ああ33

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告発状作成中

2021年3月3日水曜日

「(被害者AAさん|被害者安藤文さん|文ちゃん|文さん)」を過去のはてなダイアリーの記事から検索

  1. 20140107:[link]
  2. 20140107:[link] "Title : 刑事政策の研究者は、堀江貴文さんに学会に来てもらっていろいろとお話を伺うといいんじゃないかなあ。/小倉秀夫弁護士
  3. 20140107:[link] *刑事政策の研究者は、堀江貴文さんに学会に来てもらっていろいろとお話を伺うといいんじゃないかなあ。/小倉秀夫弁護士
  4. 20130704:[link]  これが国家権力の一面のように思われます。金沢刑務所でのことは、これまでも色々書いていると思いますし、これからも書いて行きます。色々考えられるのですが、闇の裏社会に市場急配センターらの事件を周知させ情報を集まりやすくし、同時に私や安藤文さんの身の安全を図ったことも考えられます。
  5. 20091006:[link]  堀江貴文さんのブログから
  6. 20090707:[link]  ホリエモンこと堀江貴文さんの記事です。
  7. 20090525:[link] でした。さらに、安藤文さんに対する、殺人未遂の共謀共同正犯としての告発
  8. 20090525:[link] を認め、莫大な賠償金を支払うことで、安藤文さんとの関係修復に役立てたい
  9. 20090525:[link] 害者である安藤文さんでした。3回以上、繰り返して、「だれ!」と誰何され
  10. 20090419:[link]  長女幸さん(当時16歳)を失った鳥居芳文さん(63)は、判決を前に「どんな判決であれ受け入れる以外にない。何も変わらない」と語った。この10年余、生活を維持するため必死だったという。妻百合江さん(58)は「事件当日を正確に、今日のことのように鮮明に思い出す」と話し「もし、1、2審を覆すような判決だったら」と不安も漏らした。
  11. 20080723:[link]  反面における感情移入にもひとかたならぬものを感じることがあり、時折撃鉄を起こされることがあるようです。かくいう私も、集中砲火を浴び、あえなく撃退されました。それはそれで、別にいいのですが、安藤文さんや安藤健次郎さんという事件の被害者に対する理解からかけ離れた姿勢、態度でもあり、立場上取り上げて述べておく必要性もあるのです。
  12. 20080624:[link]  彼らを刺激することが、自分や安藤文さんの家族の身の危険にも繋がりかねないと判断したからです。警察の関与は窺えていましたが、石川県警では未解決の重大事件もいくつかあり、警察や司法関係者しか知り得ない事情のもとでは、ここを先途とばかりに、一人必殺の攻撃を仕掛けて来るかもしれないと危惧したからです。
  13. 20080624:[link]  5人ぐらいの警察官を交え、しばらく話しをしました。私が、決定的に頭に来たのは、その中の一人が、「(安藤文さんの)面倒をみれるのか」と言ってきた時でした。
  14. 20080624:[link]  玄関の横には窓ガラスがあり、そちらにお祖母さんの姿が見えました。ドアを開けるような物音と、少しすると聞き取れない声が聞こえ、発声障害らしい文さんの声だと思いました。すると以前電話で聞き覚えのある母親の声で、「アヤ、出たらダメよ」と聞こえ、続けて「馬鹿にしないで下さい。」と言われました。涙声のような感じでした。
  15. 20080624:[link]  その上で、インターホンには安藤文さんが出て、3回繰り返すまで、安藤健次郎さんは動こうとせず、自宅に来たこと自体を非難することはなく、二度と来るなとも言われませんでした。
  16. 20080624:[link]  金沢地方検察庁の方に、告訴の手続きを行っていて、安藤文さんを被害者に告発も行っていましたが、公訴時効まであと半年を切っています。金沢地方検察庁の方では、安藤健次郎さんのほうから連絡があれば、話しを聴くつもりだと話していました。
  17. 20080624:[link]  安藤文さんに声を掛けることも出来たのですが、彼女の立場も考え、それはしませんでした。そして玄関の電気もつけないまま、安藤健次郎さんが外に出てきました。玄関の電気が消えていたのは平成11年8月8日の夜と同じでしたが、この時は、そのまま玄関先の道路に近いあたりで話しをしました。
  18. 20070630:[link]  これは意図したものでありませんが、理由として私自身の記憶が弱まっているということと、1月21,22日の両日に安藤文さんと激しくぶつかり合ったことで、彼女の気性の強さに辟易し、より慎重に距離を置いて、静観した小康状態が続いたためでもあります。
  19. 20070630:[link]  そのおさらいをした部分は、主に平成3年の6月頃から平成4年1月21日の夜、安藤文さんを会社の駐車場でトラックから降ろしたまでの期間のことを書いてあるのですが、福井刑務所を出たあと、金沢の北安江に住んでいた頃に、タイピングの練習を兼ねて、ファイルにしたものがあり、内容自体はこのブログでも公開してあります。
  20. 20070630:[link]  その刻まれた記憶を手繰りながら、上申書というかたちで、事実を記載し裁判所に提出しました。これは、木梨松嗣弁護士の方からの、上申書に書いた内容は裁判官の面前で話すのと同じ、というアドバイスにも触発されたもので、つらい拘置所生活から解放され、安藤文さんと結婚をして人生をやり直したいという夢に近づくためのステップとも考えて、取り組んでいたのです。
  21. 20070630:[link]  それだけ神経を集中して、自分なりに考え抜いていましたが、探し出す答えを安藤文さん本人に求めすぎたことが、大きな間違いでした。しかし、神経の集中は、事の成り行きをこと細かく脳裏に焼き付けていました。
  22. 20070630:[link]  その事件の裁判でも、安藤健次郎さんは金沢地方裁判所に裁判の傍聴に来ていましたが、安藤文さんの裁判のときと同じく、判決のときには姿を見せていなかったと思います。また、安藤文さんの裁判で法廷に姿を見せるようになったのは、控訴審が始まってからのことで、一審の段階では一度も姿がなかったはずです。
  23. 20070630:[link]  実際、それまでは「自宅には絶対電話をするな」と強く釘を刺されていたのが、全く口にでないようになり、その年の8月7日の土曜日には、遂に直接自宅を訪問したのです。安藤文さんの自宅の前に立ったのはその時が初めてで、金沢西警察署での捜査段階では、自宅の場所さえ知らず、取調室の机の上においてあった住宅地図でその場所を探してみたことを覚えています。
  24. 20070630:[link]  このブログに対して、理解や関心が乏しいのは、安藤健次郎さんや安藤文さんが沈黙しているという理由が大きいと思っています。思い出すのもつらいことばかりで、気も滅入ってしまうのですが、良好な関係が築かれつつあると感じていた時期もありました。
  25. 20070630:[link]  私個人の自己主張のために、このような情報まで公開していると見る向きもありそうですが、これまでブログだけでも1年半以上の情報公開や説明をしながら、低迷するアクセス数、関心の乏しさに、危機感も募らせています。安藤文さんや家族の真意、その将来についても実質、実態に踏み、共感を伴う関心を持って頂きたく、このような措置に踏み切りました。
  26. 20070617:[link]  もう一つは、事件から10日から半月以上経過していたと思いますが、金沢西警察署の駐車場に停めてあった自分の車を見せられたところ、車の中に安藤文さんの腕時計が落ちていることを発見したのです。
  27. 20070617:[link]  とにかく、私の話や言い分に対して、疑いを抱くような様子はなく、あまり突っ込んだ質問というのもなかったと思います。やはり被害者である安藤文さんの方にも、相当の落度があり、いわば自業自得の点もある、彼女の私生活に踏み込まないのが、あるべき捜査官の態度と考えていたのかもしれません。
  28. 20070610:[link]  また、平成4年の秋頃、木梨松嗣弁護士から拘置所に届いた病院への照会の書面のコピーでは、安藤文さんの状態について、「意識は清明」と記載されていました。
  29. 20070610:[link]  なお、平成9年の9月に安藤健次郎さんと初めて直接お話をしたとき、安藤文さんについて、「頭おかしなっとる(おかしくなっている)」と、この時だけは、ふざけたような態度で、ぽつりと話していました。
  30. 20070326:[link]  また、その土曜日の夕方には、多田敏明と西口を誘い、北安江の焼き肉屋に行き、西口の口からも、今どきの娘としての、安藤文さんの評価を吹き込まれましたが、この時の多田敏明の登場もかなり芝居じみた作為性が窺えました。
  31. 20070326:[link]  そして台所にいた安藤文さんに、どんなジュースがよいのか尋ねたところ、彼女は私が声を掛けることを期待し、待ちかまえていた様子で、はにかみながら「ジョージアの青くてちっちゃいやつ」と言いました。
  32. 20070326:[link]  それを考慮に入れても、明らかに意図的、作為的と思われる不可解な言動が、被告訴人らには多く、それもまた、主客を転倒させて、安藤文さんがわがままで被告訴人らを振り回し、不安にさせ誤解を招いているという認識を私に与えていました。
  33. 20070326:[link]  私と安藤文さんは同じ会社といっても、市場急配センターの場合、毎日同じ事務所の中で、顔を会わすような間ではありませんでした。運転手であった私は会社にいても一階の休憩室にいることの方が多く、二階の事務所にいる安藤文さんと顔を合わせるのは、基本的に用事があるときだけでした。従いまして、私から見えていた状況の範囲というのもごく限られたものになるはずです。
  34. 20070326:[link]  先にも述べたとおり、現在の私の記憶の輪郭は薄れていますが、被告訴人らは共謀のうえ、私を欺き利用する共に、それ以上の具体性で安藤文さんを欺き、意のままに操っていたはずです。
  35. 20070326:[link]  梅野博之は4月1日の夕方、安藤文さんが、「刺されるかもしれない」と言い残したと述べていますが、これはまず明らかな嘘だと思われます。しかしながら、この問題一つをとっても、その場にいなかった私には、その真偽について、明確に否定しうる事実も持ってはいないことになります。
  36. 20070326:[link]  一見すると関与が薄いように見える浜口卓也も供述調書のなかで、事件の原因として、安田繁克と安藤文さんの過去の交際について指摘していますが、そんな交際などもとより存在しなかった公算が高く、安田繁克の供述調書をみれば、明らかに事実を歪めたすり替えが敢然と行われています。
  37. 20070326:[link]  前に提示した被告訴人らの供述調書の内容ですが、それを見ても、彼らが私を思い込みの激しい異常者のように決めつけ、当然に起こるべくして起こった事件のように述べています。これは結果発生への実現可能性を十分認識していた証左であり、彼らがその理由、原因の根拠とするところは、彼ら自身が主に被害者本人である安藤文さんを利用して作り上げた既成事実でした。
  38. 20070326:[link]  これも考え過ぎかと、さほど気にも留めていなかったのですが、前妻から連絡があった翌日に、安藤文さんはより分かりやすい行動で、そのことを見せつけたようです。
  39. 20070326:[link]  いつ頃からなのか、はっきり思い出せませんが、会社で安藤文さんがたばこを吸う姿を見かけなくなっていました。灰皿自体、机におかれなくなっていたのかもしれません。今考えると、そういえば、池田宏美がたばこを吸っていた姿というのも思い出せず、多分吸っていなかったのではと思われます。いつ頃からそうなったのか、私が気づくまでにも時間が掛かったことと思われます。
  40. 20070326:[link]  運命のいたずらというのか、これと同じようなことが同じ頃、安藤文さんの行動にも出ていたのです。
  41. 20070326:[link]  前に書いてあると思いますが、裏駐車場でようやく直接安藤文さんに声を掛け、交際の気持ちがあるという手応えもしっかり確認出来つつあった時期でした。それに9月以来の成り行きから、安藤文さんに自分との交際の意志があるのであれば、彼女が言う「好きな人」も自分のことに相違ないという、推論も成り立ったのです。
  42. 20070326:[link]  名古屋市内でミールを降ろしてから、岐阜県の可児市に向かいました。可児市の看板が見えたあたりで、何度か会社に電話を掛け、その時も安藤文さんとのあいだで、印象に残るやりとりがあったようなことを漠然と憶えているのですが、内容については現在思い出せなくなっています。
  43. 20070326:[link]  安藤文さんの問題と前妻のことは、脈絡の異なる別問題のようですが、事件の真相に迫るとなれば、重要な接点を含んだ事実である可能性があります。
  44. 20070326:[link]  4月1日の時も、文さんは、「広野さん、やさしいし、喋りやすいし、喋っとってん」と言っていましたが、話しやすさや、その他にも、女性に気に入られる共通点を持っていたようです。
  45. 20070326:[link]  初めに意識をしたのは、まだ私が金沢市場輸送にいた頃で、私がトラックを運転して、金石街道沿いをゆっくり走っていたとき、ちょうど信号待ちからスタートした時だったのかもしれません。道路沿いの弁当屋の前に、安藤文さんが立っていて、たまたま目があったのですが、彼女は軽く微笑んで、特別ななにかを感じさせるような気配がありました。
  46. 20070326:[link]  安藤文さんとの個人的な関係が始まったのは平成3年の9月からでしたが、8月当時には、すでにかなり意識をする間になっていました。
  47. 20070326:[link]  安藤文さんの、心の中、生活状況や行動について、手に取るように知ることは出来ません。それはどんな事件でも同じはずですし、平気で嘘をつく、関係者も沢山いることでしょう。
  48. 20070326:[link]  文さんは、その40代以上の人らと、話しをしたり、うれしそうに応対していたようです。
  49. 20070326:[link]  また、安藤文さんは、その前からも一種独特な存在感を持っており、私の知る限り、運転手の間で、話題になることもほとんどありませんでした。
  50. 20070326:[link]  また、多田敏明の友人は、安藤文さんのことについて、たばこを吸っている姿を見て、ショックを受けたと話していました。それだけ近寄りがたく、清楚なイメージを持っていたのかもしれませんが、これも安藤文さんの人なりを知る一例かと思います。
  51. 20070326:[link]  たとえば、宴会場で、安藤文さんが私の席の近くまで歩いてきて、踵を返して後戻りしたことや、その時、隣どうしに座っていた安藤文さんと池田宏美の二人が、翌朝の、朝食の時には、席がガラガラに空いているのに、一番端どうしの席に座っていたことなどです。
  52. 20070326:[link]  すると、多田敏明が血相を変えるような素早い行動で、飛び出すように部屋を出て、安藤文さんらのあとを追っていったようです。
  53. 20070326:[link]  どんな会話があったのか、はっきり思い出せませんが、その場ののりで、安藤文さんが誰にともなく、「おいで」と自分らの部屋に遊びに来てよいと言ったのです。
  54. 20070326:[link]  そこに、3,4人連れで安藤文さんも入ってきて、楽しそうな笑顔を見せていました。
  55. 20070326:[link]  旅館での部屋割りはだいたい5つほどに分かれていたようです。女性は安藤文さんと池田宏美だけだったので、一つの部屋が割り当てられていると聞きました。
  56. 20070326:[link]  その場で、浜口卓也のおごりで近くのスナックに行き、安藤文さんも一緒だったとは聞いていました。人数もだいたいそんなものだったと思います。
  57. 20070326:[link] 文ちゃんに言い寄るのは
  58. 20070326:[link] 文ちゃんが
  59. 20070326:[link] 私は、こんな秀樹の文ちゃんに対する
  60. 20070326:[link] と言い文ちゃんは社長の言葉
  61. 20070326:[link] 電話を切ったあと社長は、文ちゃん
  62. 20070326:[link] 文ちゃんの電話を取った社長は
  63. 20070326:[link] せめて文ちゃんの怪我が
  64. 20070326:[link] 又、文ちゃんが廣野に呼び
  65. 20070326:[link] 迫まり 断わった文ちゃん
  66. 20070326:[link] しつこく文ちゃんに交際を
  67. 20070326:[link] 文ちゃん すきな子いるし、
  68. 20070326:[link] 私自身、文ちゃんの事で
  69. 20070326:[link] 文ちゃんとの交際の事で
  70. 20070326:[link] 文ちゃんに対し
  71. 20070326:[link]  噂の専務の姿を私が市場急配センターの事務所でみたのは、3月の10日頃の夕方でした。はっきりしているのは既に大相撲が始まっていて、松平日出男が私に「相撲でもみいや」と声を掛けたことです。その直前、松平日出男は安藤文さんを私からガードし、庇うようにして、会社前の車まで彼女を送り届けていたのです。台所付近で、私が彼女を問い詰め、問い質すようなことを言ったのが原因だったと思いますが、今現在の記憶だけでは状況が断片的ではっきり思い出せません。
  72. 20070326:[link]  安藤文さんはそのナカノさんから仕事のことで報告か説明を受けたいたのですが、私の姿を認めると突然メガネを取り出して掛けたのです。私自身安藤文さんがメガネを掛けた姿を見たのはそれが初めてでしたし、その私以上に、ナカノさんの方が驚き、そのナカノさんの驚き方の方が私には意外だったぐらいです。
  73. 20070326:[link]  安藤文さんがナカノさんの目の前で、突然メガネをかけ出したのもこの時だったかもしれません。ナカノさんというのはかなり前から金沢市場輸送で東北便の福井中継を担当していた人で、私もよく知っている人でした。
  74. 20070326:[link]  荷降ろし先の会社から市場急配センターに電話を掛けたこともうっすらと憶えています。受取伝票のことでちょっとした問題が出たからだと思います。この時も安藤文さんが電話に出たように思いますが、そこまでは現在はっきりと思い出せません。
  75. 20070305:[link]  松岡同様、安藤文さんのフィルム貼りの手伝いを目撃し、ずいぶん驚いた顔をしていましたが、両者の実質的な経営権を掌握しており、すべてを見通したうえで、成り行きを実行役に任せていたという首謀者的な立場の疑いのある人物です。そのような関与がなかったのであれば、松平日出男の独断でなしえなかった計画と解釈するのが合理的であり、全体的な計画の目的、人員の配置、采配を推し量るうえでも黒幕的な存在であって、事案の真相解明には欠くことの出来ない人物でしたが、安田敏によると数年前に死去したといいます。
  76. 20070305:[link]  二人の交際が事実だったとすれば、同じ会社の社員であることも安藤文さんの両親は知っていたことになりそうですが、会社においてそのような恋愛のトラブルが過去にあったとすれば、より注意深く神経質になっていたはずです。
  77. 20070305:[link]  多田敏明の話しによると、安田繁克は安藤文さんにいい服を着て来て欲しいと言われて、自宅に招かれ、父親と酒を飲んだが、堅苦しくまずい酒だったということです。さらに、安藤文さんは安田繁克に対して強い恨みを抱いているとも断言していました。
  78. 20070305:[link]  安藤文さんと安田繁克の交際ですが、安藤文さんの両親の供述調書を見る限り、彼女が男性と交際していたことはなく、自宅に電話をしていたのも私だけだったようです。
  79. 20070305:[link]  私の方から相談を切り出したとき、浜口卓也は、安藤文さんが安田繁克と付き合っていたとき毎日弁当を作ってきていたと言い、その点は見上げたものだとずいぶん高く評価していましたが、開口一番は、「鬼のような女やな、お前、あの女の顔見て普通の女じゃないってが、わからんか? きっかん顔しとるやろい」と決めつけたように切り出しました。
  80. 20070305:[link]  また、これもその数日前、安田敏から聞いた話しでは、安藤文さんが好きな人にプレゼントをするため、金沢市場輸送の女子事務員に手編みの編み物を習いに行っていたそうです。
  81. 20070305:[link]  その数日前の午前中、事務所において東渡が文さんの隣の梅野博之の机に座り、私に24日のクリスマスには、東京に行くように指示を出したのですが、その言葉を聞いた彼女が隣で大きくがっくりと首をうなだれるということがありました。
  82. 20070305:[link]  そのあと彼に誘われて金沢の繁華街、片町に飲みに行ったのですが、本当の私の目的は理解しがたい安藤文さんの人柄や性格について相談することでした。結局、その場では切り出せなかったのですが、私の胸の内も手に取るようにわかっているような様子でした。
  83. 20070305:[link]  先にも述べたとおり、日産ディーゼルの打ち合わせがあった時点で、安藤文さんと私が恋愛関係にあり、また安藤文さんの真意も十分に認識していたはずですが、それより前の、平成3年12月21日の夜の時点で、そんなことはよくわかっているような様子でした。その夜、私は安藤文さんの目の前でトラックから投げ捨てたクリスマスプレゼントを拾いに行き、そのまま浜口卓也の自宅アパートを訪問しました。
  84. 20070305:[link]  その後、多田敏明の方で隠していた事実を告白するようにいろいろと吹き込んできましたが、多田敏明の方では深い関係を否定し、概ね多田敏明自身が供述調書に供述しているような曖昧な説明をしていましたが、時折、迫真の真実を語るようなことがあり、私に対して、安田繁克と安藤文さんの間にただならぬ男女関係のもつれのあったことを具体的且つ明確に印象づけていました。
  85. 20070305:[link]  私が市場急配センターで仕事をするようになった直後から、自ら私に対して接触を図ることがあり、梅野博之同様表面的には好意的でした。安藤文さんと交際していたことがあると初めて聞かされたのは平成4年1月21日の夜、浜口卓也がその口火を切りました。
  86. 20070305:[link]  また、彼に安藤文さんのことを話し、相談するようになったのは12月の10日過ぎぐらいからのことでした。
  87. 20070305:[link]  オートバックスに行った頃の安田敏は、うまくいくかどうかは半々だと予想を立て、明るく余裕さえ窺わせる態度で、普段以上に気分もよさそうでした。安藤文さんが、どのような対応をするかは、あらかじめ池田宏美を通じて筋書きが出来ており、それ故の余裕だったと考えられます。
  88. 20070305:[link]  当日の松平日出男や本恒夫の態度ですが、安藤文さんに対する不信感を増幅させ、相乗効果を狙った暗示性の高い、演出だったと考えられます。詐欺の技術としても高度な部類に入り、一般には認知されることもない、といえるのかもしれません。
  89. 20070305:[link]  もっともその時私の頭の大部分を支配していた不可解さは、一昨日の電話で交際を断った安藤文さんのことでしたが、当日の彼女は、私に対し、申し訳なさそうな反省したような態度でしたが、目を合わせるようなことはありませんでした。
  90. 20070305:[link]  同じ頃、本恒夫が市場急配センターのトラック駐車場に来て、私にやや挑発的な態度で、トラックを移動させるよう命令したことがあったのですが、これは私が安藤文さんに初めて交際を断られた翌々日なので、10月7日の月曜日になると思います。
  91. 20070305:[link]  それまで事務所に台所から消えていたコーヒーメーカが現れたのも当日の朝だったと思います。また、そのコーヒーメーカが姿を消したのは、1月の10日頃、日産ディーゼルとの新車購入の打ち合わせをしていた浜口卓也が、私の背中を押して彼女のいる台所に押しやった直後でした。その直前、台所にコーヒーがあるのを見た私が、誰ともなしに、「このコーヒー飲んでいいがぁ?」と声を掛けたところ。机に座って仕事をしていた安藤文さんが、誰もが振り返るような思いを込めた大きな声で、「うん」と返事をし、すぐに仕事の手を止めて、台所に駆けつけ、洗い物を始めた直後のことでした。
  92. 20070305:[link]  これはちょうど、事務所の机の配置換えが行われた頃でしたが、安藤文さんの方の、私に対してそれまで若干媚びるような態度だったのが、すねた子どものような態度に変わり、私が二階の事務所にいると、一階の運転手の休憩室に行って仕事をし、私が休憩室にはいると二階に上がって行くようなことを繰り返していたことがありました。
  93. 20070305:[link]  安田敏に安藤文さんのことを相談したのは、平成3年9月の終わり頃だったと思います。諦めろとか思い込みという否定的な説得を繰り返していましたが、時折、理解を示し期待を持たせるような態度をとることもありました。
  94. 20070305:[link]  彼女が、指輪を見せたのは、その時が2回目で前回とは形状の異なるものでしたが、その前回というのは3月の5日頃のことで、梅野博之は安藤文さんに、「(給料を)間違って、彼氏のとこ振り込むな」などという意味深な言葉をわざとらしく投げかけていました。
  95. 20070305:[link]  また、3月19日頃、私が五高倉庫で静岡県清水市行きのミールを積み込んだあと、早々に退社をして夕方5時前に自宅アパートから掛けた電話では、松平日出男、池田宏美と持ち回りで、電話に出ていましたが、この時は、うれしそうな明るい態度でした。私は安藤文さんが出ないとその都度、無言で電話を切っていたのですが、この日、どうしても彼女に話しがしたいと繰り返し電話を掛けたのは、荷物の積み込みに行く前、会社事務所で、安藤文さんが指輪を見せびらかすようなことをやっていたからです。
  96. 20070305:[link]  ただ、平成4年の2月の初め頃、安藤文さんが会社の裏駐車場での駐車をやめた直後から、会社での電話の応対に積極的に出るようになり、同じく3月の10日頃に事務所の机の配置が変更されると、出入り口正面の机に座り、お目付役のような役割をしていました。
  97. 20070305:[link]  同時に、松平日出男がうどんの出前を取り、私と安藤文さんに食事を振る舞う場には、決まって姿があり、温かく協力的な素振りも垣間見せていました。
  98. 20070305:[link]  まず、もっとも不自然で怪しい点は、平成3年6月頃、私が市場急配センターの同列会社である金沢市場輸送を辞め、市場急配センターで仕事をするようになった直後から、それまで毎日金沢市場輸送の事務所で仕事をしていた池田宏美が、市場急配センターの事務所で一日中仕事をするようになったことです。全体的な計画性の推進役として送り込まれた可能性が高く、主に安藤文さんに対して反応を窺い、情報を聞き出しながら、働き掛けを行っていたものです。
  99. 20070305:[link]  そのように安藤文さんの真意を十分に認識していながら、彼女を操作し利用するかたちで、私が一方的に彼女に恋愛感情を抱き、しつこく交際を迫っているかのような外形的な状況を積み重ねて作り上げていきました。
  100. 20070305:[link]  安藤文さん本人でなければわからないかもしれませんが、そのような安藤文さんの会社における言動、態度は池田宏美らの介入によるもので、具体的な指示を受けていたものと考えるのが自然です。
  101. 20070305:[link]  池田宏美も安藤文さんが私に対して、好意的で交際を意識していることは十分に認識していたはずです。安藤文さんが、私に「どっか行くが? 送っていってあげるか?」と声を掛けたとき、二階に窓から顔を出し、「乗ったらダメよ! 広野さん、どっか行くんやったら私の車、使いなさい!」と自分の車の鍵を大慌てで投げつけようとしたり、松平日出男が買ってきたケーキを、安藤文さんに、「このケーキ、広野さんが文ちゃんのために買ってきてくれてんよ。」と話しかけることがありました。
  102. 20070305:[link]  私と安藤文さんの個人的な関係は、前年つまり平成3年の9月頃から始まりましたが、雰囲気的に恋愛感情を意識するようになったのは同じく8月頃からのことです。
  103. 20061112:[link]  安藤文さんの声を聴くことは出来、それらしい姿もちょっとだけ見かける機会もありましたが、平成4年の事件以来、途切れたままで会ったことはありません。
  104. 20061112:[link]  私はずっと安藤文さんと結婚したいと想い続けてきました。その想いは今もこの先も変わることはありませんが、現実的な面では仕事のことを含め、一人ではどうすることも出来ないような困難が山積され、途方に暮れています。
  105. 20061112:[link]  これまでのインターネットを利用した情報発信で理解が得られにくいと思われるもう一つの問題点は、告発の被害者であり、事件の当事者である安藤文さんや父親である安藤健次郎さんが、沈黙を貫いているという点です。このあたりの経緯も具体的に詳しく書いてきましたが、周辺の事情まで説明に含めると膨大な情報量にもなってしまいがちです。また、尋常一様の対応でもありませんでした。
  106. 20061022:[link]  これが国家権力の一面のように思われます。金沢刑務所でのことは、これまでも色々書いていると思いますし、これからも書いて行きます。色々考えられるのですが、闇の裏社会に市場急配センターらの事件を周知させ情報を集まりやすくし、同時に私や安藤文さんの身の安全を図ったことも考えられます。
  107. 20061022:[link]  私自身、安藤文さんが意識を取り戻したと聞くまでは、拘置所において茫然自失の状態であり、何も手に着かないような日々を送っていました。
  108. 20061022:[link]  それというのは、幸いだったこととして安藤文さんが最後に金沢西警察署に出頭するまで意識があり、問い掛けに即座に返事を返せる状態であったと言うことです。
  109. 20061022:[link]  たとえば、昨夜読んだ谷内孝志警部補作成の供述調書では、私が、警察に行き救急車を頼む、と安藤文さんに声を掛けたとき、彼女が「うん」と返事をしたことになっていますが、実際は、黙ったまま返事をしませんでした。
  110. 20061022:[link]  しかし実際は、私が安藤文さんに交際を求めたのは、遅くても平成三年の11月頃が最後でした。あとはすべて、私の方から「諦めるし、気にしないでくれ」と伝えていたのです。そんな言葉が彼女の真意に反し、彼女を傷つけ、さらに不可解な行動を示すという悪循環を繰り返して行きました。
  111. 20061022:[link]  谷内孝志警部補の供述調書や被告訴人らの供述調書では、私が安藤文さんに執拗に交際を迫っていたことになっています。
  112. 20061022:[link]  その経験の上でも、この先がとても不安になっていて、安藤文さんから刺激を受けることを極度に恐れていたのです。
  113. 20061022:[link]  市場急配センターの仕事は比較的楽でした。ただ、運転手間の不公平も顕著で、割の合わない仕事を回されるのは、私と安田敏に決まっていたような感じで、一部はわがまま放題で他に負担を押し付けていました。それを割り引いても楽な運行でしたが、安藤文さんとのことで精神的な負担が増し、危機的に思うようになっていました。
  114. 20061021:[link]  事件や裁判に関与した弁護士のことや、弁護士業務の限界などについても私の方から、ご説明しておきたいと予定しています。安藤健次郎さんやその妻であり安藤文さんの母親の供述調書についても触れておく必要を感じております。自分が手持ちの資料はすべてマスコミに公開するのに吝かではありませんが、ストレートにブログで紹介するには物理的な限界があり、取捨選択や構成については、やはり報道のプロの力が必要であり、またそれが妥当な道筋だと考えています。
  115. 20061016:[link]  彼らを刺激することが、自分や安藤文さんの家族の身の危険にも繋がりかねないと判断したからです。警察の関与は窺えていましたが、石川県警では未解決の重大事件もいくつかあり、警察や司法関係者しか知り得ない事情のもとでは、ここを先途とばかりに、一人必殺の攻撃を仕掛けて来るかもしれないと危惧したからです。
  116. 20061016:[link]  5人ぐらいの警察官を交え、しばらく話しをしました。私が、決定的に頭に来たのは、その中の一人が、「(安藤文さんの)面倒をみれるのか」と言ってきた時でした。
  117. 20061016:[link]  玄関の横には窓ガラスがあり、そちらにお祖母さんの姿が見えました。ドアを開けるような物音と、少しすると聞き取れない声が聞こえ、発声障害らしい文さんの声だと思いました。すると以前電話で聞き覚えのある母親の声で、「アヤ、出たらダメよ」と聞こえ、続けて「馬鹿にしないで下さい。」と言われました。涙声のような感じでした。
  118. 20061016:[link]  その上で、インターホンには安藤文さんが出て、3回繰り返すまで、安藤健次郎さんは動こうとせず、自宅に来たこと自体を非難することはなく、二度と来るなとも言われませんでした。
  119. 20061016:[link]  金沢地方検察庁の方に、告訴の手続きを行っていて、安藤文さんを被害者に告発も行っていましたが、公訴時効まであと半年を切っています。金沢地方検察庁の方では、安藤健次郎さんのほうから連絡があれば、話しを聴くつもりだと話していました。
  120. 20061016:[link]  安藤文さんに声を掛けることも出来たのですが、彼女の立場も考え、それはしませんでした。そして玄関の電気もつけないまま、安藤健次郎さんが外に出てきました。玄関の電気が消えていたのは平成11年8月8日の夜と同じでしたが、この時は、そのまま玄関先の道路に近いあたりで話しをしました。
  121. 20061015:[link]  あなたが対象にしている傷害事件だけでの問題であれば、当時の相場で、執行猶予つき判決で終わっていたはずです。問題をとくキーワードは、被害者の真意です。安藤健次郎さんと安藤文さんの真意ということですが、ご本人らは、この反応をどう考えていることでしょう。
  122. 20061015:[link] (仮に貴方が言うように,会社ぐるみで貴方と安藤文さんを陥れていたとしても,)
  123. 20061015:[link] それに、安藤文さんとは結婚できないと思います。
  124. 20061015:[link]  将来に目標が持てれば、よいのですが、この告発・告訴の問題を解決しないことには、先に進めそうもありません。本当は、期待の持てる方向に進んでいるはずなのですが、このマイナス思考は、平成3年から続いてきた宿痾(しゅくあ)のようなもので、皮肉なことに安藤文さんや、安藤健次郎さんの存在が絡み続けています。
  125. 20061011:[link]  たとえば、3月23日、被害者安藤文の前で、社長である松平日出男は、「文ちゃんも、男、その気にさせたんやし、付き合うか、付き合わないのかはっきりしないと、ふたまた、みまた、掛けとると思われるぞ」
  126. 20061011:[link]  安藤文さんの怪我には、全く比較にもならない小さな怪我ですが、これで済んでよかったです。
  127. 20061009:[link]  安藤健次郎さんは不在のようでしたが、母親に、「馬鹿にしないで下さい」と涙声で言われたのが印象的でした。安藤文さんらしい声が聞こえ、出るのを制止するような母親の声が聞こえ、私が大声を上げたこともあり、まもなく警察が集結したのです。
  128. 20061009:[link]  また、そのあと金沢中警察署の警官らが多数集まったあと、その窓の二回に上る階段越しに、オレンジ色のパジャマを着た安藤文さんらしい、女性の姿を見たことも告発状のなかには書いてあるように思います。
  129. 20061009:[link]  なお、そのお祖母さんとは平成11年の8月7日、安藤文さんの自宅に行ったときに、窓越しですが、姿を見ました。玄関の横には通路に窓があり、その窓からお祖母さんが覗いていたのです。
  130. 20061009:[link]  私は当時、安藤文さんの住所や電話番号は知っていましたが、自宅などは全然知りませんでしたし、調べることもありませんでした。憶えているのは、金沢西警察署での取調べのとき、机の上に置いてあった金沢市内の住宅地図で彼女の家を調べたことです。その時になって安藤健次郎という名前を知っていたはずですが、半分ぐらいはお祖父さんの名前かと考えていました。
  131. 20061009:[link]  さらに言えば、その母親が警戒心を見せる対応を示したのは、平成4年1月25日のことでした。その日、安藤文さんは、会社から泣くようにして足早に帰って行きました。私との間にそれだけのいきさつがあったのですが、説明をするととても長くなるので、省略します。過去の告発状のなかには、ある程度の説明を記述したものもあるかもしれません。
  132. 20061009:[link]  その頃から安藤文さんは、徹底した行動を示していましたが、自分の方から自宅に電話を掛けてよいと返事をしておきながら、その直後から全然出なくなったのです。不審と言うより変わった性格なのだと感じることが多かったように思います。
  133. 20061009:[link]  この前の告訴状でも、安藤文さんが会社裏に自車を駐車させると同時に、自宅の電話に出なくなったことを書いていますが、それも相当な回数の電話を掛けていました。
  134. 20061009:[link]  あと、魚津市の現場で16時頃、作業をしていると安藤健次郎さんが自宅から電話を入れてきたことが一度だけありました。安藤文さんの名前で番号を登録してあったので、着信の際、携帯の電話機に名前が表示されていたのです。
  135. 20061009:[link]  私は、安藤文さんの事件の事実認定を不服とし、福井刑務所での受刑中から度々再審請求を起こしていました。ほとんどが金沢地方裁判所宛の申し立てでしたが、最高裁まで争ったこともありました。平成6年頃からほぼ毎年のように、年中行事の如く再審請求を繰り返して来たことになります。
  136. 20061009:[link] <[告発事件]安藤文さんの家に行ってきたご報告(2006年10月5日)>
  137. 20061009:[link]  まず、手続き面を含め、大きな障壁となっているのは、当事者の安藤文さんの父親が、長い間沈黙を貫いているという問題です。
  138. 20061009:[link]  私はこのブログで、「告発事件」と「告訴事件」を別に扱っていますが、告発の方は、安藤文さんを被害者とした訴えであり、告訴は、廣野秀樹である私本人を被害者にした刑事手続きです。さらにこの二つの訴えは、まったく同一の事実関係を対象としたもので、いずれも被疑事実は、共謀共同正犯による殺人未遂容疑です。
  139. 20061008:[link] せめて文ちゃんの怪我が
  140. 20061008:[link] 又、文ちゃんが廣野に呼び
  141. 20061008:[link] 迫まり 断わった文ちゃん
  142. 20061008:[link] しつこく文ちゃんに交際を
  143. 20061008:[link] 文ちゃん すきな子いるし、
  144. 20061008:[link] 私自身、文ちゃんの事で
  145. 20061008:[link] 文ちゃんが事務所を出て
  146. 20061008:[link] と話すと 文ちゃんは
  147. 20061008:[link] 文ちゃんに対して
  148. 20061008:[link] と言ったのですが、文ちゃんは
  149. 20061008:[link] 梅野さんが文ちゃんに
  150. 20061008:[link] 文ちゃんへの態度や
  151. 20061008:[link] すぐに私が 文ちゃんに
  152. 20061008:[link] 机の前に立ち 文ちゃんに対して
  153. 20061008:[link] 最後に来たとき 文ちゃんの
  154. 20061008:[link] 文ちゃん
  155. 20061008:[link] 廣野さんが文ちゃんを
  156. 20061008:[link] と尋ねたとき、文ちゃんは
  157. 20061008:[link] 事務所で仕事中の文ちゃん
  158. 20061008:[link] 文ちゃんに対し、
  159. 20061008:[link] 文ちゃん 好きな子おるんやし
  160. 20061008:[link] こんな事から、私とすれば文ちゃん
  161. 20061008:[link] の事で 私が文ちゃんから
  162. 20061008:[link] かかり、文ちゃんは
  163. 20061008:[link] その後事務所で仕事中の文ちゃん
  164. 20061008:[link] 文ちゃんが会社事務所の
  165. 20061008:[link] 廣野さんが文ちゃんに
  166. 20061008:[link] 文ちゃんは、このとき 私に対し、
  167. 20061008:[link] と尋ねたとき 文ちゃんは
  168. 20061008:[link] 私は、このとき文ちゃんに対し
  169. 20061008:[link] このとき文ちゃんは、安田敏さん
  170. 20061008:[link] 文ちゃんに
  171. 20061008:[link] 朝、私と文ちゃんが事務所に
  172. 20061008:[link] 廣野さんが文ちゃんに交際を迫って
  173. 20061008:[link] 先ず 文ちゃんの事から言いますが、
  174. 20061008:[link] しかし、文ちゃんに本当に交際して
  175. 20061008:[link] 文ちゃん好きな子おるんやし、
  176. 20061008:[link] 逆上した廣野さんが 文さん
  177. 20061008:[link] 文ちゃんに断わられ
  178. 20061008:[link] 廣野さんが文ちゃんに交際を
  179. 20061008:[link] 廣野さんが文ちゃんを殴り怪我を
  180. 20061008:[link] 私と文ちゃんの二人
  181. 20061008:[link] 安藤文の事を文ちゃん
  182. 20061008:[link] 現在、安藤文さんは、石川県立中央
  183. 20061008:[link] もちろん 安藤文さんのこと
  184. 20061008:[link] 文ちゃんのことが好きやけど
  185. 20061008:[link] 安藤文さんのことが
  186. 20061008:[link] 安藤文さんも
  187. 20061008:[link] 安藤文さん
  188. 20061008:[link] 安藤文さん
  189. 20061008:[link] 秀樹の思いが 文ちゃんに
  190. 20061008:[link] 秀樹が文ちゃんを殴った 原因
  191. 20061008:[link] 文ちゃんの体が 一刻も早く
  192. 20061008:[link] 位、秀樹からも文ちゃんからも
  193. 20061008:[link] 私は、この秀樹と文ちゃんの
  194. 20061008:[link] 文ちゃんの性格については、あまり
  195. 20061008:[link] 文ちゃんとの交際の事で
  196. 20061008:[link] このとき 文ちゃんは
  197. 20061008:[link] 会社で文ちゃんに
  198. 20061008:[link] 秀樹が 文ちゃんにプレゼント
  199. 20061008:[link] 文ちゃんにどうしても
  200. 20061008:[link] 文ちゃんから
  201. 20061008:[link] 文ちゃんに
  202. 20061008:[link] 文ちゃんを呼び出して
  203. 20061008:[link] 事務所に行って 文ちゃん
  204. 20061008:[link] 文ちゃんに プレゼントを渡し
  205. 20061008:[link] そんなに文ちゃんが好きなら
  206. 20061008:[link] どうしても文ちゃんと付き
  207. 20061008:[link] が文ちゃんの事で 私に
  208. 20061008:[link] 文ちゃんの事について
  209. 20061008:[link] 私は、秀樹に文ちゃんの事を
  210. 20061008:[link] 秀樹は、文ちゃんが自分に好意
  211. 20061008:[link] 文ちゃんは 会社で 顔を
  212. 20061008:[link] 文ちゃんの気持ちは 秀樹
  213. 20061008:[link] 文ちゃん諦めれば どうや
  214. 20061008:[link] 文ちゃんが 今までの
  215. 20061008:[link] 文ちゃんに電話を掛け
  216. 20061008:[link] よいかとの問い掛けに 文ちゃんが
  217. 20061008:[link] 文ちゃんに電話で交際
  218. 20061008:[link] 結論を急がずに 文ちゃんに
  219. 20061008:[link] 文ちゃんと付き合うには
  220. 20061008:[link] 秀樹が文ちゃんの事について
  221. 20061008:[link] 文ちゃんにないと思うよ
  222. 20061008:[link] あの子、文ちゃんは 自分の
  223. 20061008:[link] 文ちゃんの方から話し
  224. 20061008:[link] いませんが 秀樹が 文ちゃん
  225. 20061008:[link] ただ 文ちゃんに彼氏が居たか
  226. 20061008:[link] 文ちゃんの事 どう思う
  227. 20061008:[link] 秀樹が 文さんの事が好きだと、
  228. 20061008:[link] 文さんから、話し掛けて
  229. 20061008:[link] 秀樹は 同じ運転手で 文さん
  230. 20061008:[link] 秀樹と文ちゃんの関係ですが
  231. 20061008:[link] 文ちゃん
  232. 20061007:[link] 文ちゃんには早く良くなって欲しいと
  233. 20061007:[link] ていた事は知っていましたが、文ちゃん
  234. 20061007:[link] 廣野君が文ちゃんに付き合いをせまっ
  235. 20061007:[link] 文ちゃんにネックレス、プレゼント
  236. 20061007:[link] と思い 廣野君は 文ちゃんとは無理だ
  237. 20061007:[link] 文ちゃんの性格は知っているが、
  238. 20061007:[link] 廣野君は 文ちゃん
  239. 20061007:[link] 文ちゃんは付き合っとる好きな人
  240. 20061007:[link] 私と文ちゃんとの関係は実際終って
  241. 20061007:[link] お前 文ちゃんと付き合っとるんか
  242. 20061007:[link] ただ、廣野君が、文ちゃんに付き合い
  243. 20061007:[link] ですから、私と別れた後、文ちゃんが、
  244. 20061007:[link] 時々、会社へ遊びに行った際、文ちゃん
  245. 20061007:[link] 文ちゃんに関しては、昨年の夏頃に
  246. 20061007:[link] そのまま 一ヶ月位は、文ちゃんとも、
  247. 20061007:[link] それで偶然、私の家へ文ちゃんを連れ
  248. 20061007:[link] おり、文ちゃんと付き合っていた当初は、
  249. 20061007:[link] と言うのは、文ちゃんと深い関係になる
  250. 20061007:[link] しかし、この文ちゃんとの関係も、半年位
  251. 20061007:[link] いたと思っており、文ちゃんの方は、
  252. 20061007:[link] きっかけについては、文ちゃんの方が
  253. 20061007:[link] いただけなのですが、文ちゃんが勤め
  254. 20061007:[link] に、文ちゃんが 事務員として勤め
  255. 20061007:[link] 私と文ちゃんとの関係については、
  256. 20061007:[link] 文ちゃん、つまり安藤文
  257. 20061006:[link] 文ちゃんには
  258. 20061006:[link] 文ちゃんは
  259. 20061006:[link] 文ちゃんに対し
  260. 20061006:[link] 文ちゃんと付き合って
  261. 20061006:[link] 文ちゃんとの事を聞いて
  262. 20061006:[link] 今でも文ちゃんと
  263. 20061006:[link] 安田君と文ちゃんの
  264. 20061006:[link] 実際 文ちゃんは
  265. 20061006:[link] 文ちゃんには
  266. 20061006:[link] 安田君と文ちゃんの二人が
  267. 20061006:[link] 文ちゃんと
  268. 20061006:[link] 文ちゃんを連れ
  269. 20061006:[link] 文ちゃんがその安田君
  270. 20061006:[link] 私自身 文ちゃんに
  271. 20061006:[link] 文ちゃんが自分の車を
  272. 20061006:[link] 一方的に、文ちゃんは
  273. 20061006:[link] 文ちゃんのことを
  274. 20061006:[link] 文ちゃんにしてみれば
  275. 20061006:[link] 文ちゃんという子は
  276. 20061006:[link] 文ちゃん本人から
  277. 20061006:[link] 廣野さんは 文ちゃんに
  278. 20061006:[link] 文ちゃんの気持ちを
  279. 20061006:[link] 俺、文ちゃんが好き
  280. 20061006:[link] 交際を文ちゃんに迫って
  281. 20061006:[link] 文ちゃんを殴ったりした
  282. 20061006:[link] 文ちゃん
  283. 20061006:[link] 安藤文さん
  284. 20061006:[link]  父親の姿は、公判の法廷にもありましたが、判決の日はいませんでした。文さんの裁判の時も同様で、判決の法廷に姿はありませんでした。
  285. 20061006:[link]  事件を起こす前日、8月7日(土曜日)の夜、私は初めて、安藤さんの家の前に立ち、文さんらしき人の姿も少しだけ見ることがありました。そこで警察を呼ばれ、金沢中警察署で一悶着を起こしたのです。およそ一週間後に、その金沢中警察署の留置場に入るとは、夢想だにしていませんでした。
  286. 20061006:[link]  大野検事の取り調べを受けたのは、その時だけで、その後はずっと下平豪検事で、公判の立ち会い検事でもありました。取調べは、けっこうな回数と、時間も多めでした。より大きな事件であった安藤文さんの事件の時の、正味3倍以上はあったと思います。あるいは5倍ぐらいでしょうか。
  287. 20061006:[link]  逮捕されるとだいたい二日目ぐらいに、金沢地方検察庁に連れて行かれ、しばらく話しを聞かれてから、裁判所の裏側にある部屋に連れて行かれます。安藤文さんの事件の時は、初めての経験だったので、なにがなんやらさっぱり分からなかったのですが、その後、勾留尋問だと知りました。
  288. 20061006:[link]  安藤健次郎さんに対する傷害事件を起こしたのが、平成11年の8月8日で、12日に金沢中警察署に逮捕され、金沢中警察署の留置場で生活していましたが、確か9月22日ぐらいに、金沢刑務所のなかにある拘置所に移送されました。覚えていることと言えば、安藤文さんとよく似た年格好の婦警さんが同行していたことです。
  289. 20061006:[link] <■[告発事件]安藤文さんの家に行ってきたご報告(2006年10月5日)>
  290. 20061006:[link]  事件後の安藤文さんとの関係について詳しく書く前に、このような情報も公開しておきたいと思います。この民事裁判は、明らかな八百長裁判のはずですが、数年後にご本人が検察も巻き込んで、とんでもない大問題を起こして下さいました。
  291. 20061005:[link]  それから、玄関先の外の方で、正味、長くて15分ほど話しをしました。車に乗って安藤文さんの家をあとにしたのは、私の車の時計で20時18分でした。この車の時計は、2,3分ぐらい時刻がずれているはずです。
  292. 20061005:[link]  間違いなく安藤文さんの声だったと思います。後遺症のため、言語障害が残っているようです。市場急配センターにいた頃の、事件前の声とは別人のようですが、平成11年8月7日の夜も、彼女の声は聴いていました。
  293. 20061005:[link]  金沢で時間を調整し、安藤文さん宅の玄関に立ったのは、ちょうど20時頃でした。緊張していましたが、さけることの出来ない道だと腹を括っていました。
  294. 20061005:[link] *1160060329*[告発事件]安藤文さんの家に行ってきたご報告(2006年10月5日)
  295. 20061005:[link] 今となっては、文ちゃんに対して、力に
  296. 20061005:[link] 文ちゃんは日頃、自分の仕事中で
  297. 20061005:[link] 文ちゃんはもういません
  298. 20061005:[link] 文ちゃんが出て行ってすぐに、文ちゃん
  299. 20061005:[link] 文ちゃんは事務所を出て行く
  300. 20061005:[link] 文ちゃんに気をつけさせ
  301. 20061005:[link] と秀樹が文ちゃんに言っていた事
  302. 20061005:[link] や、文ちゃんへの電話で
  303. 20061005:[link] これまでの秀樹の文ちゃんに対す
  304. 20061005:[link] 私がなぜ、こんな事を文ちゃんに伝え
  305. 20061005:[link] に文ちゃんに対して
  306. 20061005:[link] 文ちゃんの仕事中の様子を見ていた
  307. 20061005:[link] と尋ねると、文ちゃんは
  308. 20061005:[link] ため、私は文ちゃんに
  309. 20061005:[link] の文ちゃんのところに来て
  310. 20061005:[link] と問いかけると文ちゃんは
  311. 20061005:[link] それで私は、文ちゃんに対して
  312. 20061005:[link] と尋ねると、文ちゃんは
  313. 20061005:[link] をしていた事から、私は文ちゃん
  314. 20061005:[link] 文ちゃんが
  315. 20061005:[link] 文ちゃんと三人で、会社事務所
  316. 20061005:[link] 文ちゃんが秀樹に暴力を受けた日
  317. 20061005:[link] 文ちゃんが秀樹の事に
  318. 20061005:[link] 文ちゃんが付き合うのは
  319. 20061005:[link] 文ちゃん自身
  320. 20061005:[link] 秀樹も文ちゃんともう一度
  321. 20061005:[link] 文ちゃんが秀樹のことを嫌
  322. 20061005:[link] 社長と文ちゃん
  323. 20061005:[link] 文ちゃんと秀樹
  324. 20061005:[link] 秀樹からの電話で文ちゃんが泣き
  325. 20061005:[link] 文ちゃんに言い寄るのは
  326. 20061005:[link] 文ちゃんが
  327. 20061005:[link] 私は、こんな秀樹の文ちゃんに対する
  328. 20061005:[link] と言い文ちゃんは社長の言葉
  329. 20061005:[link] 電話を切ったあと社長は、文ちゃん
  330. 20061005:[link] 文ちゃんの電話を取った社長は
  331. 20061005:[link] と電話の相手を聞くと、文ちゃん
  332. 20061005:[link] と思い、私が文ちゃんに対して
  333. 20061005:[link] 文ちゃんが事務所の電話を取り、
  334. 20061005:[link] 秀樹からの電話で文ちゃん
  335. 20061005:[link] 秀樹が文ちゃんいかけ
  336. 20061005:[link] いた文ちゃんが
  337. 20061005:[link] 文ちゃん
  338. 20061005:[link] 秀樹から文さんにかけてくる
  339. 20061005:[link] 秀樹と文さんが個人的に
  340. 20061005:[link] 文ちゃんそれに秀樹
  341. 20061005:[link] 文ちゃんや秀樹が個別に
  342. 20061005:[link] 文ちゃんや秀樹
  343. 20061005:[link] 文さんが長い間秀樹からの
  344. 20061005:[link] 昨年一二月、秀樹が文さんに何か
  345. 20061005:[link] 文さんが若くて、
  346. 20061005:[link] 文さんが再三断っている
  347. 20061005:[link] 会社の者は、文さんと秀樹は
  348. 20061005:[link] 文ちゃんは付き合う気持ち
  349. 20061005:[link] この事は、文さんも納得して
  350. 20061005:[link] 文さんは迷惑しているから
  351. 20061005:[link] 文さんは秀樹と付き合う
  352. 20061005:[link] 秀樹に文さんを諦めて
  353. 20061005:[link] こんな事を文さんから聞いた私
  354. 20061005:[link] 文ちゃんは秀樹のことを
  355. 20061005:[link] 文さんを交えて話したとき
  356. 20061005:[link] 文さんが
  357. 20061005:[link] 仕事中の文さんに秀樹から
  358. 20061005:[link] と聞くと、文さんは、
  359. 20061005:[link] 文さんが電話を取るまで
  360. 20061005:[link] 秀樹が文さんに交際を迫っている
  361. 20061005:[link] 性格が文ちゃんが明るく
  362. 20061005:[link] 文ちゃんと秀樹は
  363. 20061005:[link] 私は文ちゃんからこんな話を聞き、
  364. 20061005:[link] このとき文ちゃんは
  365. 20061005:[link] 文ちゃんが電話を取り
  366. 20061005:[link] 文ちゃんや池田さん
  367. 20061005:[link] 秀樹が文さんに好意をもっていると
  368. 20061005:[link] と交際していた様で 文ちゃんが
  369. 20061005:[link] 仕事中に文ちゃんにかかってくる電
  370. 20061005:[link] 人がおり、文ちゃんから
  371. 20061005:[link] 文さんの入社ですが、確か 二年位前の
  372. 20061005:[link] 逆上した秀樹が文さんに
  373. 20061005:[link] 文さんは、自分に好意をもっている
  374. 20061005:[link] 文さんの受け答えが明るかった
  375. 20061005:[link] 様で、文さんも
  376. 20061005:[link] 秀樹が文さんに暴力を振った原因に
  377. 20061005:[link] 安藤文さんの事を 文さん
  378. 20061005:[link] この廣野秀樹君と安藤文さん
  379. 20061005:[link] 又、安藤文さんは、
  380. 20061005:[link] 事務員の安藤文さんを
  381. 20061005:[link] 安藤文さん
  382. 20060923:[link] ・「安藤文さんに暴行を加え、準強姦で刑務所に行ったのは事実だが、
  383. 20060909:[link]  その場を去りたいとも考えていたのですが、おいそれと抜け出せるような雰囲気でもなく、どうしたものかと考えていたところ、電話が掛かり、池田宏美か安藤文さんの方から取り次ぎを受けたはずですが、出るとそれは安田繁克でした。
  384. 20060909:[link]  9月一杯ぐらいまでセイゴ釣りに出掛けていたと思いますが、その最後の方で釣りをしながら、安田敏に安藤文さんのことを相談したような気がしてきました。今うっすらと思い出し掛けてきた記憶です。
  385. 20060906:[link]  福井刑務所にいるときは、他に、「家なき子」という人気番組の主題歌で「空と君の間には」という曲も印象的で、これは自分の子供の姿と、安藤文さんの姿を重ね見る思いがしていました。
  386. 20060831:[link]  安藤文さんの母親の姿とも重ね合ったからですが、今は亡くなられた母親に、哀悼の意を表し、記録として引用させてさせて頂きたいと思います。
  387. 20060831:[link]  それよりもっと前、ちょうど6月30日の公判(結審)で、文さんの意識が戻ったと知った前に、これも諸葛孔明に関する官本で見た次の言葉がとても強く心に刻まれ、のちのち大きな影響を受けたと思います。
  388. 20060831:[link]  確かこの本では、このブログ名とも関係のある伍子胥が国王(平王)の追求を逃れ逃亡するとき、いったん自宅にもどったところ、妻が自ら塀の壁だったかに頭をぶつけ死んでしまう、という物語になっていたかと思います。他にそんな話を聞いたことはないので、おそらくは著者が独自に挿入した創作であったものと思われるのですが、私には文さんのこととも重ね合わせ、とても印象的でした。つまり伍子胥の使命、大志の足手まといにならないため、妻が自ら命を絶ったという設定だったと思います。
  389. 20060827:[link]  多田敏明が、自分に安藤文さんが、事務員を辞めて運転手をしたいと話していたと言っていたことについては、前にも書いたことがあると思います。あるいは「告訴状(途中)」にも書いてあるはずです。これも非常に細かいことのようですが、細かいことの積み重ねで大きな誤信を誘導していたという形跡が窺えるところです。
  390. 20060827:[link]  安藤文さんから真相を聞き出すために、焦りすぎてしまったという意味でも効果は大きかったはずです。疑惑を受けるように彼女自身が仕向けられていたはずですが、大きな結果というのはすべてを塗り替え、事態を一変させるものです。
  391. 20060820:[link]  同時に、昔のことを思い出し感傷的になって落ち込んでしまうかもしれません。その季節毎に体感的に蘇る記憶がありますが、この季節というのは安藤文さんとの個人的な関係が始まった時期でもありました。
  392. 20060819:[link] 私の思うところによりますと、前記②の翌日に私は七尾から関東方面に向かう途中、国道160号線沿いの県境と氷見市のほぼ中間あたりにある小さな漁協魚市場の前のバス停のところにある電話ボックスから掛けた電話で、私は彼女に「文ちゃんのお母さんっていい人やね。なんか悪いし、暫く電話せんし、そのかわり今度直接声掛けるし」などと彼女の気持ちを分かったつもりで私は申し向けたのです。しかし、その時の彼女の反応は硬いものですこぶる事務的でありました。(でも返事はしてくれていた)また、私に対し不信を抱き警戒しているようでありました。
  393. 20060819:[link] 1/5 ここで一つポイントとなるのは、私は十二月中か一月中に一度昼頃(午前中か午後か分からない)、文さんの件につき安田の教示を賜りたいと藁にすがる思いで安田の機嫌をとるため、寺町と平和町の境あたり野田専光寺線野田に向かって右側にある洋菓子屋で三千円分ほどケーキを買っていったのです。 また私はその数日前(半月くらい)の休日の時にもケーキを買って大網君の家に持って行ったことがあります。(これは12月22日かもしれない)間違いなし
  394. 20060819:[link] それから私は午後六時近くになって池袋に向け会社を出発しました。そして七時過ぎ頃、私は、北陸道朝日インターの手前にある入善PAに入ってそこから彼女の自宅に電話を、新年になって初めて掛けたのです。彼女が直接出ました。これは前年の十一月二十八日の夜の伊吹PAからの電話以来のことでした。この時も彼女の態度は硬いもので、まもなくちょっと待ってと言った後、友達来たし、などと言って会話を拒み、私は今度会ってくれるように頼んだのですが、彼女は返事をせず、さらに、会っても無駄のようなことを言い、前みたいに会社で会ってちょこちょこっと話す、そんなんでいいんじゃないがぁ、などと言ったので、私は、そんでいいんならいいし、話する気持ちないちゅうんやったらそれでおれも納得いくし、ほんでいいんやね、などと申し向けると、彼女は困ったように悲しそうに黙ってしまったので、私は「おれ文ちゃんのこと好きやし、なんでもあんたのいいようにしてあげるし、とにかく会うだけ会ってもらえんけ」と言ったところ、彼女の態度は一変に柔らかくなったのですが、私は彼女の気持ちと立場が理解できず、あまりしっこくするのはかえってよくないと思い。彼女に考えておいてと言うことで話を終えたのです。 それから私が目的地である池袋駅前に着いたのは夜中の十二時頃だったと思います。
  395. 20060819:[link] ここでは梅野らと一緒に大倉が来たことになっているがこれは大間違いだと思います。そのほかにも不正確な表現がかなり見られます。和田の車で30分とありますが、事実は15分から20分ぐらいでした。和田は高速に乗ると常時180キロのメーターを振り切るスピードで走ってきました。市内もガラガラですぐに着いたのです。これは大きな違いではありませんが、私たちが会社に着いてから文さんらが来たのは一時間からそれ以上遅れた時間でした。その間に大倉が来たように思うのですが、とにかく一緒ではなかったはずです。大倉は普段でも中山さんなどと行動を共にすることはありませんでした。どちらかと言えば避けていたのかもしれないぐらいです。現在ではあまりはっきりしたことは言えないのですが、文さんが来た時、大倉はおらず、文さんが帰った後も梅野らがいたのは一時間ぐらいだったかもしれません。あまり長い時間ではなかったと思います。大倉が会社の前で自分の四トン車を洗車していたことは確かなのですが、それも一度姿を見せて、戻ってから始めたように思います。その間に文さんらが来たと思うのです。和田も彼女らが来る前に一度妻を連れて会社に顔を出して行きました。ちょうどこの前後に大倉がいたような覚えがあるのです。それと重要なことは梅野と中山と一緒にいた人物ですが、三人いたことはまず間違いないはずで、その一人というのが、私のほぼ正確な記憶によると、その一二ヶ月前に入社した中年の男でした。よく高そうな黒色の皮のジヤンバーを着ていた人ですが、一番の特定になるのは、前夜の宴会の時、文ちゃんに贈る歌のような前置きを述べてから「娘よ」とかいう歌を唄っていた人です。その人は会社でもちょくちょく文さんに話しかけたりしていたようでありました。名前は聞いたこともなかったのかどうかも分かりませんが、全く覚えておりません。一月の下旬の能瀬からの電話で、池田が私に「会社で眺めるだけにしときなさい。他の人らもそう言って満足しとるんやし」などと言ったとき、私が真っ先に思い浮かべたのもこの人物です。
  396. 20060819:[link] この記載では彼女が多田を誘ったようになっているが、私の記憶では多田の方からそれらしい申し出のような言葉があり、それに多田が便乗したような感じだったのかもしれない。しかし、これも今となってははっきりしたことは思い出せない。ただ私がこの記載を見て意外に思ったことはたしかである。少なくとも彼女の方から積極的に誘うようなことだけはなかったはずである。また、その時大部屋では、手前の方にある座敷で麻雀をしている連中がいた。コンパニオンの仕事を経営している男もいた。今名前を思い出すことが出来ないが、松平の友人のような初老の男である。竹沢にホテル長山を紹介して代金を一部だと思うが踏み倒されたと、大倉から聞いたことのある男。安田の工事現場突入事件の時もいた。銀色のワゴン車に乗っていた。事件当日に文さんから、新しい事務員を紹介することになったなどと聞いたのもこの男のことである。
  397. 20060819:[link] その時、私は浜口さんと一緒に会社を出発して、関越道の越後川口SAで待ち合わせ、そこで食事をしてから一緒に現地(取手の日清工場)まで行き、歩いて500メートルほど向かいの所のコンビニエンスストアーでビールなど買って、トラックの中で会話をしながら飲んだのです。そして翌朝、一緒に荷卸しをしてから、私は古河に向かい途中谷和原(ヤワラ)インターの近くの「山田うどん」で食事をしたこと、浜口さんは国道6号線をそのまま東京方面に向かったことを、私ははっきりと覚えているのです。そしてこの時、私は浜口さんが、私と文さんとの関係を知っているとは全く考えておりませんでした。そして東度のことが話題になり、浜口さんが東度を弁護して、いいところもあるんやし大目に見てやらんか、などと言っていたのであります。このように考えると、この運行は十二月の中頃だったのかもしれません。しかし、私の全体的な感覚からすると、一月の中頃であったような気もするのです。
  398. 20060819:[link] 私の思うところによりますと、前記②の翌日に私は七尾から関東方面に向かう途中、国道160号線沿いの県境と氷見市のほぼ中間あたりにある小さな漁協魚市場の前のバス停のところにある電話ボックスから掛けた電話で、私は彼女に「文ちゃんのお母さんっていい人やね。なんか悪いし、暫く電話せんし、そのかわり今度直接声掛けるし」などと彼女の気持ちを分かったつもりで私は申し向けたのです。しかし、その時の彼女の反応は硬いものですこぶる事務的でありました。(でも返事はしてくれていた)また、私に対し不信を抱き警戒しているようでありました。
  399. 20060819:[link] ③私の思うところによりますと、前記②の翌日に私は七尾から関東方面に向かう途中、国道160号線沿いの県境と氷見市のほぼ中間あたりにある小さな漁協魚市場の前のバス停のところにある電話ボックスから掛けた電話で、私は彼女に「文ちゃんのお母さんっていい人やね。なんか悪いし、暫く電話せんし、そのかわり今度直接声掛けるし」などと彼女の気持ちを分かったつもりで私は申し向けたのです。しかし、その時の彼女の反応は硬いものですこぶる事務的でありました。(でも返事はしてくれていた)また、私に対し不信を抱き警戒しているようでありました。
  400. 20060819:[link] ②そして私は、その翌日に、めずらしく午前中か昼過ぎにかつらぎ農協を出発して、そして夕方後時頃北陸道の木之本インターと弦がインターの間にある刀根PAより会社に電話を掛け、一度要件を申して切ったのですが、その時彼女が何か話したそうであったので私は戸惑いながらすぐにもう一度かけ直し、彼女に、「やっぱり文ちゃんいい女やと思うなぁ....」などと言ったところ、彼女はすごくうれしそうに、「そんなことないよ。全然や」などと言ってくれたのですが、それで私は彼女がますます分からなくなり、「それだけ言っておくわ」などと言ってすぐに電話をほとんど一方的に切ってしまったのです。
  401. 20060819:[link] 私はこれまで、彼女に「文ちゃんのお母さんといい人やね。もう当分電話せんし、今度直接声掛ける」などと言った事があったのは、日野からの電話の日の件を内容にしたものとばかり考えてきたようであるが、現在思うに、それは大晦日の電話のことを指していたのかもしれないとも思えるのである。七尾から高岡にトラックで向かっていたことはそれ自体関東への運行の他はないのである。しかしながらどの運行の時であったか、これも特定できていないのである。私の記憶の感覚では新年はじめの時期に行った関東便といえば埼玉県の東松山に行った運行なのであるが、この時は東度の嘘による仕事のことで彼女と色々話しているのであって、同日のこととは考えられない。日報によればその一月の上旬に関東に運行に出たこと自体形跡がないのである。どんよりした曇り空の中で海の側の漁協の横のバスの停留所の横でもある電話ボックスから掛けた電話でこの時初めてお母さんのことを話したことは鮮明に記憶しており、それと同じぐらいに他の事柄も脳裏に刻まれているのである。
  402. 20060819:[link] しかしどのように考えてみても、16日の木曜日から21日の火曜日までの間に三度の会見があったということはあり得そうにないのである。16日の木曜日以前に初めての会見があったということもこれまで再三の指摘の通り存在を認めることは困難な現状に変わりはない。先に三度ではなく二度しかなかったと仮定を立ててみたが、中央市場で缶コーヒーを買ってから会見に臨んだ時は、あらかじめ予定の行動をとったと考えられるのに対し、鮮明に覚えている初めての時は、意外な感じで偶発的な状況を捉えているのである。もう一つ気になるのは、日野自動車の前からの電話で彼女にラーメンでも食べにゆこうと誘った日の夕方に、会社に電話を掛け彼女から今晩自宅に電話してくださいと返事をもらいながらお母さんが出ていないと言っていた事実である。これとは別にある日の午後七尾から関東に向かう途中に県境付近の漁協の間かから掛けた電話で彼女に「文ちゃんのお母さんといい人やね。もう当分電話せんし、今度直接声掛ける」などと言ったことである。論理的に考えると、彼女が自分から電話を掛けてといいながら出なかった直後のことと考えられるのであるが、日野から電話を掛けたのは14日の火曜日である可能性が抜群に高いのである。日野に行った用事は12日の池袋のデパートでのシートの破れ以外には考えにくいのである。しかし、これは一月の初め頃のことであったのかもしれないと私は現在考えている。しかし、ここでもネックとなるのは、池袋に向かった12日の日曜日の夜に彼女の自宅に電話を掛けている事実である。この時は直接彼女が出たはずである。彼女が電話に出たこと自体、十一月の終わりの伊吹SAからの電話以来だったので特に印象が強いのであるが、お母さんから彼女に電話をつないでもらったこと自体も初めて掛けた十月の新車が来た日だけで他はすべて彼女が出るか、お母さんか兄貴か父さんが出ていずれもいないと言っていたのである。
  403. 20060819:[link] ⑦そしてその日の午後、二階事務所で浜口さんと河野さんと竹沢が日産ディゼールのセールスマンと新車の発注のことで談合していたところ、私が「コーヒー飲んでもいいが?」と誰にともなく申し向けたのに対し、彼女が大きな声で「うん」と答え、その直後に私のいた台所に駆けつけ食器を洗い始めたところ、私がそこを出ると、ちょうど談合が自分の希望するように終えた浜口さんが私の体を押して彼女のいる台所の中に連れて行き、彼女に「お嬢...」何かを申し向けたのです。そこで私は緊張のあまりとっさに話題をあげようと「昨日追突された」旨を浜口さんに申し向けたのです。また、その日、そのあと浜口さんは関東方面に出発することを話しており、私は関西に向かうところであったように思うのであります。訂正 談合という言葉は不適切であると思われる。ここでの表現叙述は私自身が読んでも分かりずらく、内容がはっきりしない感がある。私が二階に入ったのは仕事先かどうかは分からないが外から戻ってすぐだったと思う。この日以来三月の上旬まで台所のコーヒーメーカーは姿を消したのであるが、それ以前にコーヒーを飲んだ記憶がはっきりしない。これが分かれば時期の特定に役立つのであるが少なくとも一番近接しているのは梅野と大倉がいた朝のことである。なお、現物の記載にしたがって番号を振るようにしているが内容自体とはあまり関係がない振り方である。一応ここでも番号を打っているがパソコンの機械自体⑳までしか丸数字がないのでそれを超える部分は違ったものを使っている。また、ここで私は浜口さんが関東、自分が関西に向かうところであったと思うのです、などといささか曖昧な表現をしているが、これはまず確実なことです。私は今気付いたのですが、この時浜口さんに昨夜の事故のことを話したのは確実なことで、これは他の書面でも再三記述していることですがその時彼は金になるとか金を取るべきであるようなことを言ったのです。刑務所にいた頃の記述ではこの日の特定が出来なかつたので重視していなかったのですが、先の趣意書にも記載したように事故の資料によってもその日が15日の夜と特定されているので、やはりこのコーヒーの件があったのは16日ということになります。そこで問題の日報を見たところ、16日の木曜日に私は水島倉庫に二回ミール移動をしたことになっているのです。さらにその翌日はこれも問題の大きい七尾から山梨に行き池袋から展示会の引き上げの仕事をした運行に出発したことになっているのです。私がなぜこの16日をコーヒーの件のあった日だと考えなかったかといいますと、その一番の原因はこの時期に文さんとの連続会見があったからです。会見の時の彼女はすごく恥ずかしそうにしていました。言い換えれば私と彼女の関係がもっとも穏やかだったのです。その穏やかさと、私が台所で彼女から逃げるような行動をとってしまったことはとても同時期の状況とは考えられなかつたのです。まだまだ検討の必要がありますが、その会見の時期自体にも特定が困難な問題が伏在しているのは趣意書に指摘してあるとおりです。特に初めて彼女に会社の横で声を掛けたときはいい感じの雰囲気だったのです。しかしながらあまりにそのことがうれしく印象的だったため私はその前後のことをほとんど覚えていないのです。その場のことだけ、彼女に声を掛けた瞬間の情景だけ鮮明に残っているのです。外はすっかり暗くなっていましたが遅い時間であったとか待ち時間が長かったという印象はないので遅くても五時半頃だったと考えられます。また、コーヒーの件の埋め合わせに彼女に声を掛けたという覚えもなく、唐突に声を掛ける気になってのでもなく、その場の状況で邪魔者がいなかった事などで偶然の機会を捉えたにすぎないのですが、私と彼女の関係自体は概ね良好で熟した感があったと思います。あるいはその時の彼女恥ずかしそうでありながらうれしそうな態度がそれまでの暗雲を一気に吹き消したのかもしれません。その彼女の反応は私の予想外の事でした。私の観念ではこの印象が前妻が訊ねてきた翌日に事務所で見た彼女の悲しそうな姿まで続いていたのです。それゆえ、この間に彼女本人が夕方の電話で今晩自宅に電話を掛けてくださいといいながら自宅に電話を掛けたところ出なかったことなど入り込む余地はないのです。また、その16日に関西に行ったこともまず間違いないと思うのですが、ここでも翌日の夕方に刀根PAからの電話で彼女に最高の女やと思うなどと言ったこともこの時期のこととしてはやはり考えられないのです。その前日の夕方には梅野のシャブ中発言がありこれが電話の内容の一番の動機になっていたことも再三述べているとおりなのです。数多くの問題がありますが考えれば考えるほど頭が痛くなる現状です。ここで一番の解決になりうるのは、会見が三度であったというのは私の思い違いで実際は二度しかなかったということかもしれません。先の一度の時は、彼女が美容院に行くと言って帰ったことでこの時は私が二本の缶コーヒーを彼女に手渡しています。特にコーヒーメーカーの件のことを意識していた訳ではなくその可能性もないと思います。そして最後の時が、前妻から連絡があった翌日の夕方でこの時はほとんど喧嘩のような状態になっているのであり、この事実は水口なども目撃しており客観的にも裏打ちされたことなのです。最初に声を掛けたとき、缶コーヒーを用意していた覚えは全くなく、その缶コーヒーはその少し前に中央市場の中で買った物なのです。その中央市場に行ったのも会社に電話を掛け彼女に話すのが目的だったような気もするぐらいなのです。しかし実際に電話で彼女と話してから声を掛けたという覚えもないので断定することは出来ません。今や私の望みのようにさえなりますがこれが二度であればその他の事実も整合性をもって論証できるのです。最後の時以外は彼女の申し出により実に短い時間で、具体的話などほとんどなかったのです。はっきりしていることはいずれの時も駐車中の私のトラックに乗ってもらいその中で話したと言うことです。なお、これは初めての記述になるかもしれませんが、缶コーヒーをあげたとき、私はトラックの助手席の方からドアを開け、そこから車の中に入って帰りがけの彼女に外で渡したのです。さて、裏駐車場での会見は二度であったのかそれとも三度であったのかこれは謎を解く大きな鍵となる問題です。しかし安易には断定できないのでさらに検討してゆきたいと思います。
  404. 20060818:[link] また、この時多田は、私が文さんとうまくいったら彼女を紹介してくれるように頼んでやると言うとすごく喜んでおりました。(28日午後)
  405. 20060818:[link] そして、私が彼女の反応を安田に訊ねると「どうしたん、文ちゃん、真っ赤っかの顔して」などと池田にからかわれていたとだけ言い。そのあと安田は、自分が当日の昼に土浦市内でトラックを接触させたことなど余裕たっぷりに機嫌よく話題を変えて話し始めたのです。
  406. 20060818:[link]  安田の話によると、「お前のいいた通り、二階に上がって池田さんに、これ秀樹がどうしても文ちゃんにもらってくれと」などと、彼女の面前において池田にプレゼントを渡したところ、池田は「はい、文ちゃん、広野さんから」と言って彼女に渡したそうです。
  407. 20060818:[link]  「やっぱりダメやったか。ダメやと思っとったわい。お前が呼んどるってあの子に言った時、すごい嫌な顔しとったわい。あの子前縫い物してくれって頼んだ時、ちょうどあの子忙しかったらしくって顔曲げて(のような意味の方言)嫌な顔で合図しておったわい。その時と同じような感じやったし、あぁ、こりゃダメやなってすぐ思ったわい。そしてあの子なかなかお前や呼んどるってゆうたら返事せんかったわい。まあせっかくやし、行くだけ入ってやればってゆうてやってんけどな」などと感情たっぷりにうれしそうに安田は申しておりました。私は安田に前日の夕方に拾ってきたプレゼントを差し出し、24日に出社したときに彼女に渡してくれるように頼みました。最初、安田は渋ると思ったので私はもはや他には方法がないと諦め、「事務所で誰がおってもかまわんし池田さんに渡して彼女に渡してくれるよう頼んでくれ」などと私は池田の顔を立て且つもっとも簡単な手段を安田に頼んだのですが、あとになるとそれはやはり軽率であってまたしても彼女を傷つけることになりかねないと思い直し、安田のご機嫌をとってそのあとで前言撤回の上、彼女を人目の付かぬように呼んだ上で、「文ちゃんのこといい加減な女やと思っとらんし、頼むしもらうだけもらってくれ」と頼み、それでもダメなら無理強いしないでくれと安田に頼んだのですが、安田はあまり真剣には聞かず、それでも返事だけはしっかりと何回もしていたので私は承知してくれたものとばかり思い、肩の荷がようやく下りた気持ちになっていたのです。
  408. 20060818:[link]  その日私は未明に前日山三青果から積んできた荷物を降ろし、あがりのつもりで午前十一時頃に出社して二階に上がったのです。そのところ私の予期に反して彼女の隣の隣の席に座った東度は私に七尾から関東に走るように指示を出しました。その東度の言葉を聞いた瞬間文さんが、がつくりと首をうなだれるのがはっきりと見て取れました。それは12月21日の私が24日東京に行くことに決まっていると言った時、そしてそのあと藤江陸橋下にて私がプレゼントを車外に投げた時と全く同じような反応であり、それは裏駐車場を彷徨彼女の姿とともに当時の彼女の苦悩をあらわす特徴であります。
  409. 20060818:[link] ⑨これは初めての記述です。その日私はあがりであったところ、夕方六時頃になって浜口さんと浜上さんが、浜口さんのトラック(いすゞの1414か1413のどちらか)でかつらぎの近く(かつらぎ農協ではなくその近くの農協で、私は行ったことはない。他の人達は時々行っていたようである。)よりミカンを18トンほど積んで、七尾に卸しに行く途中に会社に立ち寄り、私は浜口さんに誘われて七尾に同行したのです。金沢に戻ってから、たしか松村町のエバラの近くの北海ラーメンで、ラーメンをおごってもらったことを覚えております。七尾には浜口さんと浜上さんと三人で行ったのですが、その時彼は、私と文さんとの関係を話題にすることも触れることも一切全くなかったと覚えております。時期ははっきり覚えていないのですが、これも十二月の中頃だったように思います。もしかすると多田に未明に告白した当日だったかもしれません。(この当時は忙しく、あがりの日は他の月よりも少なかったように思います。)
  410. 20060818:[link] ②これは初めての記述です。その日午後四時頃、私が二階に入ったところで次のような会話が聞かれました。「あの焼きそば、あの子(文さんのこと)お湯入れて作っておいてくれたよ.....やさしいやろ。こんな子お嫁さんにもらわんなん....」。察するところこれは、二階どころにおいて、市内配達の社員であった阪本(または坂本、当時二十一歳で、額あたりに家があるらしい。8月頃「北食」より移転(成瀬と一緒)してきた者)が、カップ焼きそばを食べようとお湯を沸かしていたところ、彼女(文さん)が、それをお湯を入れてソースなどを入れ食べられる状態にしたようでした。そしてそのことを池田が明るい調子で、私がケーキを彼女のために買ってきたと言ったときと同じような感じで阪本に申し向けたのです。その時私は、彼女の彼氏とは阪本ではないかと、いささかの疑いを持ったのです。それと池田の言葉は、社交辞令のようなものでそれは私においても同質のものであったと思ったのです。そしてそれは、安田敏の意見を肯定するものでもありました。いずれにせよ、今思うに、池田が彼女に私の真意を見せてやるとか称して、私に揺さぶりを掛けたものと思われます(時期ははっきりしない)。
  411. 20060818:[link]  そして二階に上がったところで松平と誰か二三人、私と入れ違いのように外出して行きました。そこで私は二階内で池田と二人切りになり、池田に勧められるままにケーキと缶コーヒー(ジョージァ)をいただいたのです。そして暫く雑談をしていたところに、いつもその時間帯市場輸送に行っていていないはずの彼女が戻ってきて、それを見るや池田は「このケーキ、広野さんが文ちゃんのために買ってきてくれてんよ」(池田)、のように彼女に申し向けたのです。
  412. 20060818:[link]  また、前妻に絶縁を宣告した直後の電話で文さんにもはっきり断りを告げたがこの時だけは真剣な気持ちでその旨を話した。それ以前の電話でもほとんどの場合最後の方であきらめると告げていた。
  413. 20060818:[link]  また、この電話(文さん)の前の、数日前の電話では、二時間以上に及び私は彼女と会話していたような覚えがあり、一方、前妻からの電話も、最終的には十一月十日頃にかかってきた時、私が腹を立てて(先方が喧嘩腰であったので)それを一方的に切ってしまったのですが、それが年内最後の前妻からの電話だったように思い、また、その当日にも私は文さんと電話で話をし、この時は短い話で、ほとんど一方的にあきらめるからもうこれで電話は掛けないと申し向けて、彼女の返事を得ないまま切っているのです。そしてこの次に、私が彼女に電話を掛けたのが、およそ半月後の十一月二十五日なのです。
  414. 20060818:[link] ②その日夜の八時頃、突如前妻より電話が掛かりました。当日その時点で、私は文さんに電話を掛けるか、かかってくるのを待っていたこともあり、前妻の態度が復縁を求めるようになってきていたこともあり、私は前妻に対し冷たく対応したのです、そしてそのあとの文さんの電話でも、私は彼女に、交際はあきらめているから気にしないで、構わないで欲しい旨を伝えたように思います。
  415. 20060818:[link] また、その神戸にゆく前日か前々日に、前妻より自宅に電話があり、その時私は、文さんとの事はダメになったとばかり思いこんでいたこともあり、暫く前妻と会話を交わしたもので、その時前妻は、神戸の湊川公園の近くに住んで、その近くの市場で働いているようなことを話しておりました。
  416. 20060818:[link] ★水曜日の休市日すなわち17日か24日あるいは30日のことであるが、当日私は、前日に石川丸果 倉庫で積んだ大阪府高槻市全農に向けの馬鈴薯を出発するところ、早めに午前中に出社してトラック(3068号)にフイルムを貼ろうとしたところ、途中二階に上がって誰にともなくマジックを貸してくれるよう申し向けたところ、彼女は真っ先に「はい」と言って、マジックを差し出したが、それは水性のようであったので私は受け付けなかった。その時彼女は、泣きそうな顔をしていた。ちなみにそのマジックとは、十月の初め頃(これは初記述)、私が彼女にマジックを借りたところ色が出なくなってしまったため、私が新品を購入して彼女に渡した。十色入り700円ぐらいのものであった。また、二階で私がそれを彼女に渡そうとしたとき、彼女は、私が壊したマジックは会社の物でであって私物ではないと言って受け取りをためらっていたのであるが、それを見た池田が、明るく諭すように、「広野さんの文ちゃんにあげるプレゼントや、もらっておきなさい文ちゃん」と、助言したもので、彼女が受け取ってくれたマジックである。また、私は、それが水性であるか否かは知らなかった。ただ、彼女の交際を断りながら気を引く姿に反感を覚えたからそれに応じなかったものである。
  417. 20060818:[link] それから私は、会社に戻って二階に上がったところ、彼女と二人いつものように机に座っていた池田が、私に「広野さんお払い行くの、私たち二人一緒に連れていって....私大きいトラックって、まだ乗ったことないげん。一回乗ってみたいと思とってん。ねえ、文ちゃん」、のように声をかけたのです。私は、彼女の「ほんなん、池田さん乗ったことないが、私運転してみたいぞいね」、のような明るい社交的な言葉に、彼女は誰か他の運転手にトラックに乗せてもらったり、親しくしていたことがあるとばかり思い、そして、彼女はそのような水商売の女のような軽い性格があると思って、これもかなりの失望を受けたのです。そして、私は、返事もせずに仕事のことだったかに話題を変えたように思います。
  418. 20060818:[link] なぜなら、十一月の給料はすべて文さんが北国銀行に持っていってくれたからで、12月の給料は、12月20日をかなりすぎてから年末近くになってもらったからです。なのになぜ私が勘違いをしたのか、と言いますと、それは佐藤と一緒に銀行に行ったとき、私は北国銀行の面前に軽四を停めたからであったと思います。つまり十月のその時点では、私が入ったのは金沢信用金庫だったはずなのです。しかし、その記憶は今も私にはありません。
  419. 20060818:[link] 8時を7,8分ほどまわって電話が掛かりました。「もしもし安藤です」、彼女の声はすこぶる明るいものでした。それがかえって、安田の言う、彼女の余裕のあしらいと同僚としての気遣いとして感じられたのです。私は本当に金がなかったので、冗談にも一緒に連れていってくれとはいえませんでした。飲みにはあまり行かない、好きではないようなことをはっきりと言ったように思います。私は、ゆっくり話したかったのに、なぜ彼女は時間を短く限定して宣告したのか、配慮に乏しいのではないかと正直言って不快に思いました。それでなおさら腹をくくってズバリ言ったのです。「友達って、女の人け?」、「文ちゃん、彼氏おるが?」。
  420. 20060818:[link] 私が一階控え室にいたところ、山下つよしだったか、誰かが、発泡スチロールの魚箱を、二階の階段の出入り口の所において、数人の人がそこに集まってきたのです。なにかと思い私も見にゆきました。すると松平が、誰かに、二階に行って池田さんらを呼んでくるように言ったのです。この件で、私は初めて彼女の名前が「安藤」であることを知ったのでありますが、これは今考えてみると、どうも松平が意図して私に名前を教えたように思えてなりません。なぜなら、それまで松平は、ずっと、池田と同じように「文ちゃん」と呼んでいたのです。
  421. 20060818:[link] 二階事務所で、池田が文さんに、彼氏のことを話しかけ、彼女は、高校のとき以来いないと答えたことを、八月中のこととして付け加えておきます。11/9
  422. 20060815:[link]  私が期待していた収穫はなかったのですが、「殺してやろうと思っていた」もしくは「手足をへし折ってやろうと思っていた」と過去形での言い回しを使い、心境の変化を垣間見せたことでした。私も当時は、安藤文さんに会いたい一心で、焦りすぎていました。
  423. 20060728:[link]  そもそも私は好きで始めたトラック運転手でしたが、身体的な条件で向いていないことはよく分かっていたのです。つまり私は当時すでに、裸眼で視力が0.07ほどしかなかったのです。その目に対する負担も大きく感じるようになり、運転手をやめようと考えていた頃に、安藤文さんとの関係が始まりました。
  424. 20060728:[link]  平成4年の4月1日に逮捕されて以来、その年の秋頃から私は独自に法律の勉強を始めました。安藤文さんの意識が回復したことで、大きく気を取り直すことが出来、前向きに出来ること、やるべき事を考えるようになり、すぐに法律の勉強を始めました。
  425. 20051218:[link]  父親の姿は、公判の法廷にもありましたが、判決の日はいませんでした。文さんの裁判の時も同様で、判決の法廷に姿はありませんでした。
  426. 20051218:[link]  事件を起こす前日、8月7日(土曜日)の夜、私は初めて、安藤さんの家の前に立ち、文さんらしき人の姿も少しだけ見ることがありました。そこで警察を呼ばれ、金沢中警察署で一悶着を起こしたのです。およそ一週間後に、その金沢中警察署の留置場に入るとは、夢想だにしていませんでした。
  427. 20051218:[link]  もっと過去になりますが、流れをさかのぼると、私は文さんの事件で平成4年4月1日に金沢西警察署に出頭逮捕され、平成9年1月18日に福井刑務所を出ました。
  428. 20051215:[link] また、この時多田は、私が文さんとうまくいったら彼女を紹介してくれるように頼んでやると言うとすごく喜んでおりました。(28日午後)
  429. 20051215:[link] そして、私が彼女の反応を安田に訊ねると「どうしたん、文ちゃん、真っ赤っかの顔して」などと池田にからかわれていたとだけ言い。そのあと安田は、自分が当日の昼に土浦市内でトラックを接触させたことなど余裕たっぷりに機嫌よく話題を変えて話し始めたのです。
  430. 20051215:[link]  安田の話によると、「お前のいいた通り、二階に上がって池田さんに、これ秀樹がどうしても文ちゃんにもらってくれと」などと、彼女の面前において池田にプレゼントを渡したところ、池田は「はい、文ちゃん、広野さんから」と言って彼女に渡したそうです。
  431. 20051215:[link]  「やっぱりダメやったか。ダメやと思っとったわい。お前が呼んどるってあの子に言った時、すごい嫌な顔しとったわい。あの子前縫い物してくれって頼んだ時、ちょうどあの子忙しかったらしくって顔曲げて(のような意味の方言)嫌な顔で合図しておったわい。その時と同じような感じやったし、あぁ、こりゃダメやなってすぐ思ったわい。そしてあの子なかなかお前や呼んどるってゆうたら返事せんかったわい。まあせっかくやし、行くだけ入ってやればってゆうてやってんけどな」などと感情たっぷりにうれしそうに安田は申しておりました。私は安田に前日の夕方に拾ってきたプレゼントを差し出し、24日に出社したときに彼女に渡してくれるように頼みました。最初、安田は渋ると思ったので私はもはや他には方法がないと諦め、「事務所で誰がおってもかまわんし池田さんに渡して彼女に渡してくれるよう頼んでくれ」などと私は池田の顔を立て且つもっとも簡単な手段を安田に頼んだのですが、あとになるとそれはやはり軽率であってまたしても彼女を傷つけることになりかねないと思い直し、安田のご機嫌をとってそのあとで前言撤回の上、彼女を人目の付かぬように呼んだ上で、「文ちゃんのこといい加減な女やと思っとらんし、頼むしもらうだけもらってくれ」と頼み、それでもダメなら無理強いしないでくれと安田に頼んだのですが、安田はあまり真剣には聞かず、それでも返事だけはしっかりと何回もしていたので私は承知してくれたものとばかり思い、肩の荷がようやく下りた気持ちになっていたのです。
  432. 20051215:[link]  その日私は未明に前日山三青果から積んできた荷物を降ろし、あがりのつもりで午前十一時頃に出社して二階に上がったのです。そのところ私の予期に反して彼女の隣の隣の席に座った東度は私に七尾から関東に走るように指示を出しました。その東度の言葉を聞いた瞬間文さんが、がつくりと首をうなだれるのがはっきりと見て取れました。それは12月21日の私が24日東京に行くことに決まっていると言った時、そしてそのあと藤江陸橋下にて私がプレゼントを車外に投げた時と全く同じような反応であり、それは裏駐車場を彷徨彼女の姿とともに当時の彼女の苦悩をあらわす特徴であります。
  433. 20051215:[link] ⑨これは初めての記述です。その日私はあがりであったところ、夕方六時頃になって浜口さんと浜上さんが、浜口さんのトラック(いすゞの1414か1413のどちらか)でかつらぎの近く(かつらぎ農協ではなくその近くの農協で、私は行ったことはない。他の人達は時々行っていたようである。)よりミカンを18トンほど積んで、七尾に卸しに行く途中に会社に立ち寄り、私は浜口さんに誘われて七尾に同行したのです。金沢に戻ってから、たしか松村町のエバラの近くの北海ラーメンで、ラーメンをおごってもらったことを覚えております。七尾には浜口さんと浜上さんと三人で行ったのですが、その時彼は、私と文さんとの関係を話題にすることも触れることも一切全くなかったと覚えております。時期ははっきり覚えていないのですが、これも十二月の中頃だったように思います。もしかすると多田に未明に告白した当日だったかもしれません。(この当時は忙しく、あがりの日は他の月よりも少なかったように思います。)
  434. 20051215:[link] ②これは初めての記述です。その日午後四時頃、私が二階に入ったところで次のような会話が聞かれました。「あの焼きそば、あの子(文さんのこと)お湯入れて作っておいてくれたよ.....やさしいやろ。こんな子お嫁さんにもらわんなん....」。察するところこれは、二階どころにおいて、市内配達の社員であった阪本(または坂本、当時二十一歳で、額あたりに家があるらしい。8月頃「北食」より移転(成瀬と一緒)してきた者)が、カップ焼きそばを食べようとお湯を沸かしていたところ、彼女(文さん)が、それをお湯を入れてソースなどを入れ食べられる状態にしたようでした。そしてそのことを池田が明るい調子で、私がケーキを彼女のために買ってきたと言ったときと同じような感じで阪本に申し向けたのです。その時私は、彼女の彼氏とは阪本ではないかと、いささかの疑いを持ったのです。それと池田の言葉は、社交辞令のようなものでそれは私においても同質のものであったと思ったのです。そしてそれは、安田敏の意見を肯定するものでもありました。いずれにせよ、今思うに、池田が彼女に私の真意を見せてやるとか称して、私に揺さぶりを掛けたものと思われます(時期ははっきりしない)。
  435. 20051215:[link]  そして二階に上がったところで松平と誰か二三人、私と入れ違いのように外出して行きました。そこで私は二階内で池田と二人切りになり、池田に勧められるままにケーキと缶コーヒー(ジョージァ)をいただいたのです。そして暫く雑談をしていたところに、いつもその時間帯市場輸送に行っていていないはずの彼女が戻ってきて、それを見るや池田は「このケーキ、広野さんが文ちゃんのために買ってきてくれてんよ」(池田)、のように彼女に申し向けたのです。
  436. 20051215:[link]  また、前妻に絶縁を宣告した直後の電話で文さんにもはっきり断りを告げたがこの時だけは真剣な気持ちでその旨を話した。それ以前の電話でもほとんどの場合最後の方であきらめると告げていた。
  437. 20051215:[link]  また、この電話(文さん)の前の、数日前の電話では、二時間以上に及び私は彼女と会話していたような覚えがあり、一方、前妻からの電話も、最終的には十一月十日頃にかかってきた時、私が腹を立てて(先方が喧嘩腰であったので)それを一方的に切ってしまったのですが、それが年内最後の前妻からの電話だったように思い、また、その当日にも私は文さんと電話で話をし、この時は短い話で、ほとんど一方的にあきらめるからもうこれで電話は掛けないと申し向けて、彼女の返事を得ないまま切っているのです。そしてこの次に、私が彼女に電話を掛けたのが、およそ半月後の十一月二十五日なのです。
  438. 20051215:[link] ②その日夜の八時頃、突如前妻より電話が掛かりました。当日その時点で、私は文さんに電話を掛けるか、かかってくるのを待っていたこともあり、前妻の態度が復縁を求めるようになってきていたこともあり、私は前妻に対し冷たく対応したのです、そしてそのあとの文さんの電話でも、私は彼女に、交際はあきらめているから気にしないで、構わないで欲しい旨を伝えたように思います。
  439. 20051215:[link] また、その神戸にゆく前日か前々日に、前妻より自宅に電話があり、その時私は、文さんとの事はダメになったとばかり思いこんでいたこともあり、暫く前妻と会話を交わしたもので、その時前妻は、神戸の湊川公園の近くに住んで、その近くの市場で働いているようなことを話しておりました。
  440. 20051215:[link] ★水曜日の休市日すなわち17日か24日あるいは30日のことであるが、当日私は、前日に石川丸果 倉庫で積んだ大阪府高槻市全農に向けの馬鈴薯を出発するところ、早めに午前中に出社してトラック(3068号)にフイルムを貼ろうとしたところ、途中二階に上がって誰にともなくマジックを貸してくれるよう申し向けたところ、彼女は真っ先に「はい」と言って、マジックを差し出したが、それは水性のようであったので私は受け付けなかった。その時彼女は、泣きそうな顔をしていた。ちなみにそのマジックとは、十月の初め頃(これは初記述)、私が彼女にマジックを借りたところ色が出なくなってしまったため、私が新品を購入して彼女に渡した。十色入り700円ぐらいのものであった。また、二階で私がそれを彼女に渡そうとしたとき、彼女は、私が壊したマジックは会社の物でであって私物ではないと言って受け取りをためらっていたのであるが、それを見た池田が、明るく諭すように、「広野さんの文ちゃんにあげるプレゼントや、もらっておきなさい文ちゃん」と、助言したもので、彼女が受け取ってくれたマジックである。また、私は、それが水性であるか否かは知らなかった。ただ、彼女の交際を断りながら気を引く姿に反感を覚えたからそれに応じなかったものである。
  441. 20051215:[link] それから私は、会社に戻って二階に上がったところ、彼女と二人いつものように机に座っていた池田が、私に「広野さんお払い行くの、私たち二人一緒に連れていって....私大きいトラックって、まだ乗ったことないげん。一回乗ってみたいと思とってん。ねえ、文ちゃん」、のように声をかけたのです。私は、彼女の「ほんなん、池田さん乗ったことないが、私運転してみたいぞいね」、のような明るい社交的な言葉に、彼女は誰か他の運転手にトラックに乗せてもらったり、親しくしていたことがあるとばかり思い、そして、彼女はそのような水商売の女のような軽い性格があると思って、これもかなりの失望を受けたのです。そして、私は、返事もせずに仕事のことだったかに話題を変えたように思います。
  442. 20051215:[link] なぜなら、十一月の給料はすべて文さんが北国銀行に持っていってくれたからで、12月の給料は、12月20日をかなりすぎてから年末近くになってもらったからです。なのになぜ私が勘違いをしたのか、と言いますと、それは佐藤と一緒に銀行に行ったとき、私は北国銀行の面前に軽四を停めたからであったと思います。つまり十月のその時点では、私が入ったのは金沢信用金庫だったはずなのです。しかし、その記憶は今も私にはありません。
  443. 20051215:[link] 8時を7,8分ほどまわって電話が掛かりました。「もしもし安藤です」、彼女の声はすこぶる明るいものでした。それがかえって、安田の言う、彼女の余裕のあしらいと同僚としての気遣いとして感じられたのです。私は本当に金がなかったので、冗談にも一緒に連れていってくれとはいえませんでした。飲みにはあまり行かない、好きではないようなことをはっきりと言ったように思います。私は、ゆっくり話したかったのに、なぜ彼女は時間を短く限定して宣告したのか、配慮に乏しいのではないかと正直言って不快に思いました。それでなおさら腹をくくってズバリ言ったのです。「友達って、女の人け?」、「文ちゃん、彼氏おるが?」。
  444. 20051215:[link] 私が一階控え室にいたところ、山下つよしだったか、誰かが、発泡スチロールの魚箱を、二階の階段の出入り口の所において、数人の人がそこに集まってきたのです。なにかと思い私も見にゆきました。すると松平が、誰かに、二階に行って池田さんらを呼んでくるように言ったのです。この件で、私は初めて彼女の名前が「安藤」であることを知ったのでありますが、これは今考えてみると、どうも松平が意図して私に名前を教えたように思えてなりません。なぜなら、それまで松平は、ずっと、池田と同じように「文ちゃん」と呼んでいたのです。
  445. 20051215:[link] 二階事務所で、池田が文さんに、彼氏のことを話しかけ、彼女は、高校のとき以来いないと答えたことを、八月中のこととして付け加えておきます。11/9
  446. 20051206:[link]  今の市場急配センターの事務所が出来たのは平成元年の春だったと思います。ちょうど同じ頃に、文さんが入社したはずですが、朝から一日中、事務所で姿を見るようなことはなく、すでに市場急配センターの事務所が移転したあとであったと考えられます。

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