ああ33

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告発状作成中

2021年3月31日水曜日

「裏駐車場」を過去のはてなダイアリーの記事から検索

  1. 20070617:[link]  実際のところ、私が彼女に交際を求めるような発言をしたのは、平成3年の11月25日が最後だったはずです。その直後から、自宅での電話にでなくなり、会社の裏駐車場に自分の軽四を停めるようになったのです。このあたりも思っていたより、詳しく記載されていました。
  2. 20070326:[link]  前に書いてあると思いますが、裏駐車場でようやく直接安藤文さんに声を掛け、交際の気持ちがあるという手応えもしっかり確認出来つつあった時期でした。それに9月以来の成り行きから、安藤文さんに自分との交際の意志があるのであれば、彼女が言う「好きな人」も自分のことに相違ないという、推論も成り立ったのです。
  3. 20070326:[link]  いずれも1月に入ってしばらくしてからのことで、1回のことは数年前に整理した書面でもはっきり特定することが出来なかったはずです。いずれも裏駐車場に駐車したトラックの中で、いわば待ち伏せをするかたちで、通りかかる彼女に声を掛け、トラックの助手席に乗ってもらい、少し話しをしたのですが、彼女ははにかみ加減でうつむきがちに、「今度」と言っていました。
  4. 20070326:[link]  といっても、1月21日の時は、それほど強い警戒心ではなく、とにかく当日は会うことを避けたいという気持ちだけが強く伝わっていました。けっこう長い時間、二階事務所の台所の前で、髪をといでいる姿が、裏駐車場のトラックの中で待っている私の目に映っていました。
  5. 20070305:[link]  また、直前に、人気のない市場急配センターの裏駐車場を乗用車で通過しながら、その場にいた東渡や浜上さんが、まったく不審な素振りも見せず、無言のまま車の通過を目で追うこともしなかったのは、安田繁克が私に接触を図る事情を熟知していたものとしか考えられないことで、連帯的な共謀関係の繋がりが認められるところです。
  6. 20070305:[link]  他に印象に残っているのは、平成3年12月13日の夕方、裏駐車場の彼女の軽四のとなりに自分の軽四を停め、彼女に声を掛けようと待っていたとき、梅野博之が横を通り過ぎて、事務所に向かって歩いていったときのことです。
  7. 20070305:[link]  ただ、平成4年の2月の初め頃、安藤文さんが会社の裏駐車場での駐車をやめた直後から、会社での電話の応対に積極的に出るようになり、同じく3月の10日頃に事務所の机の配置が変更されると、出入り口正面の机に座り、お目付役のような役割をしていました。
  8. 20070305:[link]  その裏駐車場での駐車が始まったのは11月の終わり頃でしたが、まず初めには彼女だけでなく横に並んで同じ事務員の被告訴人池田宏美の車も、駐車場の一番奥に停められていました。
  9. 20061022:[link]  そのあとも色々あったのですが、1月21日以降は小康状態で、次第に距離を置くようになっていました。それまでは1月に入ってからでも3回は裏駐車場で声を掛けたり、トラックの中で話しをしていたことになります。
  10. 20061002:[link]  その後、廣野は安藤文を同乗させた自己所有の軽四自動車車内で、以前、会社の裏駐車場に駐車し続けていた理由を詰問した。
  11. 20060819:[link] 池袋から戻った一月十四日から一月二十一日の間に、私は三回裏駐車場で彼女をトラックに乗せているのです。(三回目は21日で、これははっきりしている。)
  12. 20060819:[link] ⑦そしてその日の午後、二階事務所で浜口さんと河野さんと竹沢が日産ディゼールのセールスマンと新車の発注のことで談合していたところ、私が「コーヒー飲んでもいいが?」と誰にともなく申し向けたのに対し、彼女が大きな声で「うん」と答え、その直後に私のいた台所に駆けつけ食器を洗い始めたところ、私がそこを出ると、ちょうど談合が自分の希望するように終えた浜口さんが私の体を押して彼女のいる台所の中に連れて行き、彼女に「お嬢...」何かを申し向けたのです。そこで私は緊張のあまりとっさに話題をあげようと「昨日追突された」旨を浜口さんに申し向けたのです。また、その日、そのあと浜口さんは関東方面に出発することを話しており、私は関西に向かうところであったように思うのであります。訂正 談合という言葉は不適切であると思われる。ここでの表現叙述は私自身が読んでも分かりずらく、内容がはっきりしない感がある。私が二階に入ったのは仕事先かどうかは分からないが外から戻ってすぐだったと思う。この日以来三月の上旬まで台所のコーヒーメーカーは姿を消したのであるが、それ以前にコーヒーを飲んだ記憶がはっきりしない。これが分かれば時期の特定に役立つのであるが少なくとも一番近接しているのは梅野と大倉がいた朝のことである。なお、現物の記載にしたがって番号を振るようにしているが内容自体とはあまり関係がない振り方である。一応ここでも番号を打っているがパソコンの機械自体⑳までしか丸数字がないのでそれを超える部分は違ったものを使っている。また、ここで私は浜口さんが関東、自分が関西に向かうところであったと思うのです、などといささか曖昧な表現をしているが、これはまず確実なことです。私は今気付いたのですが、この時浜口さんに昨夜の事故のことを話したのは確実なことで、これは他の書面でも再三記述していることですがその時彼は金になるとか金を取るべきであるようなことを言ったのです。刑務所にいた頃の記述ではこの日の特定が出来なかつたので重視していなかったのですが、先の趣意書にも記載したように事故の資料によってもその日が15日の夜と特定されているので、やはりこのコーヒーの件があったのは16日ということになります。そこで問題の日報を見たところ、16日の木曜日に私は水島倉庫に二回ミール移動をしたことになっているのです。さらにその翌日はこれも問題の大きい七尾から山梨に行き池袋から展示会の引き上げの仕事をした運行に出発したことになっているのです。私がなぜこの16日をコーヒーの件のあった日だと考えなかったかといいますと、その一番の原因はこの時期に文さんとの連続会見があったからです。会見の時の彼女はすごく恥ずかしそうにしていました。言い換えれば私と彼女の関係がもっとも穏やかだったのです。その穏やかさと、私が台所で彼女から逃げるような行動をとってしまったことはとても同時期の状況とは考えられなかつたのです。まだまだ検討の必要がありますが、その会見の時期自体にも特定が困難な問題が伏在しているのは趣意書に指摘してあるとおりです。特に初めて彼女に会社の横で声を掛けたときはいい感じの雰囲気だったのです。しかしながらあまりにそのことがうれしく印象的だったため私はその前後のことをほとんど覚えていないのです。その場のことだけ、彼女に声を掛けた瞬間の情景だけ鮮明に残っているのです。外はすっかり暗くなっていましたが遅い時間であったとか待ち時間が長かったという印象はないので遅くても五時半頃だったと考えられます。また、コーヒーの件の埋め合わせに彼女に声を掛けたという覚えもなく、唐突に声を掛ける気になってのでもなく、その場の状況で邪魔者がいなかった事などで偶然の機会を捉えたにすぎないのですが、私と彼女の関係自体は概ね良好で熟した感があったと思います。あるいはその時の彼女恥ずかしそうでありながらうれしそうな態度がそれまでの暗雲を一気に吹き消したのかもしれません。その彼女の反応は私の予想外の事でした。私の観念ではこの印象が前妻が訊ねてきた翌日に事務所で見た彼女の悲しそうな姿まで続いていたのです。それゆえ、この間に彼女本人が夕方の電話で今晩自宅に電話を掛けてくださいといいながら自宅に電話を掛けたところ出なかったことなど入り込む余地はないのです。また、その16日に関西に行ったこともまず間違いないと思うのですが、ここでも翌日の夕方に刀根PAからの電話で彼女に最高の女やと思うなどと言ったこともこの時期のこととしてはやはり考えられないのです。その前日の夕方には梅野のシャブ中発言がありこれが電話の内容の一番の動機になっていたことも再三述べているとおりなのです。数多くの問題がありますが考えれば考えるほど頭が痛くなる現状です。ここで一番の解決になりうるのは、会見が三度であったというのは私の思い違いで実際は二度しかなかったということかもしれません。先の一度の時は、彼女が美容院に行くと言って帰ったことでこの時は私が二本の缶コーヒーを彼女に手渡しています。特にコーヒーメーカーの件のことを意識していた訳ではなくその可能性もないと思います。そして最後の時が、前妻から連絡があった翌日の夕方でこの時はほとんど喧嘩のような状態になっているのであり、この事実は水口なども目撃しており客観的にも裏打ちされたことなのです。最初に声を掛けたとき、缶コーヒーを用意していた覚えは全くなく、その缶コーヒーはその少し前に中央市場の中で買った物なのです。その中央市場に行ったのも会社に電話を掛け彼女に話すのが目的だったような気もするぐらいなのです。しかし実際に電話で彼女と話してから声を掛けたという覚えもないので断定することは出来ません。今や私の望みのようにさえなりますがこれが二度であればその他の事実も整合性をもって論証できるのです。最後の時以外は彼女の申し出により実に短い時間で、具体的話などほとんどなかったのです。はっきりしていることはいずれの時も駐車中の私のトラックに乗ってもらいその中で話したと言うことです。なお、これは初めての記述になるかもしれませんが、缶コーヒーをあげたとき、私はトラックの助手席の方からドアを開け、そこから車の中に入って帰りがけの彼女に外で渡したのです。さて、裏駐車場での会見は二度であったのかそれとも三度であったのかこれは謎を解く大きな鍵となる問題です。しかし安易には断定できないのでさらに検討してゆきたいと思います。
  13. 20060819:[link] 私は事故の翌日に出社したところ、二階にて梅野、大倉などと一緒になり、大雨の中彼女が裏駐車場にわざわざ車(6601号)を停めて来たことがはっきりしており、そのあと彼女にコーヒーを入れてもらうのに梅野がかなり気を遣って見せた。
  14. 20060818:[link] 第3項 午後三時頃、私は二階で松平から給料の一部と20万円の入ったボーナスをもらったのです。そして、28日の土曜日だったと思うのですが安田と一緒に行き服を買いズボンの寸法合わせを頼んだ紳士服モリワンにそのズボンを取りに行ったように思います(安田と一緒に行った時、強風で車のドアが曲がってしまった。また、その何時間か前には裏駐車場でトラック(3068号)より降りた瞬間に21日松平にもらった帽子を強風で飛ばしなくしてしまった。)
  15. 20060818:[link] その日私は、午前十一時頃に出社しました。そして事務所横の洗車機の横で軽四を停めて、自宅を出発したときから気になっていたオイルの油圧メーターの変調により、車外に出てオイルパンのオイル漏れがないかどうか車の下を覗いていたのです。右の状況と前後して私が進入してきた会社正面とは逆に裏駐車場の奥の方から彼女が自分の軽四に乗って進入してきたのですが、ちょうど駐車場が一杯だったこともあり彼女はUターンして中央市場横の道路に出て会社正面の方に走っていきました。 
  16. 20060818:[link] それからそのまま会社に向かい、会社に着いたのは午前十一時一五分か二十分頃だったと思います。ちょうど裏駐車場に安田がいたので、私はプレゼントを買ってきた事情を話し、安田に彼女を呼んできてくれるように頼み、そして会社内には全く入らずに裏駐車場の真ん中の奥の方に駐車したトラックの中で(3068号)、安田の呼びかけにより彼女が来るのを待ったのです。間もなく彼女はうれしそうな笑顔で恥ずかしそうに「なんやぁ」と、私の運転席の下より声を掛けてくれました。私が助手席に乗るように頼むと、彼女は「これどうやって乗るがぁ」と恥ずかしそうに言いながら素直に応じてくれました。
  17. 20060818:[link]  また、その直後に彼女はしたに降りて行き、5~6分ほどで元の自分の席に戻り、そのあと、私は下に降りたところで彼女が5~6分外に出た間に裏駐車場に停めてあった自分の車(6601号)を以前停めていた会社面前に戻してきたことに気付いたのです。これで私は大きく心を救われたのでありますが、今思うに、私と彼女の心のダメージを与えることこそが東度の狙いであったように思います。しかし、当時の私は、彼女と同じ年頃の娘を持つ東度がそのような企てをしているなど、全く想像さえしたことはありませんでした。またそれは、彼女においてはより以上、東度をやさしいおもしろいおじさんだと信じ込んでいたものと思われます。
  18. 20060818:[link]  その日私は未明に前日山三青果から積んできた荷物を降ろし、あがりのつもりで午前十一時頃に出社して二階に上がったのです。そのところ私の予期に反して彼女の隣の隣の席に座った東度は私に七尾から関東に走るように指示を出しました。その東度の言葉を聞いた瞬間文さんが、がつくりと首をうなだれるのがはっきりと見て取れました。それは12月21日の私が24日東京に行くことに決まっていると言った時、そしてそのあと藤江陸橋下にて私がプレゼントを車外に投げた時と全く同じような反応であり、それは裏駐車場を彷徨彼女の姿とともに当時の彼女の苦悩をあらわす特徴であります。
  19. 20060818:[link] ⑧その日午前二時か三時頃、私は裏駐車場の多田四トンウィング車の中で初めて彼女との関係を多田に告白し、彼女のことについて訊ねました。多田は初め「事務員喰ってしもたん」などと訊き、そして彼女については、見ての通りや、あんまりしゃべらん子やなどと言って多くを語りませんでしたが、これはその時、彼がひどく眠そうであったことも大いに関係していたように思われます。その当日の朝多田はマルエーの青果物の配達で小松方面に行くともうしており、私は、付き合うから出発するときはトラックの中(3068号)に寝ているから起こしてくれるように言ったのですが、多田は起こさず一人で配達に行ったようでした。これは12月10日頃かもしくは17日未明のことと思われます。
  20. 20060818:[link] ⑦その日私は出社後間もなく正午前に、七尾に荷積みに向かうのに二階から降りたところもしくは二階にて声を掛けられて、一階控え室にて会長夫妻にジヤンバーとズボン(茶色)をもらったのです。そして間もなく、洗車機横に停めてあった3068号に乗り込むところで、この時もあてもなくさまようような彼女の姿を裏駐車場タイヤおき保冷箱前あたりにて見たものであります。
  21. 20060818:[link] その日、私は彼女が裏駐車場に車(6601号)を停めるようになったのは直接私と話がしたいからだと考え、それに応えるつもりで意を決して、タイヤ置き場となっている四トン保冷箱の前あたりに停めて会った彼女の車の横に自分の車を停め、その中で彼女が仕事を終わってくるのを待ったのです。通常彼女は午後五時頃に退社し、遅くても五時半には必ず退社するのです。ところが、六時十分ほど前になっても彼女は退社のため自分の車の所には来ませんでした。そこで私は、あまり度が過ぎるとかえって嫌がらせになると思って帰ったのです。
  22. 20060818:[link]  この日、私が出社すると、なぜか彼女と池田の車が裏駐車場の一番奥の方に駐車してあり、それに中村りょう太(ベージュ色のソアラ旧型)、長山(赤色のRX−7)、田川(赤色の新型シルビア)の車も、それまで中央市場裏側の側道に駐車していたものが一緒に裏駐車場に停められておりました。
  23. 20060818:[link] その時佐藤は、会社の裏駐車場に、60万円だったかで最近購入したという、かなり旧型(57,58年型)のトヨタマークⅡを停めておりました。そして、津幡町あたりで前から付き合っていた女子大生と同棲し、近くのとび職の会社に勤めているようなことも言っておりました。
  24. 20060818:[link] また、その日、裏駐車場に本が来て、私にトラックを移動せよと命令したことを覚えております。私は断りそれを一蹴しました。
  25. 20060818:[link] その日、私が朝会社に出社すると、昨夜裏駐車場に停めてあった2313号の前の方が若干ではありますがぶつけられておりました。松平は完全に安田を疑ってかかったのでありますが、それを私が証人として無実を説得したのです。今思えばこれも松平か東度の工作だったのかもしれません。彼女はすまなそうに反省しているような様子でした。なるべく顔を合わせないようにしたことを覚えております。
  26. 20060818:[link] それから、私は、裏駐車場で朝野さんに一万円を渡し、池田に返してくれるように頼んだのです。その日私は、一度も二階事務所には顔を出さず、よって、彼女の姿も見ることはありませんでした。
  27. 20060724:[link]  22時12分現在アクセスカウンターは2575件になっています。「会社案内」のタブをクリックすれば、問題になった裏駐車場もみれます。左側に少しだけ移っている建物が事務所です。
  28. 20060109:[link]  関係がこじれて、4月1日の事件に至ったのですが、直接のきっかけになったのも、私が裏駐車場の行動について、問い詰め、彼女が知らないと答えたことでした。
  29. 20060109:[link]  裏駐車場では、1月中に、3回、私の方から彼女に声を掛け、駐車中の大型トラック内などで話をしました。
  30. 20060109:[link]  関係がこじれて、4月1日の事件に至ったのですが、直接のきっかけになったのも、私が裏駐車場の行動について、問い詰め、彼女が知らないと答えたことでした。
  31. 20060109:[link]  裏駐車場では、1月中に、3回、私の方から彼女に声を掛け、駐車中の大型トラック内などで話をしました。
  32. 20060109:[link]  関係がこじれて、4月1日の事件に至ったのですが、直接のきっかけになったのも、私が裏駐車場の行動について、問い詰め、彼女が知らないと答えたことでした。
  33. 20060109:[link]  裏駐車場では、1月中に、3回、私の方から彼女に声を掛け、駐車中の大型トラック内などで話をしました。
  34. 20060109:[link]  関係がこじれて、4月1日の事件に至ったのですが、直接のきっかけになったのも、私が裏駐車場の行動について、問い詰め、彼女が知らないと答えたことでした。
  35. 20060109:[link]  裏駐車場では、1月中に、3回、私の方から彼女に声を掛け、駐車中の大型トラック内などで話をしました。
  36. 20051224:[link] 一 被告人は、以前被害者が会社裏駐車場に同女の車を駐車していたことについて、通常事務員は会社前の駐車場に停車しており、裏には運転手が駐車しているので、同女が同所に駐車したのは被告人から話しかけて欲しいという意思表示である旨思い込んでいたことから、走行しながら、被害者に対し、会社裏の駐車場に駐車していたことについて問い詰めるなどした。これに対し、被害者は裏駐車場に駐車した覚えはないなどと応答していたが、被告人は、同女がとぼけていると考え激昂し、同市松村一丁目三七五番地付近道路を走行中、助手席に座っていた同女に対し、左手拳でその顔面を数回殴打したほか、同市畝田西三丁目二〇〇番地付近道路を走行中等に、同女の頭髪をつかんでその頭を押さえつけるなどし、更に、同市大野町四丁目地内の運輸省第一港湾建設局金沢港工事事務所の北西約九二メートルの路上に至って停止し、車内で火のついた煙草を同女の顔面に突きつけたり、「海にほうり込むぞ。」などと言ったりして脅した上、その顔面を右手拳で数回殴打し、更に約二〇メートル先の、同事務所の北西約一一四メートルの路上に移動して停車し、車内でカセットケースを割ってその破片を同女の顔面に押し付けて、「顔は女の命や。真剣に話をせい。」などと言うなどして脅した上、右平手でその顔面を数回殴打した。その直後、被害者が社外に逃げ出そうとして助手席ドアを開け、上半身を同車左横の歩道上に出し、足を車内に残す格好になるや、被告人は、助手席シートを越えて同車左横の社外に飛び出し、歩道上において、被害者が右の格好でうつ伏せとなり自らの左横に立った被告人の方に向けてやや顔を上げた際、その左顔面を右足で一回蹴り付け、その右側頭部を路上に打ち付けさせ、同女を仰向けに転倒させるなどした。被告人は、以上の暴行により、被害者に頭蓋骨骨折、急性硬膜下血腫等の傷害を負わせ、もって平成四年四月二一日付け起訴状公訴事実記載のとおりの犯行をなした。
  37. 20051215:[link] 第3項 午後三時頃、私は二階で松平から給料の一部と20万円の入ったボーナスをもらったのです。そして、28日の土曜日だったと思うのですが安田と一緒に行き服を買いズボンの寸法合わせを頼んだ紳士服モリワンにそのズボンを取りに行ったように思います(安田と一緒に行った時、強風で車のドアが曲がってしまった。また、その何時間か前には裏駐車場でトラック(3068号)より降りた瞬間に21日松平にもらった帽子を強風で飛ばしなくしてしまった。)
  38. 20051215:[link] その日私は、午前十一時頃に出社しました。そして事務所横の洗車機の横で軽四を停めて、自宅を出発したときから気になっていたオイルの油圧メーターの変調により、車外に出てオイルパンのオイル漏れがないかどうか車の下を覗いていたのです。右の状況と前後して私が進入してきた会社正面とは逆に裏駐車場の奥の方から彼女が自分の軽四に乗って進入してきたのですが、ちょうど駐車場が一杯だったこともあり彼女はUターンして中央市場横の道路に出て会社正面の方に走っていきました。 
  39. 20051215:[link] それからそのまま会社に向かい、会社に着いたのは午前十一時一五分か二十分頃だったと思います。ちょうど裏駐車場に安田がいたので、私はプレゼントを買ってきた事情を話し、安田に彼女を呼んできてくれるように頼み、そして会社内には全く入らずに裏駐車場の真ん中の奥の方に駐車したトラックの中で(3068号)、安田の呼びかけにより彼女が来るのを待ったのです。間もなく彼女はうれしそうな笑顔で恥ずかしそうに「なんやぁ」と、私の運転席の下より声を掛けてくれました。私が助手席に乗るように頼むと、彼女は「これどうやって乗るがぁ」と恥ずかしそうに言いながら素直に応じてくれました。
  40. 20051215:[link]  また、その直後に彼女はしたに降りて行き、5~6分ほどで元の自分の席に戻り、そのあと、私は下に降りたところで彼女が5~6分外に出た間に裏駐車場に停めてあった自分の車(6601号)を以前停めていた会社面前に戻してきたことに気付いたのです。これで私は大きく心を救われたのでありますが、今思うに、私と彼女の心のダメージを与えることこそが東度の狙いであったように思います。しかし、当時の私は、彼女と同じ年頃の娘を持つ東度がそのような企てをしているなど、全く想像さえしたことはありませんでした。またそれは、彼女においてはより以上、東度をやさしいおもしろいおじさんだと信じ込んでいたものと思われます。
  41. 20051215:[link]  その日私は未明に前日山三青果から積んできた荷物を降ろし、あがりのつもりで午前十一時頃に出社して二階に上がったのです。そのところ私の予期に反して彼女の隣の隣の席に座った東度は私に七尾から関東に走るように指示を出しました。その東度の言葉を聞いた瞬間文さんが、がつくりと首をうなだれるのがはっきりと見て取れました。それは12月21日の私が24日東京に行くことに決まっていると言った時、そしてそのあと藤江陸橋下にて私がプレゼントを車外に投げた時と全く同じような反応であり、それは裏駐車場を彷徨彼女の姿とともに当時の彼女の苦悩をあらわす特徴であります。
  42. 20051215:[link] ⑧その日午前二時か三時頃、私は裏駐車場の多田四トンウィング車の中で初めて彼女との関係を多田に告白し、彼女のことについて訊ねました。多田は初め「事務員喰ってしもたん」などと訊き、そして彼女については、見ての通りや、あんまりしゃべらん子やなどと言って多くを語りませんでしたが、これはその時、彼がひどく眠そうであったことも大いに関係していたように思われます。その当日の朝多田はマルエーの青果物の配達で小松方面に行くともうしており、私は、付き合うから出発するときはトラックの中(3068号)に寝ているから起こしてくれるように言ったのですが、多田は起こさず一人で配達に行ったようでした。これは12月10日頃かもしくは17日未明のことと思われます。
  43. 20051215:[link] ⑦その日私は出社後間もなく正午前に、七尾に荷積みに向かうのに二階から降りたところもしくは二階にて声を掛けられて、一階控え室にて会長夫妻にジヤンバーとズボン(茶色)をもらったのです。そして間もなく、洗車機横に停めてあった3068号に乗り込むところで、この時もあてもなくさまようような彼女の姿を裏駐車場タイヤおき保冷箱前あたりにて見たものであります。
  44. 20051215:[link] その日、私は彼女が裏駐車場に車(6601号)を停めるようになったのは直接私と話がしたいからだと考え、それに応えるつもりで意を決して、タイヤ置き場となっている四トン保冷箱の前あたりに停めて会った彼女の車の横に自分の車を停め、その中で彼女が仕事を終わってくるのを待ったのです。通常彼女は午後五時頃に退社し、遅くても五時半には必ず退社するのです。ところが、六時十分ほど前になっても彼女は退社のため自分の車の所には来ませんでした。そこで私は、あまり度が過ぎるとかえって嫌がらせになると思って帰ったのです。
  45. 20051215:[link]  この日、私が出社すると、なぜか彼女と池田の車が裏駐車場の一番奥の方に駐車してあり、それに中村りょう太(ベージュ色のソアラ旧型)、長山(赤色のRX−7)、田川(赤色の新型シルビア)の車も、それまで中央市場裏側の側道に駐車していたものが一緒に裏駐車場に停められておりました。
  46. 20051215:[link] その時佐藤は、会社の裏駐車場に、60万円だったかで最近購入したという、かなり旧型(57,58年型)のトヨタマークⅡを停めておりました。そして、津幡町あたりで前から付き合っていた女子大生と同棲し、近くのとび職の会社に勤めているようなことも言っておりました。
  47. 20051215:[link] また、その日、裏駐車場に本が来て、私にトラックを移動せよと命令したことを覚えております。私は断りそれを一蹴しました。
  48. 20051215:[link] その日、私が朝会社に出社すると、昨夜裏駐車場に停めてあった2313号の前の方が若干ではありますがぶつけられておりました。松平は完全に安田を疑ってかかったのでありますが、それを私が証人として無実を説得したのです。今思えばこれも松平か東度の工作だったのかもしれません。彼女はすまなそうに反省しているような様子でした。なるべく顔を合わせないようにしたことを覚えております。
  49. 20051215:[link] それから、私は、裏駐車場で朝野さんに一万円を渡し、池田に返してくれるように頼んだのです。その日私は、一度も二階事務所には顔を出さず、よって、彼女の姿も見ることはありませんでした。

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H3DB_search_”山口民雄”_(該当件数:53/データベース登録数:669,647) _2024-03-14_102704の記録

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