3. 20070326: もともとその古河の仕事というのは、同じ金沢の日栄運送がやっていた仕事で、金沢市場輸送の本恒夫がそれを強引に横取りしたらしく、ずいぶんと反感も買っていたようです。
  4. 20070305: 金沢市場輸送、市場急配センターの経営者であり、金沢市場輸送の社長であったものの会長になると同時に、本恒夫を金沢市場輸送の社長にし、松平日出男を市場急配センターの社長にしました。
  5. 20070305:本恒夫について
  6. 20070305: 当日の松平日出男や本恒夫の態度ですが、安藤文さんに対する不信感を増幅させ、相乗効果を狙った暗示性の高い、演出だったと考えられます。詐欺の技術としても高度な部類に入り、一般には認知されることもない、といえるのかもしれません。
  7. 20070305: その時、私がおかしいと感じたのは、松平日出男が指摘するぶつけたというトラックの部分もはっきり確認できなかったことです。フロント部分と言いますか、前面だったと思いますが、もともと傷んでいるようなポンコツに近いトラックだったので、松平日出男が目ざとく物損を見つけたというのも、また、それに一方ならぬこだわりを見せたというの不可解なことであったのです。ちょうど、そんなときに、本恒夫が駐車場にやってきて、私に命令をしたのですが、似たような感じで本恒夫の態度にも不自然さが感じられました。
  8. 20070305: 同じ頃、本恒夫が市場急配センターのトラック駐車場に来て、私にやや挑発的な態度で、トラックを移動させるよう命令したことがあったのですが、これは私が安藤文さんに初めて交際を断られた翌々日なので、10月7日の月曜日になると思います。
  9. 20070305: 事故というほどのものではありませんでしたが、平成3年の11月頃には、夕方に10トン車を会社近くの工事現場に突入させ、松平日出男が金沢市場輸送から応援を呼んで、別の10トン車で引っ張り出すという出来事がありました。金沢市場輸送で麻雀をしていた多数が集まり、引き上げには予想以上に手間取って時間がかかり、途中激しい夕立もあってずぶ濡れになる姿もあったと記憶しています。特に印象的だったのは、本恒夫が無言で真剣になって作業をする姿でした。
  10. 20070305:(2)本恒夫
  11. 20070305:竹沢俊寿、本恒夫、松平日出男、安田敏、梅野博之、池田宏美、安田繁克、多田敏明、東渡好信等最低9名以上の者
  12. 20061002: とりわけ、竹沢俊寿、松平日出男、本恒夫、東渡好信の四名においては、首謀者として主導的な役割を担ったのであるから、同種事案の再発防止のためにも、二度と社会に戻ることがない終身独居の刑罰処遇を含め、無期懲役の選択が不可欠であると付言する。理知的で冷徹な犯行、人間性に向けた重大な挑戦、その所業には地獄ですら生ぬるいという処置を知らしめなければならない。
  13. 20061002: また、自腹を切った慈善で割の合わない少ない給料で配車の仕事をするようになったと話していた本恒夫が、じつは月給一〇〇万円の条件でボーナスも破格の待遇を受けていたという噂が金沢市場輸送社内に流れたのも、安田敏が入社した直後のことだった。
  14. 20061002: この過程において、本恒夫は廣野を意図的に挑発し、金沢市場輸送をやめる方向に導き、安田敏の借金の保証人のことで話し合いに訪れた市場急配センター事務所で、松平日出男が一日1万五千円の市内配達のアルバイトを持ちかけ、廣野が承諾して仕事を始めるや、すぐに、市場急配センターで大型車を導入し青果物の長距離トラック業務を行うので、大型車に乗務して欲しいと持ちかけた。
  15. 20061002: 東渡は入社した当初から、芝居がかった非常識で突飛な行動を起こすことが多く、平成三年の春頃には、主導してストライキ問題を引き起こし、竹沢俊寿本恒夫との対峙を装っていたが、実際には意思を通じ手を取り合った共同演出であった公算が高い。
  16. 20061002: 被告訴人東渡好信は、平成二年の秋頃、金沢市場輸送に入社した。本恒夫の紹介という噂であった。
  17. 20061002: 大網健二には大網周一という一つ年上の兄がいて、大網周一は浜口卓也と自他共に兄弟分というほどの親密な関係であった。また、この大網兄弟は昭和五九年当時、廣野の紹介で金沢市場輸送で長距離トラックの仕事をしたこともあり、竹沢俊寿、本恒夫とも顔見知りであった。なお、中町も昭和五九年の秋頃からしばらくの期間、金沢市場輸送で長距離トラックの仕事をしていた経歴がある。
  18. 20061002: 金沢市場輸送は表向きの運送会社とは別に、何らかの組織的犯罪活動を行っていた集団であると推定される。昭和63年の8月か9月頃松平日出男が市内配達部門の責任者として入社し、その後半年から一年ほどで、市場急配センターという別会社を設立、金沢市場輸送の社長であった竹沢俊寿が会長に就任し、金沢市場輸送の配車係であった本恒夫が金沢市場輸送の社長、松平日出男が市場急配センターの社長にそれぞれ就任した。
  19. 20061002: 被告訴人竹沢俊寿俊寿は、金沢市場輸送株式会社、市場急配センター株式会社(金沢市駅西本町4丁目2番12号所在)両社の会長であり、両社の実質的経営者であったもの、被告訴人本恒夫は金沢市場輸送の社長、被告訴人松平日出男は市場急配センターの社長、被告訴人東渡好信、池田宏美、梅野博之は市場急配センターの事務員であったもの、被告訴人、安田繁克、多田敏明、浜口卓也、安田敏は市場急配センターの社員運転手であったものであり、被告訴人、大網健二、大網周一、加田義満は告訴人廣野秀樹の友人関係にあったものである。
  20. 20061002:(2)本恒夫
  21. 20061002:竹沢俊寿、本恒夫、松平日出男、安田敏、梅野博之、池田宏美、安田繁克、多田敏明、東渡好信等最低9名以上の者
  22. 20060909: 吉村哲と藤田の二人は、中西運輸商に対して挑戦的で、中西運輸商から佐川急便の仕事を奪うことを目的にし、そのために金沢市場輸送に来たようですが、本恒夫がお山の大将のように独善的で、佐川の仕事には消極的だったようです。それでも金沢市場輸送のトラックで、佐川の仕事を中西運輸商の庸車ですることもありました。
  23. 20060909: だいたい30トンほど満載にし、主にフェリーを使ってやる仕事で、東渡も以前やっていたと話、東渡が金沢市場輸送に来るきっかけになったのも、以前、フェリーのなかなどで本恒夫と東渡が知り合い、たまたま再会してことで、本恒夫の方から誘ったような話でした。
  24. 20060909: 金沢市場輸送には昭和59年頃、大西真というこれも古参の運転手がいました。50歳と年齢を聞いていましたが、何時頃であったのかははっきりしません。本恒夫よりはすこし年上のようでした。
  25. 20060909: 守田水産輸送は、もともと金沢市場輸送と同じ中央市場前の2階建てテナントビルのなかにあった会社で、本恒夫が配車係をするようになってから仕事のやりとりもするようになったのですが、1年半ほどで付き合いも断絶したようです。
  26. 20060909: その時安田繁克は、本恒夫が大阪の方の運送業者とトラブルになったらしく、右翼が街宣車を100台ほど連ねて攻撃に来る、などと話していたのです。あり得そうなことであったので、その時は本当の話だと感じていました。
  27. 20060909: この時の問題自体は、たいしたことがなかったのですが、ゴールデンウィークに前後して東渡好信がクーデターのように起こしたストライキの問題が尾を引いていて、私が本恒夫という人間に見切りをつけ、やめることにしたのです。
  28. 20060909: 最後の運行のことはよく覚えています。神戸でミールを降ろし、空車で帰ったのですが、金沢刑務所でも顔を合わせたYAと一緒の運行でした。夜中一緒に、敦賀のガソリンスタンドで給油したことも憶えています。朝になって事務所に顔を出したところ、本恒夫に挑発的とも受け取れるような態度で、九州行きを指示され、これを断って、会社に出なくなったのです。これが6月18日の朝ということになりそうです。
  29. 20060909: 本恒夫は私が初めて金沢市場輸送で働いた昭和59年当時、入社7,8年目という最古参の運転手でした。これは特別な意味もあることで、金沢市場輸送の給料システムでは、1年ごとに基本給が1万円ずつ増えて行くようになっていたので、一番の高給取りでもあったと推定されます。
  30. 20060909: 可能性は小さいと思いますが、サスペンスドラマのように考えると、この話を聞いてしまったことが、あとの事件に繋がったのかもしれません。本恒夫は酒に弱く、ビール一杯でも顔が真っ赤になるようなたちで、うっかり口を滑らせてしまったのかもしれません。この一事だけでは、穿ちすぎのようですが、表向きの運送業とは別の裏の犯罪組織のような活動を続けて行く上で、私が不都合な存在になったことは合理的にも考えられることかと思います。
  31. 20060909: 被告訴人の一人、本恒夫のことですが、彼は金沢生まれですが、二十歳前ぐらいに富山市の方に行き、繁華街で飲み屋を経営していたそうです。数店舗経営している実業家のような話しぶりでした。自分が時代に先立って、カラオケを導入したとも自慢していました。
  32. 20060903: 同じ頃、金沢市場輸送にも電話を掛け、数年ぶりに本恒夫と話をしましたが、初め本恒夫は、私の名前を出しても知らないようにとぼけ、しばらくしてから思い出したように話を始めました。トラックの仕事をしたいので、現在の運送業界の事情について教えて欲しいといったところ、「君がいた頃の三分の二の給料で、」などと、よくない状態なのでとてもお勧めではないという説明をしていました。
  33. 20060805: 本恒夫も同じ東力だったが、私自身町内や地域との交流は皆無の状態だったので、その辺りのことはよく分からない。ただ、安田繁克の場合、子供の頃からそこに住んでいた可能性もあるので、知人もいて近所付き合いもあった可能性はある。
  34. 20060726: 本恒夫は当時で50歳少し前ぐらいだったと思われます。新社屋に移ってから藤村も復帰したのですが、配車の仕事は本恒夫の独占になっており、ミールの積み込みのフォークリフトの運転など冷や飯を食わされ、片隅に追いやられていたようです。本当に目立たない存在になっており、私がやめた平成3年の6月頃にいたのかどうかの、記憶も残っていません。いなくなっていたとすれば、まったく目立つこともなく消えていったことになります。
  35. 20060726: 藤村が一人で配車係をしていたようですが、その昭和61年の12月頃になって、長期の入院治療をすることになったらしく、竹沢俊寿に頼まれてしぶしぶ配車をするようになったというのが、最古参の運転手であった本恒夫でした。
  36. 20051224:竹沢俊寿、本恒夫、松平日出男、安田敏、梅野博之、池田宏美、安田繁克、多田敏明、東渡好信等最低9名以上の者

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H3DB_search_”山口民雄”_(該当件数:53/データベース登録数:669,647) _2024-03-14_102704の記録

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